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古代文字を読む令嬢は、無愛想な近衛騎士に守られる  作者: 橙華
第五章

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74話 帰るための約束

74話 帰るための約束



星環の祭壇への出発を翌日に控え、王城では早朝から密やかに準備が進められていた。


表向きは、王都西方における水源調査。しかし、国王自らが同行することも、四枚の石板を城外へ運び出すことも、国家の行く末に関わる最高機密として伏せられている。


真の目的を知るのは、直接護衛を担う者と任務の中核に関わる者だけだった。





王城の一角にある、近衛騎士団の会議室。

中央の大机には、王都西方の地図と、星環の祭壇までの推定経路が広げられていた。


地図には、現在使われている街道とすでに失われた旧道、三つ並ぶ丘、さらに古い調査記録に残されていた川と、今では枯れた支流の痕跡まで書き込まれている。

進行経路だけでなく、退路として利用できる道や周囲を見渡せる高所、部隊を待機させられる場所にも細かな印が付されていた。


ダリウスは、机を囲む騎士たちを見渡した。今回の任務で、中核を担う者たちだ。


「星環の祭壇までは、王都西門から馬で一時間ほどだ」


ダリウスの指が、地図の上を西へ進む。


「距離だけを見れば、これまでの遠征よりはるかに短い」


そこで指を止め、全員へ視線を巡らせた。


「だが今回は、陛下が同行される」


室内の空気が、一段と引き締まった。


「現地に魔物がいるかどうかは不明。祭壇そのものに、どのような仕掛けが残されているかも分かっていない。加えて、四枚の石板をすべて持ち出す」


低く、揺るがない声が続く。


「通常の探索と同じつもりで臨むな」


「はっ」


返答が一つに重なった。


ダリウスは地図から顔を上げる。


「現場の総指揮は、私が執る」


続いて、ガレスとクラウディアへ視線を向けた。


「陛下の直接護衛は、ガレスを中心とする。クラウディアはその補佐に入れ。祭壇へ到着した後も、陛下から離れるな。遺跡が誰を必要としていようと、護衛の原則は変わらん」


ガレスが短く頷く。


「心得ています」


ダリウスの指が、地図の先へ移った。


「オーウェンは先行して進路を確認。祭壇周辺では前衛を務めろ」


「了解です」


「リアナは側面の警戒。森へ入ってからは、足元だけでなく樹上にも注意しろ」


「承知しました」


「エリオット」


「はい」


「連絡と物資の管理を任せる。王城へ至る伝令経路を維持し、予備の馬と医療物資も確保しておけ」


「すでに西門と中継地点へ人員を配置しております。異変があれば、直ちに王城へ報せが届く手筈です」


ダリウスは頷き、そして最後に視線を移した。


「シリル。お前はこれまで通り、エレノア嬢の護衛を最優先としろ」


「はっ」


返事に迷いはなかった。


シリルの前に置かれた地図には、進路だけでなく、森へ入った後の退路や視界の開けた場所、足場が崩れやすいと推測される地点まで細かく印が書き込まれていた。


その中には、エレノアが馬を降りる予定地点や、一行が分断された場合の合流地点もある。


隣にいたオーウェンが、横目で地図を見る。


「ずいぶん調べたな」


「必要だ」


「今までだって必要だっただろ」


シリルは地図から目を上げた。


「今回は陛下もいる。何が起こるか分からない」


それだけ告げて、再び地図へ視線を戻す。

それ以上は語らなかったが、オーウェンには分かっていた。国王の同行だけが、シリルをここまで慎重にさせているのではない。


星環の祭壇は、おそらく最後の目的地だ。

四枚の石板を還し、王国から水が失われようとしている理由へ辿り着く。この王命に始まった長い探索も、最後の任務を迎えるのだろう。

だからこそシリルは、一つの見落としさえ許すまいとしている。


最後まで、彼女を無事に王都へ連れ帰るために。


オーウェンは何も言わず、自分の地図へ視線を戻した。





石板の運搬準備は、王城内の施錠された倉庫で行われていた。

四枚の石板は、いずれも両腕で抱えられるほどの大きさがあり、厚みもある。一人で長く運ぶには重く、ましてわずかな欠損も許されない古代遺物だ。


そのため王城の職人たちは、一日をかけて専用の運搬箱を作り上げていた。

丈夫な木材で組まれた箱。内側には、なめした革と厚い毛織物が幾重にも張られている。石板の形に合わせた窪みが設けられ、移動中に揺れても内部で動かないよう、固定具まで備えられていた。


エリオットが職人とともに、最後の確認を進めている。


「固定帯を、もう一度確認してください」


「問題ありません」


箱を僅かに傾けても、中から音はしない。

すべての確認を終えると、蓋が閉じられた。金属の留め具が掛けられ、最後に王家の封蝋が施される。


四つの箱を運搬するのは、選抜された近衛騎士たちだった。一つの箱につき二人。途中で交代できるよう、予備の人員も配置される。

街道では専用の荷馬車へ固定するが、森へ入った後は人の手で運ばなければならない可能性が高い。

ガレスは持ち手の位置から交代の手順まで、一つずつ確認していった。


その様子を少し離れた場所から見ていたエレノアは、胸の前でそっと手を重ねる。


四枚の石板。命懸けの旅の果てに、ようやく集まったもの。それがいよいよ、本来あるべき場所へ還されようとしている。

だが、胸にあるのは安堵よりも緊張だった。


星環の祭壇で何が起きるのか。四枚の石板が、本当に自分たちを認めるのか。そして、その先に王国を救う答えがあるのか。


まだ何一つ、確かなことはない。


「エレノア様」


隣から声をかけたのは、リアナだった。


「資料の準備は終わりましたか?」


「はい。石板の解読記録と星図、それから星環の祭壇について残されていた調査記録の写しも用意しました」


「アルヴィン先生がお持ちになるものとは、別にですか?」


「念のために」


リアナの口元に、僅かな笑みが浮かぶ。


「エレノア様も、シリルと少し似ていますね」


「え?」


「気になることは、何度でも確かめておかないと落ち着かないところが」


エレノアは目を瞬き、少し困ったように微笑んだ。


「そうでしょうか」


「ええ。ただ――確認しているものは、ずいぶん違いますけれど」


リアナは一度、少し先へ視線を向ける。エレノアが問い返そうとした時、足音が近づいてきた。

振り返ると、シリルがこちらへ歩いてきていた。


「何の話だ」


「明日の準備についてよ」


リアナは何食わぬ顔で答えた。嘘ではない。シリルはそれ以上追及せず、エレノアへ視線を向ける。


「行く先は未知の遺跡だ」


「……はい」


「何が起きても、勝手に動くな」


「分かっています」


「文字を見つけてもだ」


先回りされ、エレノアは僅かに言葉を詰まらせる。


「……できるだけ」


「必ずだ」


蒼鏡の水殿へ足を踏み入れる前と、まったく同じやり取りだった。エレノアは小さく笑う。


「必ず、ですね」


「ああ」


シリルの表情は少しも緩まない。それでも、彼がここまで慎重になる理由を、今のエレノアは以前よりも理解できるようになっていた。


冷たいからではない。彼女の判断を疑っているのでもない。エレノアが傷つく可能性を、一つでも減らそうとしているのだ。

その不器用な気遣いが、胸へ静かな温もりを残した。


「シリル様も、どうか無理はなさらないでくださいね」


「ああ」


短い返事だった。けれどエレノアには、それがただの相槌ではないように聞こえた。





昼を過ぎる頃には、必要な物資もほぼ揃っていた。


医療用品。縄と照明具。簡易の測量器具。食料と飲料水。エリオットは一覧と実物を照らし合わせ、足りないものがないかを確認している。


その隣では、ダリウスが護衛隊の編成表へ目を通していた。


今回、祭壇へ向かうのは主要な探索隊だけではない。国王の周囲を固める護衛、石板を運搬する騎士、森の外縁を警戒し退路を確保する別働隊や荷馬車を管理する者など。すべてを合わせれば、これまでの遠征よりも多い人数になる。


だが、祭壇の中心部へ進む者は限られていた。大勢が一度に遺構へ足を踏み入れれば、未知の仕掛けを不用意に作動させる恐れがある。


「森の入口で、部隊を二つに分ける」


ダリウスが全員へ告げた。


「外周警戒班は、祭壇から十分な距離を取って待機。周囲へ何者も近づけるな。撤退の合図は赤。王城へ至急報告を送る場合は黒。目的地を確認し、問題なく進行している場合は白だ」


各隊へ信号筒が配られる。意味と手順を、全員が順に復唱した。


「何があろうと、単独で動くな。これは王国の行く末を左右する任務だ。」


居並ぶ騎士たちをダリウスは改めて見渡す。


「だが、成果のために誰かを切り捨てるつもりはない。全員で行き、全員で戻る」


「はっ」


騎士たちの返答が、中庭へ一つに重なった。





準備を終えた夕暮れの王城には、束の間の静けさが戻っていた。


エレノアは研究室に残り、明日持ち出す資料を最後にもう一度確かめていた。入口には護衛の騎士が控えているが、室内にいるのは彼女一人だけだ。


必要なものはすでに革鞄へ収めてある。それでも、四枚の石板から読み解いた文章をもう一度見返さずにはいられなかった。


『資格ある者は導く者。』

『知識は未来を照らす。』

『勇気は道を拓く。』

『信頼は人を結ぶ。』

『四つ揃いし時、未来へと繋がる。』

『真実は石に刻まれる。』

『鍵は揃った。鍵を在るべき処へ還せ。』


四つの役割、四枚の石板、そして、星環の祭壇。

すべてが揃えば、未来へ繋がる。けれど、その先で何が起きるのかは分からない。


「……未来へ」


小さく呟いた時、扉が二度叩かれた。


「エレノア嬢。いるか」


聞き慣れた、低い声だった。


「はい。どうぞ」


扉が開きシリルが入ってくる。

腰には剣を帯び、濃紺の隊服の上から軽い外套を羽織っていた。


「まだいたのか」


「シリル様こそ」


「見回りだ」


そう答えながら、机に広げられた資料を見る。


「準備は」


「終わっています。少し確認していただけです」


「もう休め」


「はい。これを読み終えたら」


シリルは返事をしなかった。ただ、エレノアの顔へ視線を向ける。疲労が残っていないか確かめているのだろう。


やがて机へ近づくと、開かれていた写しの上へ文字を覆い隠すように手を置いた。


「今だ」


「……分かりました」


こういう時は抗っても譲らないことは、もうよく知っている。

エレノアは素直に資料を閉じた。


「明日は、いよいよですね」


「ああ」


「この任務も、これで最後まで果たせるのでしょうか」


シリルはすぐには答えなかった。


窓の外へ視線を向けると、白亜の建物の間を巡る運河が薄紫色の空を静かに映している。


やがて、低い声が落ちた。


「成し遂げる」


願いではなかった。そうなることを期待しているのでもない。


必ず果たすという、揺るぎない決意だった。


エレノアは小さく頷く。


「はい」





シリルの視線がエレノアへ戻った。


明日、星環の祭壇へ向かう。


四枚の石板を還し、王国を蝕み始めた水不足の原因を突き止める。


その先で、ただ一つ、決めていることがあった。





「エレノア嬢」


「はい」


呼びかけたものの、続く言葉はすぐには出なかった。


エレノアが不思議そうに彼を見上げる。


シリルはほんの僅かに目を伏せた。


「……この任務が終わったら」


胸の内に秘めてきた思いの、


ごく一部だけを口にする。



「話したいことがある」



エレノアの翡翠色の瞳が僅かに見開かれた。


「私に、ですか?」


「ああ」


「今では、いけないのでしょうか」


「今は任務が先だ」


いかにも彼らしい答えだった。けれどその声音には、任務の報告や相談とは異なる静かな重みがあった。


エレノアはそれ以上を尋ねず、柔らかく微笑む。


「分かりました。では、皆さんで無事に戻らなければなりませんね」


「ああ」


シリルの返事には、一片の迷いもなかった。


「必ず戻る」


それは任務を果たすという誓いであり、同時に、エレノアへ交わした約束だった。


「はい。では――」


ほんの少しだけ、楽しみにするようにエレノアが目を細める。


「無事に戻ったら、聞かせてください」


シリルの青い瞳が僅かに和らいだ。


「……ああ」


彼はそれ以上何も言わない。

机の灯りを消し、エレノアが部屋を出るまで扉のそばで待つ。そして、いつものように彼女の半歩前へ立ち、歩き始めた。





明日の夜明け。


彼らは、星が示した最後の場所へ向かう。



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