71話 四つの鍵
71話 四つの鍵
王城内に設けられた研究室では、朝から紙をめくる音が途切れることなく続いていた。
数千年という時を越えてきた四枚の石板は、ただ静かに、読み解かれる時を待っていた。
再検証を始めてから数刻。窓から差し込む陽が高くなり、昼に差しかかろうという頃だった。
「……アルヴィン先生。こちらを見ていただけますか?」
「何か分かりましたか?」
アルヴィンがすぐ隣へ移ると、エレノアは二枚の紙を並べた。
一枚には、四枚の石板そのものへ刻まれた文章を、取得した順に書き写したもの。もう一枚には、それぞれの遺跡で確認した碑文から、石板の文言と共通する語句を抜き出してまとめてある。
「四枚の石板と、それぞれの遺跡に残されていた碑文を改めて照らし合わせていたのですが……同じ意味を持つ言葉が、いくつか繰り返し使われています」
アルヴィンの表情が引き締まる。
「四つの試練を結ぶ言葉ですか?」
「おそらく。」
エレノアは第一の石板から、順に視線を移した。
「一枚ずつでは、それぞれの試練について記されたものに見えます。ですが四枚を順に読み直すと……まるで、一続きの文章のようにも読めるんです」
護衛として壁際に控えていたシリルも、静かに視線を向けた。
エレノアは、一文字ずつ確かめながら読み上げる。
「――『資格ある者は、導く者』」
アルヴィンが小さく息を呑む。
「“導く者”……。知恵の祠にもあった言葉ですね。」
「はい。」
ただし、それが具体的に誰を指すのか。何を導く者なのか。そこまでは記されていない。
今ここで、決めつけるべきではないだろう。
エレノアは次の行へ進んだ。
「『知識は、未来を照らす』」
第二の石板――『知恵』。
知恵の祠で示されたのは、得た知識を抱え込まず、次の世代へ繋ぐことだった。
「知ることそのものではなく、得たものを未来へ役立てることを意味しているのでしょうか。」
「その可能性は高そうですね。」
アルヴィンが頷く。
続く一文。
「『勇気は、道を拓く』」
第三の試練で問われたもの。
恐れを知らないことではない。恐れを知ったうえで、それでも先へ進むこと。
エレノアは一瞬だけシリルへ視線を向けた。だが、すぐに石板へ戻す。
今ここで、この言葉を特定の誰かへ結びつける必要はない。重要なのは、四つの言葉が異なる意味を持ちながら、同じ目的へ繋がっているらしいことだった。
そして四つ目。
「『信頼は、人を結ぶ』」
蒼鏡の水殿での試練が、鮮やかに蘇る。
互いの姿も、声も。時には、自分自身の判断さえ疑わされる中、それでもこれまで積み重ねてきたものを信じて進んだ。
「四枚には、それぞれ異なる意味が託されています。」
エレノアは石板を一枚ずつ辿るように視線を移した。
「資格。知恵。勇気。そして信頼。別々の試練に見えていましたが……最初から、一つへ繋がるためのものだったのでしょうか。」
さらに下の行へ視線を移した。そこには、それまでの四つを結ぶように、短い文章がまだ続いている。
「――『四つ揃いし時、未来へと繋がる』」
エレノアはさらに続きを読む。
「――『真実は石に刻まれる』」
そこで一度言葉を止めた。
これまでは碑文そのものを指す言葉だと思っていたが、なぜか今日は、その一文が妙に心へ残った。
ふと、エレノアは第一の石板へ目を向ける。その裏には、今も意味の分からない『980』という数字が刻まれている。
四枚すべてが揃った今なら何か分かるかとも思ったが、ほかの三枚に数字はなく、それに繋がる記述も見つからなかった。結局、『980』は、いまだ何を示すものなのか分からないままだった。
けれど今は、それ以上の答えは出ない。エレノアは最後に、第四の石板へ新たに現れた言葉を重ねる。
「――『鍵は揃った。鍵を、在るべき処へ還せ』」
別々の場所へ残されていた四枚の石板。
それぞれが異なる意味を持ちながらも、最初から一つの目的へ向けて用意されていた。
四枚の石板を集めることは、終着点ではない。四つを揃え、その先へ進む。それこそが、本来の目的なのだ。
だが――。
「やはり、肝心なことが書かれていません。」
アルヴィンも石板を見つめる。
「“在るべき処”がどこなのか、ですね。」
「はい。」
具体的な地名も、方角も、そこへ至る道もない。
蒼鏡の水殿で見つけた装置や、知恵の祠の壁画に描かれていた巨大な水路装置が関係している可能性は高い。
けれど、その場所がどこにあるのかだけは、依然として分からなかった。文章に答えがないのなら、ほかに、何が残されているのだろう。
その時、エレノアの視線が石板の縁で止まった。
ごく細い線。装飾にしては不規則で、途中で途切れている。
隣の第一の石板にも、同じような線があった。
「アルヴィン先生。」
「はい。」
「四枚の石板は、すべて同じ大きさでしたね。」
唐突な問いに、アルヴィンは少し驚きながら頷いた。
「ほぼ同じだったはずです。」
「四枚を、碑文に示されていた順に並べてみてもよろしいでしょうか。」
「資格、知恵、勇気、信頼ですね。」
「はい。」
エレノアは四枚を順に見つめた。
「私たちは、最初からこの順に辿るよう導かれていました。ならば石板そのものにも、この順序でなければ成立しない仕掛けが残されているのかもしれません。」
アルヴィンの表情が変わる。
「試練の順序そのものも、鍵の一部だった可能性がある、と。」
「はい。この線を見てください。」
エレノアは『資格』の石板、その右端へ指を近づけた。
「ここで途切れています。そして『知恵』の石板には、同じ高さから始まる線がある。」
アルヴィンが二枚を見比べ、息を呑む。
「……確かに。」
「資格、知恵。まず、この二枚を合わせてみたいのです。」
壁際にいたシリルがエレノアたちに近づき、尋ねる。
「どこへ動かす。」
「まず、『資格』と『知恵』の縁同士を合わせてください。」
シリルは石板そのものには触れず、石板を載せた可動式の台座を慎重に動かした。
まず『資格』と『知恵』。
石板の縁が並んだ瞬間、途切れていた細い線が、まるで最初から一本だったかのように繋がった。
「……繋がっています。」
エレノアの声に、微かな興奮が滲む。
さらに、繋がった線を辿る。その先は『知恵』の下端で途切れ、『勇気』の石板に刻まれた線へ続いていた。
「次は、ここです。」
『知恵』の下へ『勇気』を置くと、今度はその左端から伸びた線が、二枚の石板の下にもう一つの繋がりを求めるように途切れた。
エレノアは残された『信頼』へ目を向ける。
「最後は――ここです。」
三枚が作った空白を埋めるように、最後の台座が寄せられていく。
『信頼』の石板が定まった、その瞬間だった。
それまで一枚ごとには意味を成さなかった線と点が、石板の境目を越えて繋がった。
外縁だけではない。表面へ散らばっていた曲線や小さな点までもが、一続きの図として姿を現している。
「あ……。」
エレノアが小さく息を呑む。
中央に一つの点。
それを囲むように、四つの点。
点同士を結ぶ細い線。
円環を描く曲線。
そして、その外側へ伸びる幾筋もの印。
アルヴィンが息を呑んだ。
「これは……配置図でしょうか。」
「地図にも見えます。ですが……。」
山も、川もない。距離を示す目盛りもなければ、方角を示す印もない。普通の地図とは明らかに違っている。
エレノアは中央の点から、周囲の四点へ視線を移した。
なぜだろう。
初めて見るはずの図なのに、奇妙な既視感がある。中央を囲む四つの点。そこから外へ伸びる細い線。円を描くような配置――。
不意に、記憶の中へ夜空が蘇った。
石造りの庭園。
足元に描かれた無数の星。
星と星を結んでいた、細い線。
エレノアが息を呑む。
「……星鏡庭園。」
アルヴィンが勢いよく顔を上げた。
「星図ですか。」
「はい。星鏡庭園で記録した星図と、似ています。」
エレノアは資料棚へ向かい、高い位置に収めてある一本の筒へ手を伸ばした。
だが指先が届くより先に、背後から伸びた手がそれを取る。
「これか。」
「ありがとうございます。」
筒から取り出した星図の写しを、四枚の石板の傍らへ広げる。
中央に大きな星。その周囲を巡る四つの星と、さらに外へ伸びる細い星の連なり。
エレノアは石板と星図を何度も見比べた。やがて紙の向きを少しずつ変え、中央の星を石板の中央点と同じ向きへ合わせていく。
「……待ってください。」
アルヴィンも反対側から二つの図を追う。
「その角度なら……。」
「四つの点の位置が一致します。」
さらに一つずつ照合していくほど、偶然とは思えない一致が増えていった。
「……同じです。」
アルヴィンの声が僅かに震えた。
エレノアも、二つの図から目を離せない。
「星鏡庭園の星図は、ただ星の配置を記したものではなく……別の何かを伝えるための図だったのかもしれません。」
外側へ伸びる一本の線の先には、星図にも石板にも、まだ意味の分からない小さな印が残されている。
エレノアは、その一点を見つめた。
もし、この星の配置が地上のどこかと対応しているのなら、この印にも必ず意味がある。胸の鼓動が、少しずつ速くなる。
「アルヴィン先生。」
「ええ。」
彼も同じところへ辿り着いたのだろう。驚きに揺れていた瞳が、すでに次の手掛かりを追い始めている。
「古地図が必要です。」
「ヴァレシア時代のものを、可能な限り集めましょう。」
エレノアは静かに頷いた。
石板が示した図と、星鏡庭園に残されていた星の配置。
二つは、確かに一致していた。
だが、答えへ辿り着くには、まだ最後の一片が足りない。
数千年前の地上に何があり、外側へ伸びる線の先に記された名もなき一点が、何を示しているのか。
それを知るためには、さらに過去を遡らなければならない。
研究室の中央では、四枚の石板が静かに一つの星環を描いていた。




