↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
古代文字を読む令嬢は、無愛想な近衛騎士に守られる  作者: 橙華
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/103

49話 星降る野営地②―焚き火の夜―

49話 星降る野営地②―焚き火の夜―



鍋の水が温まると、エレノアは玉ねぎ、根菜、豆、細かく刻んだ干し肉を順に加えていった。


木杓子でゆっくりとかき混ぜるたび、甘い野菜と肉の香りが夕暮れの野営地へ広がっていく。


「いい匂いだな……」


薪を抱えて戻ってきたオーウェンが、大きく息を吸った。


「まだ出来上がっていませんよ」


エレノアが笑う。


「分かってる。だが、もう腹が鳴りそうだ」


そう口にした直後だった。


――ぐぅ。


小さく、けれど確かに音が響く。


一瞬、辺りが静まり返った。


次の瞬間、リアナが堪えきれずに吹き出す。


「本当に鳴った!」


「違う。今のは偶然だ」


「何と何が偶然重なったのよ」


「俺が話し終わった瞬間に腹が鳴っただけだ」


「それを鳴ったと言うのよ」


笑い声が広がる。


エレノアも思わず口元へ手を当てた。


「ふふ」


その笑顔を見たオーウェンは、諦めたように肩をすくめる。


「エレノア嬢に笑っていただけたのなら、恥をかいた甲斐もあるな」


「開き直ったわね」


「騎士は立ち直りが早いんだ」


「便利な言葉ね」


リアナが呆れたように笑う。


二人のやり取りを聞きながら、シリルは焚き火の傍らへしゃがみ込んだ。


炎が少し弱くなっている。


乾いた薪を一本加え、火の勢いを確かめる。橙色の炎がぱちりと音を立て、鍋の底を再び強く照らした。


「ありがとうございます。」


エレノアが礼を告げると、シリルは短く頷いただけだった。


思えば、彼はいつもこうしていた。


薪が減れば足し。水が足りなければ、頼まれるより先に桶を運ぶ。鍋が傾けば石を直し、火が強くなりすぎれば薪をずらす。


必要なことを見つけるたび、何も言わずに済ませてしまう。


(……護衛とは、本来ここまでしてくださるものなのかしら。)


一瞬そんな疑問が浮かんだものの、近衛騎士の務めを詳しく知るわけではない。何よりシリルは、誰かが困っていれば黙って手を貸す人だ。


きっと、そういう方なのだろう。


エレノアはそう納得し、再び鍋へ目を戻した。


少し離れた場所では、リアナが何とも言えない顔でその様子を眺めていた。しかし、口に出してもエレノアには通じないだろうと思ったのか、何も言わなかった。





「エレノア様」


クラウディアが保存用のパンを入れた袋を差し出す。


「こちらは、どういたしましょう」


「ありがとうございます」


エレノアは固く乾燥したパンを一つ取り出し、少し考えた。


「小さく割って、最後に少しだけ煮込みましょう」


「鍋へ入れるのですか?」


「はい。汁を吸えば柔らかくなりますし、煮込みにもとろみがつきます。ただ、早く入れすぎると形がなくなってしまうので、仕上げに」


「なるほど」


クラウディアが感心したように頷く。


その会話を聞いていたリアナも、感嘆の息をついた。


「勉強もできて、お料理もお上手で……エレノア様は本当に何でもできるのですね」


「そんなことはありません」


エレノアは慌てて首を横へ振る。


「失敗もたくさんしています」


「例えば?」


「父へ、塩と砂糖を間違えた麦粥を出したことがあります」


一瞬、全員の動きが止まった。


オーウェンが恐る恐る尋ねる。


「……ローレンス卿は、それを召し上がったのか?」


「はい」


エレノアは少し申し訳なさそうに眉を下げた。


「『今日は少し甘い味つけだね』と仰って、全部食べてくださいました」


「全部……」


「食べ終わるまで、私も間違いに気づかなくて」


皆の想像を超える話だったらしい。


しばらく沈黙が落ちたあと、リアナが柔らかく笑った。


「お優しいお父様ですね」


「はい」


エレノアも懐かしそうに微笑む。


「そのあと母に教えられて、慌てて謝りました。それ以来、味見だけは必ずするようになったんです」


「お父様のおかげで、味見の習慣がついたのですね」


クラウディアの言葉に、エレノアは頷いた。


「はい。あの失敗だけは、忘れられませんから」




そう言って鍋をかき混ぜる姿は、どこか楽しげだった。


焚き火の明かりを受け、蜂蜜色の髪が柔らかく輝いている。


シリルは森へ警戒の目を向けながらも、時折その姿へ視線を戻していた。


遺跡の中で古代文字へ向き合うときとは違う。


肩の力を抜き、皆の言葉へ笑い、家族の思い出を穏やかに語る。


彼女が笑うだけで、胸の奥の張り詰めたものまでほどけていくようだった。


「シリル」


いつの間にか、オーウェンが隣へ立っていた。


「見張りを交代するか?」


「まだいい」


シリルは森へ視線を向けたまま答える。


オーウェンは一度、焚き火の傍らへ目をやった。


「そうか」


わずかに笑う。


「まだ、ここにいたいらしいな」


シリルの視線が鋭く向けられる。


「何の話だ」


「鍋だよ。腹が減ってるんだろ」


「余計なことを言うな」


「はいはい」


オーウェンは楽しそうに肩をすくめ、その場を離れていく。


シリルは再び森へ向き直った。


だが、しばらくしてまた、鍋の向こうにいるエレノアへ視線を戻した。





空が群青へ変わり始めた頃。


エレノアは最後に割った保存パンを鍋へ加え、ゆっくりとかき混ぜた。汁を吸ったパンが柔らかくなり、煮込みへほどよいとろみがついていく。香草を指先ですり潰し鍋へ落とすと、香りが一段と深くなった。


木杓子で少量をすくい、息を吹きかけてから味を見る。


「……大丈夫です」


ほっとしたように微笑む。


「できました」


その一言に、野営地のあちこちから声が上がった。


「待ってました!」


「ようやく夕食ね」


「良い香りだ」


木の器へ煮込みが盛られ、一人ずつ手渡されていく。交代の見張りを残し、騎士も学者も焚き火の周りへ腰を下ろした。


ガレスも見張りの配置を終えると、少し離れた石へ座る。アルヴィンは資料箱から距離を取りながら、器を大切そうに両手で持っていた。


「温かい食事をいただけるとは、ありがたいですね」


「野営では、簡単なものになることが多いですから」


クラウディアが答える。


オーウェンは早速一口食べ、目を見開いた。


「美味い」


「まだ熱いわよ」


リアナが呆れたように言う。


「熱いうちに食べた方が美味いだろ」


「火傷しても知らないから」


「エレノア嬢、本当に美味しい」


改めて真剣な顔で告げられ、エレノアは嬉しそうに笑った。


「お口に合ってよかったです」


「芋も全部同じ柔らかさだ」


「そこを強調しなくてもいいでしょう」


リアナが笑う。


「重要だ。俺の名誉に関わる」


「もう手遅れよ」


再び笑い声が起きた。


その輪から少し外れた位置で、シリルも黙って煮込みを口へ運んでいた。


エレノアは自分の器を手にしたまま、そっと様子を窺う。


表情は変わらない。美味しいのか、そうでないのか。シリルは感情を顔へ出さないため、まったく分からなかった。


少し不安になり、思い切って尋ねる。


「シリル様」


「何だ」


「お味は……いかがでしょうか」


シリルは器から顔を上げた。青い瞳が、僅かに不安そうなエレノアの顔へ向けられる。


「美味い」


即答だった。


エレノアの顔がぱっと明るくなる。


「本当ですか?」


「ああ」


もう一口食べてから、短く付け加える。


「身体も温まる」


「よかったです」


その笑顔を見たシリルの目元が、ほんの僅かに和らぐ。


傍らにいたオーウェンは何かを言いかけたが、リアナに腕を引かれた。


「今は黙っていましょう」


「俺は何も言ってない」


「言おうとしたでしょう」


二人の小声には気づかず、エレノアは嬉しそうに自分の煮込みへ口をつけた。




(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。