28話 西に眠る誓い
第28話 西に眠る誓い
三日間の休暇が終わり、再び慌ただしい日々が戻ってきた。
エレノアが王城の研究室へ入ると、古代史学者のアルヴィン・ベルナールが、すでに机へ向かっていた。
「おはようございます、エレノアさん。休暇はいかがでしたか?」
「おかげさまで、十分に休むことができました」
穏やかに言葉を交わしていると、扉が控えめに叩かれた。
入室してきた近衛騎士が、二人へ一礼する。
「陛下よりご命令です。第二の石板の解読に取りかかるように、とのことです」
エレノアとアルヴィンは顔を見合わせた。
「承知いたしました」
◇
黒い石板は、二名の近衛騎士によって慎重に研究室へ運び込まれた。
漆黒の表面には、第一の石板と同じく、細かな古代文字が隙間なく刻まれている。
しかし、一見すると文章のように並んでいる文字列は、途中で不自然に途切れていた。
その合間へ、一定の間隔で奇妙な記号が挟み込まれている。
円。
三角。
幾何学的な線。
幾つもの形が複雑に組み合わされているが、それだけを見ても何を示しているのかは分からない。
知識のない者ならば、単なる装飾と見過ごしてしまうだろう。
だが、エレノアはその図形こそが意味を持つことを知っていた。
アルヴィンが石板を見つめ、静かに眼鏡を押し上げる。
「……やはり今回も暗号文でしょうか」
「ええ。古代文字をそのまま追うだけでは、文章として意味が通りません」
エレノアは文字列と記号の配置を交互に見る。
「記号の形と、文字が置かれた位置。その規則性を解き明かして初めて、本当の文章が現れるのだと思います」
第一の石板を読み解いた時と、基本的な考え方は同じだった。
古代文字を写し取り。
繰り返される法則を探し。
意味のないように見える断片を、一つずつ繋ぎ直していく。
それが、石板に隠された真意へ辿り着く、今のところ唯一の方法だった。
二人はそれぞれの机へ向かった。
エレノアは石板へ視線を落とし、一文字ずつ古代文字を書き写していく。
一方、アルヴィンは書棚から年代記や古地図を取り出し、関連する文献を机いっぱいに広げた。
二人はそれぞれの専門を生かし、第二の石板へ向き合い始めた。
◇
三日目の夕暮れ。
何度も書き直した羊皮紙の上で、一つの紋様と文字列がぴたりと重なった。
エレノアは息を止める。
「……そういうことだったのですね。」
震える指で最後の一文字を書き終える。
しばらく解読文を見つめたあと、エレノアは静かに顔を上げた。
「……解けました。」
向かいの席で古い文献を読み比べていたアルヴィンが顔を上げる。
「本当ですか。」
エレノアは解読した文章へ目を落としながら頷く。
「ええ。最後まで意味の分からなかった記号が、文章を読む順番を示していたんです」
アルヴィンは立ち上がり、エレノアの机へ歩み寄った。
二人で解読文を確かめる。
そこには、次の石板が置かれた場所を示すと思われる記述があった。
「西方……山々に囲まれた場所」
アルヴィンは小さく呟くと、机いっぱいに広げた古地図と年代記へ視線を移した。
「では、こちらの記録と照らし合わせてみましょう」
エレノアが読み上げる古代文字を聞きながら、アルヴィンは一冊ずつ文献をめくっていく。
「……やはり。」
古びた年代記の一節で手を止める。
「西の山岳地帯に、遺構があったという記録があります。」
エレノアも解読文へ目を走らせる。
「解読した内容と一致しています。」
二人は資料を並べ、一つひとつ照合していく。
やがて、二人は同時に顔を上げた。
アルヴィンが穏やかに微笑む。
「これで、まず間違いないでしょう」
エレノアも、安堵したように微笑み返した。
「はい」
三枚目の石板へ続く場所が。
ようやく見つかったのだ。
◇
翌朝。
王城の会議室には、この極秘任務に関わる者たちだけが集められていた。
国王レオンハルト。宰相。
近衛騎士団長ダリウスと副団長ガレス、補佐官のエリオット。
近衛騎士シリル、リアナ、クラウディア、オーウェン。
エレノアとアルヴィンも、円卓の一角へ席を与えられていた。
全員が揃ったことを確認すると、ダリウスがエレノアへ視線を向けた。
「報告を」
「はい」
エレノアは立ち上がり、深く一礼した。
「第二の石板の解読が完了いたしました」
会議室の空気が引き締まる。
「石板には、三枚目の石板が置かれた遺構について記されていました」
アルヴィンが大判の地図を円卓へ広げる。
「エレノアさんの解読結果をもとに文献を調査したところ、王都西方の山岳地帯に、条件と一致する遺構の記録が見つかりました」
ガレスが地図へ目を落とす。
「西部山岳地帯か。あの辺りは軍もほとんど立ち入らん。」
「はい」
アルヴィンは地図の一点を示した。
「現在の地図には遺構として記録されておりません。ですが、古い年代記には、一度だけその存在を示す記述が残されています」
「名称や詳しい構造については?」
ダリウスの問いに、アルヴィンは首を横へ振った。
「残念ながら、確認できませんでした。分かるのは、遺構が存在した、ということだけです。」
エレノアは石板を書き写した羊皮紙を広げた。
「少なくともヴァレシア王国の時代には、何らかの儀式の場として認識されていたようです。」
「三枚目の石板は、この遺構のどこかにあることまでは分かりました。ですが、正確な場所までは記されていません。」
ダリウスが腕を組む。
「場所はそこで間違いないとして、問題は試練か。」
「その通りです。解読できた最後の一文には、こう記されています。」
エレノアは一度息を整え、ゆっくりと読み上げる。
「――『勇気とは、自らの心を映すこと』」
その一文だけが、静かな会議室へ深く落ちた。
クラウディアが首を傾げた。
「自らの心を映す……。どういう意味なのかしら」
「現時点では分かりません」
エレノアは正直に答えた。
「ですが、これまでの遺構でも、碑文の意味は現地の仕掛けと向き合って初めて明らかになりました」
オーウェンが頷く。
「今回も、実際に試されるまで答えは分からないということか」
「はい」
エレノアの返答を聞き、レオンハルト王が静かに口を開いた。
「準備を進めよ」
全員の視線が王へ集まる。
「次の目的地は、王都西方の遺構」
「三枚目の石板を必ず見つけ出す」
「はっ」
騎士たちの返答が、一つへ重なった。
◇
会議も終わりに差しかかった頃だった。
宰相は、机の上へ置かれた黒い石板を、しばらく無言で見つめていた。
刻まれた精緻な古代文字。
暗号として組み込まれた複雑な紋様。
三千年以上もの時を経てなお、完全には失われていない知識。
やがて、小さく息をつく。
「……しかし。改めて、不思議なものです。」
「何がでしょう。」
エレノアが尋ねると、宰相は黒い石板へ目を向けた。
「古代ヴァレシア王国です。これほど高度な技術を持ち、壮大な神殿や祠まで築いた文明が……。」
宰相は黒い石板へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「なぜ、滅んだのでしょう。」
誰も答えられない。
アルヴィンが静かに言う。
「通常であれば、衰退には必ず前兆があります。」
「飢饉。疫病。内乱。あるいは周辺国との戦争。どれも歴史には必ず痕跡が残る。」
エレノアも頷いた。
「ですが、ヴァレシアにはそれがありません。建国からおよそ千年。栄華を極めた記録は数多く残っています。」
「その次に残る記録は――」
言葉を切る。
「滅亡後なのです。」
会議室へ、重い沈黙が落ちた。
ガレスが低く呟く。
「残された記録だけを見れば……」
石板へ鋭い視線を向ける。
「まるで、ある日突然、国そのものが消えたようだな」
エレノアは静かに黒い石板を見つめた。
歴史には、誰にも埋められない空白がある。
けれど。
その空白は、何もなかったことを意味するのではない。
誰にも伝えられなかった真実が。
まだ、どこかに残されているということなのかもしれない。
栄華を極めたヴァレシア王国は、なぜ滅びたのか。
歴史には、誰にも埋められない空白がある。
けれど。
その空白は、何もなかったことを意味するのではない。
誰にも伝えられなかった真実が。
まだ、どこかに残されているということなのかもしれない。




