08話 帰り道のぬくもり
8話 帰り道のぬくもり
神殿を出た瞬間、一行を迎えたのは眩しい朝日だった。
長い夜が終わり、東の空は淡い橙色に染まり始めている。
冷たい朝の空気が頬を撫でた。
「朝……。」
エレノアは思わず空を見上げる。
地下にいた時間があまりにも長く、時間の感覚を失っていた。
神殿の入口では、夜通し見張りを続けていた騎士たちが一斉に姿勢を正す。
「副団長!」
「ご無事で何よりです!」
ガレスは軽く手を上げた。
「ああ。任務は無事終了だ。」
騎士たちの表情が一気に緩む。
「皆さんも、お疲れさまでした。」
エレノアが微笑むと、若い騎士たちは少し照れたように笑った。
◇
帰り支度を終えると、それぞれ馬へ跨る。
「副団長、休憩を入れますか?」
ノアが尋ねる。
ガレスは苦笑した。
「これくらいなら問題ない。」
「俺たちは慣れてるからな。一晩くらい徹夜でも、帰って寝れば回復する。」
オーウェンも肩を回しながら笑う。
「近衛騎士ですから。」
クラウディアも涼しい顔だ。
皆は疲れているはずなのに、不思議と誰も弱音を吐かない。
エレノアはその逞しさに思わず感心する。
(皆さん、本当にすごい……。)
緊張がほどけた、その瞬間だった。
ふわり。
身体が揺れた。
「あ……。」
膝から力が抜けそうになる。
瞼が重い。
一晩中、神経を張り詰め続けていた反動だった。
「アシュフォード嬢?」
すぐ隣にいたクラウディアが咄嗟に腕を支えた。
「顔色が良くないわ。」
「だ、大丈夫です。」
そう答えた途端、小さな欠伸が漏れる。
「……っ。」
慌てて口元を押さえるエレノアに、オーウェンが思わず吹き出した。
「全然大丈夫じゃないな。」
「す、すみません……。」
エレノアは耳まで赤く染めて俯く。
クラウディアは優しく微笑み、馬の手綱へ手を伸ばした。
「帰りも私の馬へ。眠ってしまっても支えているから安心していいわ。」
「ありがとうございま――」
そう言いかけた、その時。
「……俺の馬の方が安定します。」
低く落ち着いた声が、その言葉を遮った。
その場の視線が一斉に集まる。
シリルだった。
「私でも支えられるけれど?」
クラウディアがわざと首を傾けてとぼける。
「俺の方が体格がある。眠るならその方が安全です。」
シリルはいつもと変わらぬ表情のまま、静かに続けた。
「……え?」
一番驚いたのは、エレノアだった。
「ヴァルモント様が……ですか?」
思わず目を丸くする。
オーウェンは何度もシリルとエレノアを見比べる。
(おいおい……。)
ノアは戸惑ったように目を瞬かせた。
ガレスもわずかに眉を上げた。
シリルが、自分から女性を馬へ乗せると言った。
しかも、女性騎士のクラウディアがいるのだ。
普段のシリルなら、真っ先にクラウディアへ任せるはずだ。
それなのに、自分から申し出た。
クラウディアだけが、どこか納得したように小さく笑う。
「そう。」
少しだけシリルを見つめてから、穏やかに頷いた。
「確かに、その方が揺れは少ないわね。ならお願いするわ。」
シリルは無言で頷く。
その横顔はいつも通り真面目だった。
オーウェンは吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
(いや、それ絶対違う理由だろ。)
◇
エレノアは少し遠慮がちにシリルの前へ座った。
「失礼します……。」
「気にしなくていい。」
シリルは短く答える。
馬がゆっくりと歩き始めた。
揺れないよう手綱を持つ腕が自然とエレノアを囲む形になる。
大きな腕にすっぽりと包まれ、思わず息を呑んだ。
近い。
近すぎる。
背中越しに伝わる体温。
馬が揺れるたび、その腕がそっと自分を支えてくれる。
(ち、近い……。)
エレノアは少しだけ肩を縮めた。
胸がどきどきと落ち着かない。
こんなに男性と近い距離にいることなど、これまで一度もなかった。
ふと風が吹き抜ける。
その瞬間、シリルからほのかに漂う香りが鼻先をくすぐった。
陽だまりの森を思わせるシダーウッドの落ち着いた香り。
そこへ革鎧の匂いと、清潔な石鹸の香りがかすかに混じる。
不思議と嫌ではなかった。
むしろ、その香りに包まれていると、張り詰めていた心が少しずつほどけていく。
その途端――。
「……ふぁ……。」
小さなあくびが、思わず漏れる。
「……あっ。」
エレノアは慌てて口元を押さえた。
「し、失礼しました……。」
恥ずかしそうに頬を染めて俯く。
「寝て構わない。」
「でも……。」
「落馬される方が困る。」
あくまで護衛として。
その言葉に安心したのか、エレノアは小さく笑う。
「……では、少しだけ。」
ゆっくり瞼が閉じる。
馬の揺れ。
朝の風。
規則正しい蹄の音。
そして、背中から伝わる温かな体温。
いつの間にか、小さな頭がシリルの胸へそっと預けられていた。
穏やかな寝息が聞こえる。
シリルは少しだけ目を見開く。
「……。」
起こさないよう、手綱を握る手にそっと力を込める。
そして小さな身体が揺れないように、腕の位置をわずかに調整した。
馬の歩幅を少しだけ緩める。
揺れが少なくなるように。
その様子を、前を進むオーウェンがちらりと振り返った。
そして、思わず吹き出しそうになる。
(歩かせ方まで変えてるじゃないか。)
隣のクラウディアも気付いたらしい。
目が合う。
二人は何も言わない。
ただ、小さく笑みを交わした。
長い一夜を越えた帰り道。
黒髪の騎士は、その穏やかな寝息を起こさぬよう、いつもよりゆっくりと馬を進める。
そんな彼らを朝日が優しく照らしていた。




