29話 天へ続く白い導き
第29話 天へ続く白い導き
王命により、西方遠征隊が編成された。
任務は国家機密。
参加するのは、近衛騎士団副団長ガレス。
近衛騎士シリル、リアナ、クラウディア、オーウェン。
そして、古代文字を解読できるエレノアと、古代史を専門とするアルヴィンだった。
荷馬車には、食料や天幕、調査道具が積み込まれている。
さらに物資の運搬と警護を担うため、数名の近衛騎士も同行することとなった。
ただし、彼らへ伝えられているのは、王命による古代遺構の調査ということだけ。
石板の存在も。
王国各地で起こり始めている水の異変も。
すべて、伏せられている。
今回の目的は、ただ一つ。
西方の遺構を見つけ出し、そこに眠る第三の石板を持ち帰ることだった。
◇◇◇
王都を発って五日。
街道を離れるにつれ、人の往来は次第に少なくなっていった。
黄金色の麦畑は深い森へ変わり、森はやがて、切り立った岩山へと姿を変える。
乾いた風が尾根を吹き抜け、剥き出しの崖肌へぶつかって低く唸っていた。
すでに、道と呼べるものはない。
「この辺りのはずなのですが……。」
アルヴィンは手元の地図と周囲の山並みを、何度も見比べている。
隣では、エレノアも石板の解読文を書き写した羊皮紙を確認していた。
石板が示した方角。
王都からの距離。
二つに分かれた峰と、南側へ傾く岩壁。
どれも、記録と一致している。
だが――。
目の前にあるのは、荒々しい岩山だけだった。
白く乾いた岩肌。
風に耐えるよう地面へ張りついた低木。
長い年月に削られた断崖。
石壁も、柱も、人の手で造られた道もない。
遺構が存在した痕跡すら、見つからなかった。
ガレスが辺りを見回す。
「場所に間違いはないのか。」
「はい。」
アルヴィンは地図を見つめたまま、はっきりと答えた。
「古代の地誌、王都からの距離、山並みの特徴。すべて一致しています。記録が正しければ、この周辺にあるはずです。」
リアナが岩壁へ手を伸ばし、表面を確かめる。
「でも、石材の一つも見当たりませんね。」
オーウェンも崖を仰いだ。
「遺構を探しに来たというより、岩登りに来たみたいだな。」
エレノアは周囲を見渡した。
見えるのは、自然に削られた岩と草木だけ。
けれど、何もないことそのものが、かえって不自然に思えた。
「……もしかすると。」
小さな呟きに、皆の視線が集まる。
「知恵の祠も、入口は巧妙に隠されていました。」
アルヴィンが頷いた。
「あの時も、場所を知っているだけでは辿り着けませんでしたね。」
「はい。ヴァレシアの人々は、大切な場所ほど、資格のない者には見つけられないよう造っていたのでしょう。」
エレノアは岩山を見上げる。
「この遺構も、崩れてなくなったのではなく――今も何らかの仕掛けで隠されているのかもしれません。」
ガレスは腕を組み、しばらく周囲を見回した。
「なら、建物だけを探しても無駄ということか。」
「隠されている前提で探す。」
シリルが短く言う。
ガレスは頷いた。
「よし。探し方を変える。」
一行は範囲を分け、改めて周囲を調べ始めた。
岩陰、崖下、乾いた谷底、自然には生まれにくい直線、石の並び、削られた痕跡。
風化の中へ紛れ込んだ、わずかな違和感。
どれほど小さなものでも見落とさぬよう、慎重に調査を続けた。
しかし。
その日、太陽が山の向こうへ沈むまで探しても、入口は見つからなかった。
翌日も。
さらにその翌日も。
結果は変わらない。
地図が間違っているのか。
遺構はすでに崩れ去ったのか。
それとも、自分たちは決定的な何かを見落としているのか。
誰も口にはしなかった。
けれど、皆の胸に同じ疑念が浮かび始めていた。
――本当に、この場所に遺構など存在するのか。
◇
三日目の夕暮れ。
西の空が茜色に染まり始めた頃だった。
調査を終えて野営地へ戻ろうとしていたエレノアは、ふと、一枚の崖の前で足を止めた。
「……?」
何かが目に留まったわけではない。
ただ、傾き始めた夕陽が岩肌へ差した瞬間、そこだけ光の揺れ方が異なって見えた。
エレノアは数歩戻る。
角度を変え、もう一度崖を見つめた。
風化した灰色の岩肌に、一本の線が走っている。
自然に生じた亀裂にしては、あまりにも真っ直ぐだった。
近づき、手袋をはめた指先で表面へ触れる。
長い年月の中で削られ、ほとんど岩へ埋もれている。
それでも、指先には確かな凹凸が伝わった。
自然のものではない。
人の手によって刻まれた痕跡だ。
「古代文字……。」
エレノアは息を潜め、消えかけた線を目で追った。
一文字ずつ。
欠けた箇所を補いながら、慎重に意味を繋いでいく。
やがて、その翡翠色の瞳が大きく開いた。
「『空が茜に染まるとき――天を仰げ』……。」
声を聞き、皆が集まってくる。
「何か見つけたのか。」
シリルがすぐ隣へ立つ。
「はい。ここに、文字が刻まれています。」
エレノアは岩壁から離れ、ゆっくりと空を見上げた。
西へ傾いた太陽が、ちょうど二つの峰の狭間へ差しかかっている。
その瞬間だった。
山の稜線を越えた一筋の光が、前方に立つ細い岩柱へ落ちた。
光は白い岩肌へ反射し、崖の一点へ向かって真っ直ぐに伸びる。
すると。
これまで灰色の岩にしか見えなかった壁面へ、無数の細い溝が浮かび上がった。
夕陽が溝の中を走る。
一つ。
また一つ。
幾重もの光が繋がり、岩壁全体へ巨大な紋様を描き出していく。
まるで、沈黙していた山そのものが、夕陽を受けて目覚めたかのようだった。
「これは……。」
アルヴィンは目を見開く。
「太陽の位置と、岩の反射を利用した仕掛け……。」
「遺構を隠していたのではなく、正しい場所で、正しい時刻に空を見上げた者だけが入口を見つけられるよう設計したのですね。」
エレノアは、光に縁取られた岩壁を見つめる。
「古代文字を読めなければ、ここで天を仰ぐことはありません。そして夕暮れの、このわずかな時間でなければ、光の道も現れない。」
ガレスが低く息を吐いた。
「資格のない者には、入口が目の前にあっても見つけられないというわけか。」
誰もすぐには答えられなかった。
ただ、数千年前に生み出された知恵を前に、言葉を失っていた。
やがて。
岩壁の奥から、かすかな振動が伝わってきた。
光によって描かれた線に沿い、岩肌へ縦の亀裂が生まれる。
音はしない。
砂埃一つ立てず。
石が擦れ合う耳障りな音すら響かせず。
巨大な岩壁が、ゆっくりと左右へ開いていった。
数千年もの間、動くことを待っていたとは思えないほど、静かで滑らかな動きだった。
その奥に現れた光景を目にし、一行は息を呑む。
山を貫くようにして。
白い石で造られた階段が、真っ直ぐ天へ向かって伸びていた。
◇
それは、山の内側に隠されていたとは思えないほど荘厳な光景だった。
一段一段は、白銀にも似た淡い輝きを宿している。
数千年という歳月を経ても、ひびも欠けも見当たらない。
階段の両縁には細い水路が設けられ、どこから湧き出しているのかも分からない清らかな水が、絶え間なく流れていた。
澄んだせせらぎだけが、静まり返った山中へ響いている。
階段は遥か上方まで続いていた。
薄い雲と夕陽の光へ溶け込み、その終わりを見ることはできない。
まるで――。
天へ至るために築かれた道。
あるいは、地上と星々を結ぶ、白き導き。
誰一人として声を発することができなかった。
古代ヴァレシア王国は滅びた。
けれど、その技術も。
そこに込められた祈りも。
この場所に残された美しさも。
三千年という時を越え、今なお失われることなく息づいている。
エレノアは、ただ白い階段を見上げていた。
知らず、胸の前で両手を重ねる。
こんな場所が、本当に存在していた。
誰にも知られず。
歴史から忘れ去られたまま。
それでも、いつか訪れる者を待ち続けていたのだ。
ガレスが階段の先を見据え、静かに息を吐いた。
「周囲を確認する。」
その声に、騎士たちが我へ返る。
リアナとオーウェンが左右へ分かれ、クラウディアが背後を確認する。
異変がないことを確かめた後、ガレスは改めて階段へ向き直った。
「進むぞ。」
「はい。」
エレノアが答える。
そのすぐ隣で、シリルが白い階段を見上げた。
「足元に気をつけろ。」
「はい、シリル様。」
一行は、白き階段へ最初の一歩を踏み出した。
誰も知らない歴史と。
自らの心に眠るものへ向かって。
天へ続く白い導きは、彼らを静かに迎え入れた。




