06話 記録の回廊
6話 記録の回廊
ガレスを先頭に、一行は地下通路へ足を踏み入れた。
松明の炎が揺れるたび、古びた石壁に長い影が伸びる。
回廊に響くのは靴音だけだ。
二千年以上、誰一人として踏み入れることのなかった静寂が、そこにはあった。
外の熱気が嘘のように、地下は肌を刺すほど冷え切っている。
「……寒くはないか。」
不意にシリルが振り返る。
「え?」
「地下は想像以上に冷える。」
それだけ言うと、再び前へ向き直った。
「……大丈夫です。」
エレノアは小さく微笑む。
胸の奥が少しだけ温かくなった。
◇
しばらく歩みを進めると、少し開けた回廊にでた。
エレノアは壁へ視線を向ける。
所々に刻まれた古代文字。
だが、そのほとんどは風化し、今はもう読むことができない。
「……ここは記録の回廊。」
小さく呟く。
「何か分かるのか?」
ガレスが尋ねた。
「壁一面に文字が刻まれていたようです。でも……削られてしまっています。」
シリルは辺りを見渡した。
「誰かが意図的に?」
エレノアは首を振る。
「いえ。時間です。」
「二千年という歳月は、石でさえ削ります。」
誰も言葉を返さなかった。
その時だった。
カチッ――
乾いた音が響く。
「止まれ!」
ガレスの鋭い声。
ほぼ同時に、床の石がゆっくりと沈み込んだ。
次の瞬間――
壁一面から、無数の矢が放たれる。
「構えろ!」
オーウェンが剣を抜き放つ。
鋭い斬撃が飛来した矢を次々と弾き落とした。
甲高い金属音が回廊へ響く。
反対側から迫る矢には、クラウディアが一歩前へ。
迷いのない剣筋が閃くたび、矢は真っ二つに断たれ、石床へ散っていく。
「まだ来ます!」
ノアの叫び。
その瞬間。
シリルは何も言わず、反射的にエレノアの前へ踏み出した。
片腕を軽く広げるようにして、その身体を背後へ隠す。
彼自身は振り返ることなく、飛来する矢だけを見据えていた。
銀色の剣閃が闇を裂く。
鋭い一閃。
二閃。
三閃。
飛び込んでくる矢は、ことごとく叩き落とされる。
一本たりとも、後ろへ通さない。
エレノアは息を呑んだ。
(……守られている。)
そう思った瞬間だった。
弾かれた一本の矢が石壁へ当たり、予想外の角度で跳ね返った。
それはエレノアを庇うシリルの死角から、脇腹めがけて迫る。
「危ない!」
思わず声を上げる。
しかし、その矢は届かなかった。
ガキンッ!
横から飛び込んだクラウディアが剣で弾き飛ばしたのだ。
「シリル、前だけ見て!」
「助かりました。」
短い一言。
二人は視線も交わさない。
それでも息はぴたりと合っていた。
やがて最後の一本が床へ落ちる。
静寂。
オーウェンが苦笑する。
「歓迎されてるとは言えないようだな。」
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
だが。
エレノアの視線は床へ向いていた。
「……違います。」
その声に全員が振り向く。
「この罠は、侵入者を殺すためではありません。」
「どういうことだ?」
ガレスが問う。
エレノアは壁の下に落ちていた矢を一本見つめる。
「矢じりの先端が丸く削られています。」
「それに、一定時間で止まりました。」
彼女はゆっくりと壁へ刻まれた文字をなぞる。
かすれた文字を読み解く。
「――『王は力ある者を拒まない。だが、知なき者に真実を授けることはない。』」
誰も声を発しない。
エレノアは続けた。
「侵入者を無差別に殺す罠ではなく、力と判断力を試すため。」
「王国の真実を守るための……試練です。」
一行の持つ松明の炎が僅かに揺れた。
◇
一行はさらに奥へ進む。
やがて通路は途切れ、その先には深い亀裂が口を開けていた。
かつて橋だったのであろう石造りの通路は半ば崩れ落ち、人ひとりがようやく渡れるほどしか残っていない。
ガレスは橋下へ目を向ける。
松明の明かりも届かぬ闇が広がっていた。
石を一つ投げ入れてみたが反響する音はいくら待っても聞こえない。
「下はどうなっているのか分からない。慎重に渡れ。オーウェン、先行して安全を確認しろ。」
「了解。」
オーウェンは迷いなく細い石橋へ足を乗せる。
崩れた足場を軽やかに渡り切ると、周囲を見回した。
「問題ありません!」
続いて若い騎士ノアが渡る。
ガレスはシリルへ視線を向けた。
「シリル。アシュフォード嬢を。」
シリルは小さく頷き、エレノアへ向き直る。
「行けるか。」
エレノアは松明を握り直した。
「……はい。」
一歩。
慎重に踏み出す。
だが、数歩進んだところで足元の石が、小さく軋んだ。
ぱきっ――。
嫌な音が静寂に響く。
「!」
エレノアの身体がぐらりと傾いた。
その瞬間だった。
「失礼する。」
低い声とともに、身体がふわりと浮く。
「え……?」
シリルは迷うことなくエレノアを抱き上げていた。
片腕は膝裏へ。
もう片方は背中へ回される。
松明だけは落とさぬよう、エレノアは慌てて胸元へ抱え込む。
「ヴァ、ヴァルモント様!?」
「動くな。」
短く告げると、シリルは崩れかけた石を避け、オーウェンが先ほど踏んだ場所だけを正確になぞって渡っていく。
その歩みは少しも揺るがない。
向こう岸へ渡り切ると、そっとエレノアを降ろした。
「ありがとうございます……。」
頬を赤く染めるエレノアとは対照的に、シリルは何事もなかったように無言で頷き、すぐに周囲を警戒する。
その様子を見届けると、クラウディアはようやく石橋へ足を踏み出した。
軽やかな身のこなしで渡り切り、すぐにエレノアの隣へ並ぶ。
「お怪我はありませんか?」
「はい、大丈夫です。」
クラウディアは安心したように微笑んだ。
少し離れた場所で見ていたオーウェンは、思わずノアへ小声で漏らした。
「……あれ、自分じゃ絶対気付いてないな。」
「何がです?」
「いや、何でもない。」
肩をすくめるオーウェンに、クラウディアだけが小さく笑った。
最後にガレスがゆっくりと石橋を渡り、一行は再び歩みを進める。
「……全員無事だな。先へ進むぞ。」
その先の闇は、まだ終わらない。
まるで地下神殿そのものが、一行を試すように、静かに次の試練を待ち受けていた。
[今回登場した近衛騎士たち]
シリル・ヴァルモント
近衛騎士。黒髪に青瞳。寡黙で冷静な実力者。エレノアの護衛を務める。
オーウェン・アークライト
近衛騎士。明るく社交的。シリルの同期で親友。観察眼が鋭く、場の空気をよく読める人物。
クラウディア・エーレンベルク
背が高く、凛とした振る舞いの気高き女性騎士。シリルとオーウェンの先輩。
ノア・エヴァンス
近衛騎士。団の中では若手ながら腕は確か。明るく真っ直ぐな性格で努力家。シリルに密かに憧れてる。
ガレス・オルディン
副団長。大柄な体格とは裏腹に親しみやすく部下からの信頼も厚い、頼れる兄貴分。




