70話 在るべき処
70話 在るべき処
数日の休暇が明けた朝。
王城の一室には、重い静けさが満ちていた。
円卓を囲むのは、この極秘任務に関わる者たちだけ。
上座には、国王レオンハルト・リーヴェル。その傍らには宰相が控えている。
近衛騎士団からは、団長ダリウス、副団長ガレス、補佐官エリオット。そしてシリル、クラウディア、オーウェン、リアナ。
さらに、エレノアとアルヴィンも席についていた。
全員が揃ったことを確認すると、ダリウスが静かに口を開く。
「会議を始める。まず、各地の状況からだ」
低く、よく通る声が室内へ響いた。
視線を向けられたエリオットが一礼し、手元の報告書を開く。
「遠征隊の帰還後も、各領から水に関する報告が続いております。本日朝までに届いたものをご報告いたします。」
一枚、紙をめくる。
「北部二領では、井戸の水位がさらに低下。東部では農業用水の不足が深刻化し、一部地域では今後の作付けを見合わせる動きが出ています。」
さらに一枚。
「南部でも河川の流量減少が続いており、新たに二つの集落で井戸の水位低下が確認されました。」
室内へ、重い沈黙が落ちた。
「現時点で、暴動や飢饉といった大きな混乱は発生しておりません。ですが――」
エリオットは報告書へ視線を落としたまま続ける。
「低下した水位が回復したという報告は、一件もありません」
宰相が静かに口を開く。
「各領主は備蓄と配給によって民を支えております。しかし、それも長くは持ちません。この状態が続けば農作物への影響は避けられず、さらに長期化すれば、いずれ王都へ運び込まれる穀物や物資にも影響が及ぶでしょう」
レオンハルトは、高窓の向こうへ目を向けた。
王都の運河は、今日も変わらず水を湛えている。穏やかな水面には朝の光が揺れ、小舟が静かに行き交っていた。
だが、それは王都の景色だ。
王国の各地では、確かに水が失われ始めている。
「……伝承の通りになりつつある、ということか。」
宰相は重く頷いた。
「否定できません。時間は、もはや多く残されていないものと考えるべきかと」
宝物庫の古文書に記されていた――“国から水が失われる”という伝承。
それはもう、遠い未来の話ではない。
ゆっくりと、だが確実に、現実へ変わり始めている。
そのことを、この場にいる誰もが理解していた。
やがてレオンハルトは窓から視線を戻した。
「……本題へ移ろう。」
深青の瞳が、エレノアへ向けられる。
「第四の石板に現れた言葉を、もう一度報告せよ。」
エレノアは静かに立ち上がった。
「はい。」
一度呼吸を整え、はっきりと告げた。
「第四の石板には、『鍵は揃った。在るべき処へ還せ』と現れました。」
その言葉が、静かな室内へ落ちる。
円卓の上には、四枚の石板から取った拓本と、これまでの調査記録が広げられていた。
アルヴィンがそれらへ目を落とし、顎へ手を添える。
「“鍵”とは、やはり四枚の石板を指していると考えるのが最も自然でしょう。」
ガレスも頷いた。
「私も同意見です。問題は――どこへ還すのか、でしょう」
再び沈黙が落ちた。
その時、エレノアの脳裏へ一つの光景が蘇った。
北の知恵の祠。
暗い石室の壁一面へ刻まれていた、大地を巡る水の流れ。その中心に描かれた、巨大な装置。
そして、その周囲に配置されていた四つの長方形。
「……知恵の祠の壁画。」
小さな呟きに、アルヴィンが顔を上げる。
「四つの石板と、あの巨大な装置ですね。」
「はい。」
エレノアは頷いた。
「あの壁画には、大地を巡る水と、その中心に置かれた大きな装置が描かれていました。そして、その周囲には四つの長方形があった。」
宰相が目を細める。
「当時は、それが石板を示しているのか断定できなかったな。」
「はい。ですが今は、実際に四枚の石板が揃っています」
アルヴィンも壁画の模写と拓本を見比べる。
「数は一致しています。形状も、壁画に描かれた四つの長方形と酷似している。当時は材料が足りませんでしたが、今なら、あれがこの四枚を示していた可能性はかなり高いと考えてよいでしょう」
クラウディアが壁画の模写へ視線を向ける。
「では、その中央に描かれていた装置へ、四枚の石板を戻す……ということでしょうか。」
「可能性はあります。」
エレノアは答えたものの、すぐに言葉を継いだ。
「ただし、“在るべき処”があの装置であるとまでは、まだ断定できません。」
ガレスが腕を組む。
「あの壁画には、場所を示すものがなかった。」
「ええ」
今度はアルヴィンが答えた。
「あれは装置の役割を伝える図であって、地図ではありませんでした。周囲の地形も、方角も、所在を示す文字も残されていません。」
つまり、還すべきものは見え始めた。
だが、還すべき場所が、まだ見えない。
「もう一つ、気になります。」
エレノアが言うと、全員の視線が集まる。
「蒼鏡の水殿で発見した水路装置です。」
第四の石板を台座へ納めた時、装置の内部へ蒼い光が走った。
幾重もの輪を巡り、最後には一本の水路へ流れ込み、岩壁の向こう――どこか遠くへ消えていった。
そしてその直後、石板へ新たな言葉が現れた。
――『鍵は揃った。在るべき処へ還せ』。
「知恵の祠の壁画には、大地全体へ水を巡らせる巨大な仕組みが描かれていました。」
エレノアは慎重に言葉を選ぶ。
「蒼鏡の水殿で見つけた装置も、その仕組みの一部だったのではないでしょうか。」
アルヴィンが深く頷いた。
「その可能性は高いと思います。もし壁画の装置と蒼鏡の水殿の装置が、同じ地下水路網へ属するものなら――各地に残された遺跡や装置も、一つの巨大な仕組みの中で繋がっているのかもしれません」
ダリウスが円卓の資料へ目を落とす。
「四枚の石板。知恵の祠に描かれた巨大装置。そして、蒼鏡の水殿からどこかへ伸びていた水路」
そこで一度言葉を切った。
「これほど揃っていて、無関係と考える方が不自然か」
「はい。」
エレノアは頷いた。
「ですが、今の段階ではそれ以上のことは証明できません。」
レオンハルトは目を伏せ、しばらく黙っていた。
壁画。四枚の石板。地下へ伸びる水路。
すべてが、まだ輪郭の見えない一つの答えへ向かっている。
やがて王は顔を上げた。
「ならば、調べるしかない。」
その声に迷いはなかった。
「エレノア・アシュフォード。」
「はい。」
「四枚すべての石板を、改めて解析せよ。同時に、これまで訪れた遺跡の記録も一から洗い直す。」
「特に、知恵の祠の壁画。そして蒼鏡の水殿で発見した水路装置との関連を調べよ。」
「アルヴィンには引き続き、エレノアの補佐を任せる。必要な資料と人員は、すべてエリオットへ申し出よ。」
「近衛騎士団は、石板および両名の警護を継続する。」
「承知いたしました。」
ダリウスの返答に合わせ、騎士たちも姿勢を正した。エレノアとアルヴィンも揃って頭を下げる。
レオンハルトは、円卓を囲む者たちをゆっくりと見渡した。
「水は今も失われ続けている。四枚の石板が示す先に、事態を止める手立てがある可能性は高い。」
深青の瞳が、一人ひとりへ向けられる。
「必ず、その先を見つけ出してくれ。」
「はっ。」
力強い返答が重なった。
◇
会議を終えたエレノアとアルヴィンは、その足で研究室へ向かった。
中央の台座には、数千年の時を越え、別々の遺跡に残されていた四枚の石板が並んでいる。
その傍らには各遺跡で取った拓本や写し、古い地誌、父ローレンスの論文。
そして、知恵の祠で記録した壁画の模写も広げられていた。
大地を巡る幾筋もの水。その中心に描かれた巨大な装置。周囲に配された、四つの長方形。
エレノアは、しばらくその壁画を見つめた。
「……あの時は、まだすべての石板を見つけていませんでした。」
「ええ。」
アルヴィンも隣へ立つ。
「この四つの長方形が何を示しているのか、判断する材料がありませんでした。ですが、今は違います。」
四枚。すべてが、ここにある。
「最初から確認しましょう。」
「ええ。」
「石板だけではなく、これまで見てきたものを、すべて。」
まず、第一の石板に刻まれた文章を、一文字ずつ読み直す。
既に何度も読んだはずの言葉。だが、四枚が揃った今なら、意味の受け取り方が変わるものもあるかもしれない。
続いて第二、第三、第四の石板。
一つずつ照らし合わせていく。
同じ言葉はないか。繰り返される形はないか。これまでは意味を持たなかったものが、別の資料と並べたことで手掛かりへ変わらないか。
エレノアが古代文字を読み直し、その意味を書き留める傍らで、アルヴィンは各遺跡の記録や壁画、ローレンスの論文を照合していく。
窓の外では、薄い雲の向こうから淡い陽光が王都へ差し込んでいた。
エレノアは黙々と筆を動かす。
答えはまだ見えない。
けれど、これまで別々の場所で得た情報が、少しずつ一つへ結びつき始めている。
謎へ続く糸は――
確かに、彼女の指先へ触れ始めていた。




