73話 四つの鍵を担う者
73話 四つの鍵を担う者
王城の会議室には、重い緊張が満ちていた。
円卓の中央には、王城地下の旧記録庫から運ばれた一冊の古い調査記録が置かれている。表紙には題名すらない。革紐は切れかけ、紙の端は長い年月によって脆く変色していた。
それでも、その一冊に残された記録が、長い年月のあいだ失われていた道を再び現代へ繋いだのだ。
円卓の上座には、レオンハルト・リーヴェル国王。その傍らには宰相、そしてこの任務の全容を知る者が、一堂に会していた。
全員が揃ったことを確認し、ダリウスが口を開く。
「報告を。」
エレノアは席を立ち、胸元へ抱えていた星図の写しを円卓へ広げた。その隣へ、アルヴィンが古い調査記録を置く。
「四枚の石板を発見した順に並べたところ、縁へ刻まれていた文様が一つに繋がりました」
エレノアは、写し取ってきた石板の配置図を示す。
中央に一つの点。その周囲を囲む四つの点。そして、西へ伸びる一本の線。
「この図は、星鏡庭園に残されていた星図と一致します」
宰相が二枚の図を見比べる。
「星図が、地上の場所を示していたということか」
「正確には、地図そのものではありません」
指先を星図の中央へ置く。
「遥かな未来へ道を残すため、古代の人々は地図ではなく、星を道標にしたのではないかと考えました」
王は星図へ視線を落としたまま、静かに尋ねる。
「その星が示す場所を、見つけたのだな」
「はい」
エレノアの声には、確かな力があった。
アルヴィンが古い冊子を開く。そこに現れたのは、荒い筆致で描かれた森と三つの丘。その間を流れる川は、途中で二つに分かれた後、再び一つへ合流している。さらに頁をめくれば、森の奥に残された円形の遺構が描かれていた。
「こちらは、リーヴェル王国建国初期に行われた国土調査の覚え書きです」
アルヴィンが説明する。
「記録によれば、王都の西門から旧街道を進み、三つの丘を目印に南へ折れた森の奥に、年代も用途も不明な円形遺構が存在するとあります」
エリオットが現在の地図を円卓へ広げた。
「調査記録の距離と方角を、現在の地図へ照合しました」
指が王都から西へ滑る。
「この辺りです」
王都西方。現在の地図では、ただ西の森とだけ記された場所。村も街道もなく、遺跡の印もない。
「馬であれば、およそ一時間」
「近いな」
ガレスが地図へ目を落とす。
「それほど王都に近い場所が、これまで知られていなかったのか」
アルヴィンが頷いた。
「旧街道はとうに失われています。古い記録にあった川も、片方はすでに枯れ、現在の地図には残っていません。円形遺構自体も、当時の調査官から用途のないものと判断されたのでしょう。正式な地図から省かれ、そのまま忘れられたと考えられます」
クラウディアは調査記録の写生へ目を凝らす。
「石柱が円を描いているようですね」
「はい」
エレノアは記録の最後の一節を指した。
「調査官は、石柱の配置が夜空の星の環に似ていたことから――」
一度、言葉を切る。
「その場所を『星環の祭壇』と仮称しています」
星環の祭壇。
その名を、全員が胸の内で確かめるような沈黙が広がった。
レオンハルトは現在の地図と星図をしばらく見比べた後、ゆっくりと背を起こす。
「石板が示した『在るべき処』が、その祭壇である可能性は」
アルヴィンが答えた。
「極めて高いと考えます」
エレノアも頷く。
「石板の図、星鏡庭園の星図、古い地形記録。その三つが、同じ場所を示しています。偶然とは考えられません」
王の視線が、円卓を囲む一人ひとりへ向けられた。
「四枚の石板を、星環の祭壇へ運ぶ」
その決断には王命としての揺るぎない重みがあった。
「現地を確認し、石板が示す『在るべき処』であると判断できた場合は、これを還す」
「はっ」
騎士たちの返答が重なる。
そしてレオンハルトの視線は、円卓に置かれたもう一枚の紙へ移った。
四枚の石板を通して読み直すことで、その繋がりが見えてきた七つの言葉。エレノアが書き写した古代文字と、その下へ添えた訳文。
『資格ある者は導く者。』
『知識は未来を照らす。』
『勇気は道を拓く。』
『信頼は人を結ぶ。』
『四つ揃いし時、未来へと繋がる。』
『真実は石に刻まれる。』
『鍵は揃った。鍵を在るべき処へ還せ。』
王が静かに問う。
「ただ石板を運ぶだけでは足りぬのか」
「……おそらくは」
エレノアは答えた。
「四枚の石板が、それぞれ異なるものを示していることは確かです。そして、この文章は石板そのものだけでなく、それらに応じる者についても記しているのではないかと考えています」
ダリウスが腕を組む。
「四枚の鍵と、それに応じる者か」
「はい。まず、『資格』ですが――」
会議室の空気が、わずかに引き締まる。
「第一の石板が示していたのは、『資格』でした。ですが、その資格が何を意味するのかは、これまで分かりませんでした」
エレノアは第一の石板の写しへ目を向けた。
「第一の石板に刻まれた『資格』と、四枚を通して見えてきた『資格ある者は導く者』という言葉。」
そこで区切り、アルヴィンへ視線を向けた。彼が続ける。
「ヴァレシア王国建国以前の伝承には、『水を導く者』と呼ばれた一族について、僅かな記録が残されています。その一族は、水を求める人々へ分け与えた。人々はその働きに感謝し、その長を争いを収める統率者として仰いだ」
「そして彼は、後に初代ヴァレシア王となったと伝えられています」
宰相が目を細める。
「王であったから資格を得たのではない」
アルヴィンは頷いた。
「はい。おそらく順序は逆です。人々の命を支えるものを守り、未来へ繋ぐ責任を負う者だったからこそ、王へ推された」
エレノアはレオンハルトへ向き直った。
「石板が求める『資格』は、王家の血そのものではないと思います。国と民の未来を背負い、皆を導く責任を引き受ける者――」
エレノアは一度言葉を切り、レオンハルトをまっすぐ見た。
「初代ヴァレシア王も、王であったから“導く者”だったのではなく、人々を導いたからこそ王となったのでしょう」
そして静かに続ける。
「今のリーヴェル王国で、その責任を最も重く背負っておられるのは――陛下です」
誰もすぐには言葉を発さなかった。
レオンハルトの表情にも、大きな変化はない。だが、円卓へ置かれていた手が、わずかに強く握られた。
「民の未来を背負う者、か」
低く呟く。
「石板が私を認めるかどうかは分からぬ……。だが、その責任から退くつもりはない」
穏やかな声だった。それでも、その一言に疑いを差し挟む者はいなかった。
第一の石板――『資格』。その役割を担う候補は、レオンハルト王。
まだ遺跡に認められたわけではない。だが、その意味へ最も近い人物であることに、異論はなかった。
「次は、『知恵』です」
エレノアが口にすると、アルヴィンが彼女へ目を向け、続けて口を開いた。
「第二の石板が示したのは『知恵』です。そして四枚を通して読み直した文には、『知識は未来を照らす』という言葉がありました。私は、エレノア嬢を指していると思います。」
エレノアは自分自身を示すということには、躊躇があった。
古代文字を読める。父から受け継いだ知識がある。
それは事実だ。けれど、自分こそが石板にふさわしいと、自ら断定することはできなかった。
その迷いを察したように、アルヴィンが穏やかに口を開く。
「知識を持つだけなら、学者は他にもいます」
「しかし、古代の言葉を読み、その意図を理解し、現代へ伝えてきた者は一人しかいません」
エレノアが小さく目を見開く。
「エレノアさん。あなたです」
「知識を持つ者なら他にもいる」
レオンハルトも静かに告げた。
「だが、失われた知識を読み解き、それを己のものとせず、未来へ渡そうとしてきたのはエレノア、そなただ。知恵の石板が求める者として、これ以上の候補はいないだろう」
「ですが……」
思わず言葉が漏れる。
その時、隣から低い声が届いた。
「君以外には読めない」
シリルだった。
青い瞳が、迷いなくエレノアを見ている。
「これまで道を示したのも、君だ」
短い言葉。けれど、それ以上の説明は必要なかった。
シリルが、自分の知識と判断を疑うことなく信じている。その事実が、エレノアの迷いを静かに押し戻した。
「……分かりました」
エレノアは胸元で手を重ねる。
「石板が私を選ぶかは分かりません。ですが、私にできることがあるのなら、必ず務めます」
レオンハルトが頷いた。
「頼んだぞ、エレノア」
「はい」
第二の石板――『知恵』。その候補は、エレノア。
続いて、第三の石板の写しへ視線が集まる。
『勇気』。
エレノアの胸に、これまでの旅が蘇った。
襲い来る石像。泉に潜んだ巨大な黒い影。落ちてしまいそうなほど細い橋。魔物の群れ。どれほど危険が迫っても、自分の半歩前から動かなかった騎士。
恐れを持たないのではない。大切なものを失う恐怖を知りながら、それでも一歩を踏み出す。
第三の試練が示した勇気。
「第三の石板が示すのは……」
エレノアは自然と、シリルへ目を向けていた。その視線を受け、シリルの眉がわずかに動く。
「シリル様だと、私は思います」
静かだが、迷いのない声だった。
「私は、これまで何度もシリル様に道を拓いていただきました。そして危険が迫るたび、必ず私たちより先へ立ってくださいました」
「それは任務だ」
いつもの答えだった。だが、エレノアは首を横へ振った。
「任務であっても、誰にでもできることではありません。第三の試練が示した勇気は、恐れを知らないことではありませんでした。大切なものを守るために、恐れを抱えたまま、それでも前へ進むことです」
シリルの青い瞳が、僅かに揺れる。
エレノアはそれ以上踏み込まなかった。代わりに、まっすぐ彼を見る。
「私は、その言葉に最も近いのはシリル様だと思います」
シリルはすぐには答えなかった。
「俺だけが戦ったわけではない」
やがて口にしたのは、やはり自分を誇る言葉ではなかった。
「ガレス副団長も、クラウディアも、オーウェンも、リアナも同じだ」
ガレスが静かに口を開く。
「だが、第三の石板が求めるのは、戦った者すべてではないだろう。道を拓いた者だ」
クラウディアも頷く。
「少なくとも私たちの中で、常に最も危険な場所へ立ち続けたのはあなたです」
「そうだな」
オーウェンが、珍しく冗談を挟まずに言う。
「俺たちも戦った。だが、エレノア嬢の前に立ち、進む道を拓いたのはお前だ」
リアナもシリルを真っ直ぐ見た。
「私も異論はないわ」
仲間たちの言葉を受けても、シリルは表情を変えなかった。
ただ、一度だけエレノアへ視線を向ける。彼女が本気でそう考えていることを確かめるように。
やがて、短く答えた。
「……分かった」
第三の石板――『勇気』。その候補は、シリル。
そして最後。
第四の石板――『信頼』。
その言葉が口にされただけで、蒼鏡の水殿での出来事が全員の胸へ蘇った。
二つに分かれた水路、偽りの声、見分けのつかない姿。
自分の目や耳ではなく、仲間の言葉と、これまで積み重ねてきた行動を信じなければ越えられなかった試練。
だが、第四の石板が示す信頼は、あの試練だけに限らない。
棘牙狼との戦いでも、これまでの探索でも。前へ出る者は、背後を任せた。後ろに残る者は、前線が必ず敵を止めると信じた。
誰か一人の力ではない。それぞれ異なる役目を担う六人が、互いに命を預けた結果だった。
「信頼は、一人へ向けられたものではないと思います」
エレノアが静かに告げる。
「第四の信頼の試練を越えたのは、誰か一人の力だけではありませんでした」
互いを確かめることさえできない状況で、それでも六人は、それぞれが自分の役目を果たすと信じて進んだ。
「そして石板を受け取った時も、遺跡が認めたのは私たち六人でした。ですから、『信頼』が示しているのは、一人の人物ではなく――あの試練を越えた六人の結びつきなのだと思います」
レオンハルトが静かに頷いた。
「ただし、星環の祭壇で一人の担い手を求められる可能性はある」
「はい。ですが、それは石板が実際に何を求めるのかを見なければ分かりません」
近衛騎士団の誰か一人を選ぶことは、本来できないはずだった。信頼とは、二人以上の間に生まれるものだからだ。
しかし、もし石板を納める際に一人の代表を求められるなら、あらかじめその役を定めておく必要がある。
沈黙の中、ダリウスが口を開いた。
「ならば、代表を一人定めておく」
全員の視線が団長へ集まる。
「ガレス」
「はっ」
「第四の試練では、お前が六人を率いた」
ダリウスは真っ直ぐ副団長を見る。
「現地で一人の担い手を求められた場合は、お前が六人を代表して信頼の石板の担い手として立て」
「団長……私が、ですか。」
ガレスの目が、僅かに見開かれた。
「信頼そのものは六人に属する。だが、もし一人を立てる必要があるなら、六人全体を見ていた者が務めるべきだ」
ダリウスの視線がガレスへ向く。
「蒼鏡の水殿で、お前は誰か一人だけを見ていたわけではない。全員の位置を見て、判断を束ね、六人を前へ進ませた。六人の信頼を一人へ集めるなら、お前が最も相応しい」
彼はすぐには返事をせず、仲間たちを見渡す。
まず、エレノアへ。そして、隣に座る騎士たちへ視線を移した。共に第四の試練を越えた者たち。
その中には、長く同じ剣を掲げ、幾度も命を預け合ってきた仲間もいる。
クラウディアが静かに頷く。
オーウェンも、いつもの軽さを消して顎を引いた。
リアナの表情にも迷いはない。
最後にシリルと視線が重なる。言葉は交わさない。
誰の表情にも異論はなかった。
やがてガレスはゆっくりと立ち上がり、胸へ掌を当てる。
「承知しました。六人の信頼を預かり、務めを果たします」
ダリウスは一度だけ頷いた。
それは団長から副団長への命令であり、同時に、背中を預けてきた仲間たちへの信頼そのものだった。
四つの役割を担う者たちが定まった。だが、それはあくまで今ある手掛かりから導いた答えにすぎない。
本当に正しいのかを決めるのは――星環の祭壇そのものだ。
レオンハルトは席を立つ。
その動きに合わせ、全員が姿勢を正した。
「星環の祭壇へは、私も向かう」
宰相が僅かに眉を寄せる。
「陛下」
「資格が私を示すというのなら、他人へ任せることはできぬ」
王の声は穏やかだったが、決意は固い。
「国と民の未来を背負う資格だというのであれば、なおさらだ」
ダリウスが静かに頭を下げる。
「では、王城警備を残したうえで、陛下の護衛を含む特別編成を組みます」
「任せる」
「はっ」
王は最後に、エレノアへ視線を向けた。
「出発はいつがよい」
問いを受け、エレノアは地図と古い調査記録へ目を落とした。
森の状態、失われた旧道、四枚の石板を運ぶ準備。現地で何が起こるか分からない以上、必要な確認は多い。
「可能であれば、一日だけ準備のお時間をいただきたいです」
「よい」
王は全員を見渡す。
「明後日の夜明けに出発する。四枚の石板を、星環の祭壇へ還す」
「はっ」
力強い返答が、会議室へ重なった。
王都から西へ馬でおよそ一時間。
長い年月、深い森の中で忘れられてきた円形遺構へ、四枚の鍵とそれぞれの役目を背負う者たちが向かう。
その先に、王国から水が失われようとしている理由があるのか、未来へ繋がる道が本当に残されているのか。
答えはまだ、誰にも分からない。
それでも彼らは進む。
数千年という時を越え、星が示し続けてきた場所へ。




