43話(端話)四人の晩餐
第43話(端話)四人の晩餐
王都へ戻ってから、数日が過ぎた。
遠征隊には休暇が与えられ、エレノアも久しぶりに穏やかな日々を過ごしていた。
実家へ顔を出し、使い切りかけていた筆記具を買い足し、書店では気になっていた古書を探す。
外出には護衛の騎士も同行していたものの、時間に追われず王都を歩けることが、今は素直に嬉しかった。
そんなある日の午後。
王城の廊下を歩いていたエレノアは、後ろから明るい声に呼び止められた。
「エレノア様!」
振り返ると、リアナが笑顔でこちらへ歩いてくる。
いつもの紺色の近衛騎士団の隊服ではなく、今日は淡い青色のワンピース姿だった。
赤茶色の髪も普段の高い位置での一つ結びではなく、低い位置で柔らかくまとめられており、騎士として接している時とは随分印象が違って見える。
「リアナ様。こんにちは。」
「こんにちは。エレノア様は、今夜何かご予定がありますか?」
「今夜ですか? いいえ、特には。」
「でしたら、一緒にお食事へ行きませんか?」
「お食事に?」
「はい。遠征のお疲れさま会です!」
リアナは嬉しそうに両手を合わせた。
「オーウェンも誘うつもりです。それから……シリルも。」
エレノアは少し意外に思い、目を瞬いた。
「シリル様も?」
「一応、誘ってみます。」
「一応……なのですか?」
リアナは困ったように笑った。
「シリルはたまに断るんですよ。仕事人間で、せっかくの休暇でも鍛錬場にいるか、騎士団棟で書類を読んでいるかですから。」
そこへ、ちょうど廊下の角からオーウェンが姿を現した。
「何の話だ?」
「今夜、四人で食事へ行こうと思って。オーウェンも来るでしょう?」
「もちろん。」
オーウェンは迷いなく頷いたあと、肩をすくめた。
「でもシリルは来ないんじゃないか?」
「そうなのですか……。」
エレノアの声が、ほんの少しだけ残念そうに沈む。
その顔を見たリアナは、口元へ意味ありげな笑みを浮かべた。
「いいえ。今回は、たぶん来ます。」
「なぜですか?」
「それは、エレノア様が――」
「余計なことを言うな。」
背後から低く落ち着いた声が届いた。
三人が同時に振り返る。
いつの間にか、少し離れたところにシリルが立っていた。
休暇中にもかかわらず、手には数枚の書類を持っている。
リアナは悪びれた様子もなく笑った。
「聞こえていたの?」
「途中からだ。」
「それならちょうどよかったわ。今夜、皆で食事へ行くけれど、シリルも来るでしょう?」
「ああ。」
即答だった。
リアナとオーウェンが一瞬だけ顔を見合わせる。
エレノアは、その意味までは気づかず、不思議そうに首を傾げていた。
◇
その日の夕刻。
四人は王城からほど近い、近衛騎士たちがよく利用する料理店を訪れた。
重厚な木の扉を開けると、磨き込まれた床と落ち着いた灯りが一行を迎える。
店内の奥からは、竪琴の柔らかな音色が微かに聞こえ、貴族や騎士たちが穏やかに食事を楽しんでいた。
格式はありながらも堅苦しすぎない。
長い遠征を終えた夜にふさわしい店だった。
案内されたのは、奥にある静かな個室だった。
磨かれた木の卓を柔らかな灯りが照らしている。
「素敵なお店ですね。」
エレノアが室内を見回すと、リアナが頷いた。
「団長もよく利用されるお店なんです。」
「遠征の成功祝いや、隊の節目の食事会でも使うな。」
オーウェンが椅子を引きながら付け加える。
「料理も間違いない。」
やがて、次々と料理が運ばれてきた。
香ばしく焼かれたパンに、季節の野菜を使った温かなスープ。
続いて、柑橘と香草を添えた白身魚や、柔らかく煮込まれた肉料理が運ばれてくる。
どれも丁寧に作られており、一口食べるたび、エレノアの顔には自然と笑みが浮かんだ。
「とても美味しいです。」
「気に入っていただけてよかったです。」
リアナも嬉しそうに微笑む。
張り詰めた任務の最中にはできなかった、穏やかな食事だった。
◇
料理が一通り運ばれた頃。
リアナが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、エレノア様には話したことがありませんでしたね。」
「何でしょう?」
「私たち三人、同期なんです。」
エレノアは驚き、三人を見比べた。
「そうだったのですか?」
オーウェンが頷く。
「同じ年に近衛騎士団へ入ったんだ。あの年は入団者も多くて、今も残っている者はそれなりにいる。」
「その中でも、シリルは入団した頃から飛び抜けて強かったけどな。」
「昔の話だ。」
シリルが淡々と返す。
「今も変わらないだろ。訓練で何度叩きのめされたことか。」
「隙が多かった。」
「昔の俺に対して容赦がないな。」
リアナが小さく笑った。
「私も最初は剣術でも体力でも全然敵わなかったな。」
「だが、誰より努力していた。」
不意にシリルが言った。
リアナが目を瞬く。
「ああ。訓練が終わっても、最後まで残っていたのはいつもリアナだった」
オーウェンも大きく頷いた。
「二人にそう言われると、少し照れるわね。」
リアナは頬を緩め、誤魔化すように水の入った杯へ手を伸ばした。
「クラウディア様も、とてもお強いですよね。」
エレノアが言うと、リアナの瞳が輝いた。
「ええ。強くて、美しくて、凛としていて。第二隊の女性騎士は、皆クラウディア隊長へ憧れています。」
「本人は、まったく気にしていないけどな。」
オーウェンが笑う。
「近寄りがたく見えるが、話してみれば面倒見もいい。」
「分かります。とてもお話ししやすくて、お優しい方ですよね。」
エレノアは遠征中のクラウディアを思い出し、柔らかく微笑んだ。
「ガレス副団長様も、任務を離れると少し雰囲気が変わられますね。」
「ああ。普段は厳しいが、若い騎士の面倒もよく見ている。」
オーウェンは、その時の様子を思い出したように笑った。
「この前も、新入りが剣帯の締め方を間違えていてな。何も言わず直してやったあと、翌朝には全員分の装備点検を命じていた。」
「ご本人だけを気にかけるのではないのですね。」
「ああ。誰か一人の失敗にせず、全体の課題にする。それが副団長のやり方だ。」
「ガレス副団長様らしいですね。皆様が信頼なさる理由が、分かります。」
厳しい言葉の奥にある気遣いを思い、エレノアは小さく微笑んだ。
その穏やかな表情を、隣に座るシリルが静かに見ていた。
しばらくして、オーウェンが何かを思いついたようにシリルへ顔を向ける。
「そういえば、エレノア嬢は知らないだろうけど。」
嫌な予感を察したのか、シリルが僅かに眉を寄せた。
「シリルは、昔から相当人気があるんだ。」
「え?」
エレノアは思わず隣を見る。
整えられた黒髪。
深い青の瞳。
端整な横顔。
長身で、鍛え上げられた身体。
無口で近寄りがたい印象はあるものの、人の目を引く容姿であることは、エレノアにもよく分かった。
リアナが楽しそうに言葉を継ぐ。
「年に一度の公開演武では、見学席からずっと声が上がっていたものね。」
「騎士団宛てに届く手紙の中でも、シリル宛てはずいぶん多かったな。」
「花束もたくさん届いていたし。」
「公開が終わったあと、外で待っている令嬢たちもいたな。」
「話を盛るな。」
シリルが低い声で制する。
オーウェンは笑いながら肩をすくめた。
「どこがだ。待ち伏せを避けて、裏門から帰ったこともあっただろう。」
「……誤解を招く言い方をするな。」
「事実だろ?」
リアナが苦笑した。
「シリルは女性が嫌いというより、大勢に騒がれるのが苦手なのよね。」
オーウェンも頷く。
「それで、女性とは必要以上に関わらないようになった。」
「そうだったのですね……。」
エレノアは少し驚いたように呟いた。
それから、改めてシリルを見る。
確かに彼は、誰に対しても必要以上に近づかない。言葉も少なく、感情を表へ出すこともほとんどない。
けれど。
「でも……分かる気がします。」
「何がだ?」
オーウェンが尋ねる。
エレノアは少し考え、静かに言葉を選んだ。
「皆様が、シリル様に惹かれることです。」
隣で、シリルの手が僅かに止まった。
けれどエレノアは気づかず、続ける。
「もちろん、お強いこともそうですが……いつも周囲をよく見ていらして、危険があれば誰より先に気づいてくださって。ご自分のことより周りの方の安全を優先なさいます。それに――」
脳裏へ、これまでの旅の光景が浮かぶ。
足場の悪い場所で差し出された手。
危険が迫るたび、前へ立った広い背中。
怖くて立ち止まりそうになった橋の上で、決して離さないと告げてくれた声。
エレノアの表情が、自然と柔らかくなる。
「一見すると少し近寄りがたい方ですけれど、本当はとてもお優しいですし。」
「とても、素敵な方ですから」
その言葉が届いた、次の瞬間。
シリルが口へ運びかけていた紅茶を、僅かに喉へ詰まらせた。
「……っ」
小さな咳が一つ、個室へ落ちる。
「シリル?」
リアナが目を丸くする。
「大丈夫?」
「……問題ない。」
シリルは一度だけ咳払いをすると、何事もなかったように杯を置いた。表情はいつもと変わらない。だが、耳のあたりがほんの僅かに赤くなっている。
リアナとオーウェンは、すぐに顔を見合わせた。
(今、むせたわよね。)
(むせたな。)
(照れている。)
(間違いない。)
二人は何かをごまかすため、揃って口元へ杯を運んだ。一方、エレノアだけは心配そうにシリルを見つめている。
「シリル様、本当に大丈夫ですか?」
「ああ。」
「お水をお持ちしましょうか?」
「必要ない。」
短く答える声が、いつもより僅かに硬い。
「シリル、よかったな。」
オーウェンが笑いを含んだ声で言う。
「……食事中だ。」
「見れば分かる。」
「黙って食べろ。」
リアナはとうとう耐えきれず、くすりと笑った。
エレノアだけは事情が分からず、三人を見比べる。
「……?」
小さく傾げられたその首を見て、シリルは何も言わずに紅茶へ視線を落とした。




