05話 地下神殿
第五話 地下神殿
森を抜けると、巨大な石造りの神殿が姿を現した。
太陽はゆっくりと西へ傾き始め、柔らかな陽光が古びた神殿を黄金色に染めていた。
幾本もの白亜の大柱は千年以上の風雨に晒され、今では苔や蔦に覆われている。
しかし、空へ向かってそびえる姿には、かつて栄華を極めたヴァレシア王国の威光が色濃く残されていた。
崩れ落ちた石壁の隙間からは大樹が根を張り、自然はゆっくりと神殿を飲み込もうとしている。
それでもなお、近づく者を静かに見下ろすその威容は、まるで二千年もの時を越えて王国の誇りを守り続けているかのようだった。
エレノアはクラウディアの手をかりながら馬から降ろしてもらうと、ゆっくりとその姿を見上げた。
誰にも気付かれないよう、小さく胸へ手を当てる。
(お父様……あなたが何十年も夢見た場所へ、今、私が来ています。)
胸が熱くなる。
きっと父なら、この一つひとつの石を飽きることなく眺め続けただろう。
その夢の続きを、自分が歩いている。
「アシュフォード嬢」
シリルの落ち着いた声が耳に届く。
「危険がないか確認する。」
「はい。」
副団長のガレスが部隊へ指示を飛ばした。
「ノア、高所を確認。オーウェンは入口を調べろ。他の者は周囲の警戒。」
「了解!」
騎士たちは素早く散開した。
「入口周辺に異常はありません。」
オーウェンが壁を軽く叩きながら報告する。
「これまでの調査記録どおり、特に変わったものは見当たりません。」
ガレスは腕を組んだ。
「やはり手掛かりはなしか。」
その時だった。
エレノアの視線が神殿正面にある一本の石柱で止まる。
「……いいえ。」
彼女はゆっくり近付く。
指先で苔を払う。
さらり、と緑が落ちた。
現れたのは、細い線が幾重にも重なった奇妙な文様。
「これは……。」
オーウェンが首を傾げる。
「ただの装飾では?」
エレノアは静かに首を横へ振る。
「違います。」
「文字です。」
全員の視線が集まる。
「しかも……」
エレノアは石をなぞる。
「古代ヴァレシア王国の初期文字。」
「三千年前の文字です。」
オーウェンが目を丸くした。
「学者たちは装飾だと言っていましたが……。」
「後期文字しか知らなければ、そう見えても不思議ではありません。」
エレノアは静かに微笑む。
「文字の形が、まだ整っていない時代なんです。」
彼女はゆっくり読み始めた。
「――王家の道は、太陽を背にして進め。」
ガレスが辺りを見回す。
「太陽を背に?」
エレノアは入口から差し込む光を見た。
「こちらです。」
神殿へ足を踏み入れる。
壁。
柱。
床。
一見すると風化した傷にしか見えない。
だがエレノアには読めた。
一歩進むたび、新しい文字が現れる。
「ここにも……。」
「こちらにも。」
オーウェンが感心したように呟く。
「今まで誰も気付かなかったとは……。」
シリルは周囲を警戒しながら答える。
「読める者がいなかった。」
その短い一言に、エレノアの胸の奥がそっと温かくなる。
自分がここへ来た意味。
それを認めてもらえた気がしたからだ。
さらに奥。
最も古い石壁の前で、エレノアは足を止める。
「……ありました。」
壁いっぱいに初期文字が刻まれている。
風化し、ほとんど見えない。
「少し……時間をください。」
エレノアは壁の前にしゃがみ込み、手帳を開いた。
昨夜解読した初期文字と、父が残した研究記録を何度も見比べながら、一文字ずつ意味を繋いでいく。
静寂だけが流れる。
やがてエレノアは小さく息をついた。
「読めました。」
もう一度壁へ視線を移し、文字をゆっくりとなぞる。
何度も照らし合わせた文字が、ようやく一つの文章として繋がった。
手帳と見比べる必要は、もうない。
意味が一つの文章として繋がったのだ。
「『真実は石に刻まれる。』」
「『資格ある者のみ、その扉を開け。』」
「『真実を求める者のみ、隠された道を知る。』」
エレノアは壁を見つめたまま、小さく呟く。
「……この壁の向こうです。」
ガレスが目を細めた。
「どういう意味だ。」
エレノアは壁の隅を指差す。
「ここだけ、石の継ぎ目が違います」
示した先へ、オーウェンが進み出た。
そしてエレノアが読み上げる石碑の示す順序どおり、壁に刻まれた三つの石を押す。
すると内部で、錆びついた歯車が噛み合うような音がした。
オーウェンは深く息を吸い、苔と砂埃に覆われた壁へ両手を当て、ゆっくりと力を込める。
初めは、何も起こらなかった。
だが次の瞬間――腹の底まで震わせるような重い轟音が、神殿の奥深くから響き渡った。
足元が揺れ、天井から細かな砂と石の欠片が降り注ぐ。
騎士たちは咄嗟に剣へ手をかける。
シリルは反射的にエレノアの前へ踏み出し、その半歩遅れてクラウディアも護る位置についた。
やがて、壁を走る継ぎ目から白い粉塵が噴き出す。
石と石が擦れ合う凄まじい音を立てながら、何千年ものあいだ微動だにしなかった巨大な石壁が、ゆっくりと横へ動き始めた。
眠りについていた神殿そのものが、長い時を越えて目を覚ますかのように。
開いた隙間から凍えるほど冷たい空気が一気に流れ出して、乾いた土と古い石の匂いが、神殿の広間を満たした。
轟音が止み、舞い上がった埃が静かに沈んでいく。
壁の向こうには、日の光を一度も知らぬ漆黒の闇が口を開けていた。
その奥へ、人ひとりがようやく通れるほどの細い通路が続いている。
誰も息を呑んだ。
ガレスは静かに松明を受け取り、その炎を高く掲げる。
揺れる光が石壁を照らし、漆黒の通路の奥へ細く伸びていく。
「……行くぞ。」
エレノアは小さく息をのむ。
そこは、二千年もの時を越えて、ようやく人の足が踏み入れる場所だった。




