07話 王の試練
07話 王の試練
試練を乗り越えた一行は、ガレスを先頭にさらに地下深くへ進んでいた。
回廊はさらに広くなり、両脇には古代ヴァレシア王国の王や騎士と思われる石像が等間隔に並んでいる。
誰も口を開かない。
松明の炎だけが石像を静かに照らしていた。
◇
やがて、一枚の巨大な石扉が現れる。
高さはゆうに五メートルを超え、その中央には王冠と剣を組み合わせた紋章が刻まれていた。
扉の脇には一際大きな石像が二体、奥へ続く道を守るように佇んでいる。
「ここが……。」
エレノアは息を呑む。
石扉の手前には、古い文字が床いっぱいに刻まれていた。
彼女はしゃがみ込み、一文字ずつ目で追う。
「……『王は知を試し、勇気を試し、最後に、……心を試す。』」
エレノアがそう読み上げた。
「心……?」
クラウディアが小さく呟く。
その瞬間だった。
二体の石像の瞳が淡く青白く光る。
重々しい音を立てながら、その石像たちがゆっくりと剣を構えた。
「来るぞ!」
ガレスの号令と同時に、巨大な石像が一行に襲いかかる。
オーウェンが真正面から大剣で受け止める。
「っ……重い!」
剣が火花を散らした。
反対側ではクラウディアが石像の懐へ潜り込み、関節を狙って斬りつける。
しかし傷一つ付かない。
「普通の石じゃない……!」
ノアも援護に回る。
それでも石像は止まらない。
「下がれ!」
シリルが前へ出る。
重い一撃を紙一重でかわし、その勢いを利用して石像の腕を弾く。
その隙に全員が距離を取った。
「倒せない……。」
ノアが苦しそうに声を漏らす。
「このままでは埒が明かん!」
ガレスが叫ぶ。
エレノアは拳を強く握り締める。
(お願い……。)
誰も傷ついてほしくない。
オーウェンも。
クラウディアも。
ノアも、ガレスも。
そして――シリルも。
目の前では、再び巨大な石剣が振り下ろされる。
シリルが紙一重でかわし、オーウェンが横から斬り払い、クラウディアがその隙を埋める。
三人の息は見事に合っている。
それでも、決定打にはならない。
騎士たちの額には汗が滲み始めていた。
(何かあるはず……。)
エレノアは必死に周囲を見回した。
この神殿は、王国の真実を守るために造られている。
ならば、ただ侵入者を殺すだけの仕掛けではない。
壁。
床。
柱。
石像の台座。
松明の光を頼りに、一つひとつ目を凝らす。
(お願い……教えて。)
その時だった。
石像の台座に刻まれた文字が、揺れる炎に照らされて一瞬だけ浮かび上がった。
「……!」
エレノアは息を呑む。
「違います!」
全員が振り返る。
「彼らは敵ではありません!」
「試練です!」
彼女は石像の足元へ駆け寄った。
「アシュフォード嬢!」
シリルが思わず叫ぶ。
だがエレノアは止まらない。
目の前では、巨大な石像が今にも自分に剣を振り下ろそうとしている。
怖い。
足が震える。
心臓が激しく脈打ち、喉が張り付く。
(怖い……。)
もし読み違えていたら。
もし、この試練の意味を間違えていたら。
次の一撃で、自分は命を落とすかもしれない。
それでも――。
仲間たちが命懸けで戦っている。
誰かが傷つく姿だけは、見たくなかった。
エレノアは震える手をぎゅっと握り締める。
(知を試し、勇気を試し、最後に、心を試す……。)
王が最後に見たかったものは、恐れずに剣を振るう力ではない。
人を想う心。
そう信じたい。
エレノアは小さく息を吸い込み、一歩前へ踏み出した。
石像の台座に刻まれた文字へ、そっと手を伸ばす。
『王を敬う者、敬意をもって道を乞え。』
彼女はゆっくりと両手を胸の前で重ね、
石像へ向かって深く頭を下げた。
「ヴァレシア王国の歴史に、敬意を。」
静寂。
石像はなおも剣を振り上げる。
シリルは迷うことなくエレノアの前へ踏み出した。
剣を構え、その小さな背中を覆うように立つ。
その横顔に迷いはない。
――守る。
その想いだけが、胸の奥で静かに燃えていた。
もし石像が剣を振り下ろすなら、自分が受け止める。
たとえ、この身が砕けようとも。
次の瞬間――。
石像はぴたりと動きを止めた。
ゆっくりと剣を下ろす。
そして二体同時に跪いた。
重い音が地下へ響く。
「止まった……。」
オーウェンが目を丸くする。
誰もが固唾を呑んで見守る中、石像の瞳から発せられていた光が消えていく。
地下神殿に、再び静寂が訪れる。
ガレスは静かに石像を見上げた。
「なるほど……。」
「知、勇気、そして心か。」
「王は最後に、人の心を見極めようとしたということだな。」
エレノアは張り詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
全身から一気に力が抜け、思わずその場へ倒れ込みそうになる。
(……よかった。)
誰も傷つかなかった。
その事実だけで、胸がいっぱいになる。
「アシュフォード嬢。」
ガレスが穏やかな声をかけた。
「見事だった。」
「副団長様……。」
「力だけでも、知識だけでも、この試練は越えられなかった。」
オーウェンも笑みを浮かべる。
「俺なら、あの石像に頭を下げるなんて思いつきもしなかったよ。」
ノアは目を輝かせながら何度も頷いた。
「本当にすごかったです!」
クラウディアも優しく微笑む。
「怖かったでしょう?」
その一言に、エレノアは少しだけ困ったように笑った。
「……はい。正直、とても怖かったです。」
震えを堪えていた手をそっと胸の前で重ねる。
「でも、皆さんが守ってくださっていると分かっていたから、一歩を踏み出せました。」
エレノアは一人ひとりの顔を見渡した。
「本当にありがとうございました。」
その笑顔に、騎士たちの表情も自然と和らぐ。
足元には、小さな石の欠片が落ちていた。
戦いの最中に欠けたものらしい。
エレノアはそっと拾い上げ、台座の元へ丁寧に戻す。
「長い間、この場所を守ってくださっていたんですね。」
そう言って、もう一度だけ静かに頭を下げた。
その姿を、シリルは黙って見つめていた。
――なぜ、あの時。
迷うことなく飛び出したのだろう。
石像の剣が振り下ろされれば、自分が受け止める。
それで命を落としても構わないと、一瞬たりとも迷わなかった。
仲間を守ることとは、どこか違う。
(……なぜだ。)
護衛だから。
そう自分へ言い聞かせても、心のどこかが静かに否定していた。
「……行こう。」
短く告げる声だけが、静かな回廊へ響く。
オーウェンはそんな親友の横顔をちらりと見た。
何も言わない。
ただ、黒髪の奥の表情に、今までとは違う何かが宿っていることだけは、はっきりと感じ取っていた。
◇
重い音を立て、巨大な石扉がゆっくりと開く。
二千年を超える時間の中、誰一人として足を踏み入れることのなかった空気が、静かに流れ出した。
思わず息を呑む。
そこは今までの回廊とはまるで別世界だった。
天井は見上げるほど高く、幾本もの純白の石柱が左右に整然と並び、その一本一本には精緻な古代文字がびっしりと刻まれている。
床には巨大な円陣が描かれ、その中心には祭壇。
天窓もないはずなのに、どこからともなく淡い光が差し込み、長い歳月を眠り続けた神殿を静かに照らしていた。
その奥。
祭壇のさらに先には、一つの石棺が静かに安置されている。
王冠を戴く人物が眠るように彫られたその石棺には幾重にも古代文字が刻まれ、長い年月を経てもなお威厳を失っていなかった。
誰も言葉を発しない。
自然と全員が剣を下ろし、深く頭を垂れる。
それは滅びた古代王国の遺構ではない。
二千年以上前、この国を築き、守り、未来を願った人々への敬意だった。
静寂だけが、その場を包む。
エレノアも胸の前で両手を重ね、小さく祈るように目を閉じた。
「……ここが、ヴァレシア王国の王と記録が眠る場所。」
その声だけが、静かな空間へ溶けていく。
やがて彼女は祭壇の周囲をゆっくりと見渡した。
「……あれは。」
円陣の中心には、黒曜石を思わせる漆黒の祭壇が鎮座していた。
その上に、同じ素材だと思われる一枚の黒い石板が置かれていた。
人の腕ほどの大きさのその石板には、細かな古代文字が隙間なく刻まれている。
エレノアは慎重に近づき、息を呑んだ。
「これは……。」
石板の縁には、見覚えのある文字が刻まれていた。
『資格ある者にのみ、道は開かれる。』
その下には、さらに続きがあるが、暗号になっておりすぐには解読できそうにない。
「これが団長様がおっしゃっていた……。」
エレノアは思わず呟く。
ガレスも静かに頷いた。
「間違いない。探していた石板だ。」
誰も軽々しく手を伸ばそうとはしない。
しばらく沈黙が流れたあと、ガレスは石棺へ向かって静かに一礼した。
「ヴァレシアの王よ。」
「この石板は、あなた方の歴史を解き明かすためにお借りします。」
騎士たちも続いて頭を下げる。
エレノアも深く礼をした。
「必ず、真実を未来へ伝えます。」
そう告げると、彼女は両手で石板をそっと抱き上げた。
驚くほど静かだった。
まるで二千年の眠りから覚めた石板自身が、その役目を果たす時を待っていたかのように。
その瞬間だった。
祭壇を中心に、周囲の石柱へ刻まれた古代文字が、まるで呼応するように淡く青白く輝いた。
誰も声を上げられない。
それはほんの数息の出来事。
ただ、その場にいた全員が同じことを思っていた。
――ヴァレシア王国は、自ら真実を託す者を選んだのだ、と。
二千年以上の時を守り続けてきた神殿は、
ようやく真実を語るべき者たちを迎え入れ、
その役目を終えようとしていた。
その静寂は、まるで長き眠りについた王が、ようやく安らかに微笑んだかのようだった。




