11話 束の間の安らぎ、その先へ
11話 束の間の安らぎ、その先へ
「ただいま帰りました。」
玄関の扉を開けた瞬間、小さな足音が駆け寄ってくる。
「お姉様!」
フローリアが勢いよく抱きついた。
「ご無事でよかったです!」
「ただいま、フローリア。」
頭を優しく撫でると、妹はほっとしたように笑った。
……と思った次の瞬間。
「それで、あの無愛想な騎士様に酷いことされませんでした!?」
「え?」
思わず目をぱちぱちさせる。
「ずっと怖い顔をしていましたし!何もされませんでした?」
「……何も。」
「その間が怪しいです!」
エレノアは思わず苦笑した。
「そんなことはありませんよ。とても……誠実な方でした。」
ふと、無表情のまま、「こちらへ」と手を差し出してくれた馬上の騎士の姿が、脳裏をよぎった。
その言葉にフローリアは少しだけ首を傾げる。
「そうなんですか?」
「ええ。」
少し、無口なだけなのだ。
そう心の中で付け加えた。
◇
居間では父・ローレンスと母・マーガレットが待っていた。
「お帰り、エレノア。」
「無事で何よりでした。」
温かな声に胸が熱くなる。
「お父様、お母様。ただいま帰りました。」
数日ぶりに家族そろって食卓を囲む。
ローレンスは静かに尋ねた。
「王城での務めは、無事に終わったのか?」
エレノアは小さく頷く。
「はい。」
少しだけ言葉を選んで続けた。
「……申し訳ありません。王命ですので、何をしてきたのかは、お話しできないのです。」
食卓が静かになる。
けれど、その沈黙は気まずいものではなかった。
ローレンスは優しく微笑む。
「謝る必要はない。王命ならば、それに従うのが当然だ。国のために尽くしたのだろう。」
「……はい。」
「なら、それでいい。」
マーガレットも優しく頷いた。
「あなたが無事に帰ってきてくれた。それだけで十分ですよ。」
エレノアは胸が熱くなる。
本当は話したい。
誰よりも、お父様に。
何十年も夢見てきた"あの場所"のことを。
けれど、それはまだ叶わない。
(お父様……。)
(いつか必ず、お話しできる日が来ます。)
夕食の後。
マーガレットは薬を水で飲み、ふっと安堵したように息をつく。
「お薬を飲むと、少し楽になるわ。」
エレノアは優しく微笑む。
「よかったです。」
その隣では、ローレンスが本を開こうとして、少し目を細める。
以前ならすぐ読めた文字が、最近はぼやけてしまう。
それでも無理に目を凝らそうとする父へ、エレノアは本をそっと閉じた。
「お父様、今日はもうお休みください。」
「……すまない。」
ローレンスは少し寂しそうに笑う。
「最近は目が言うことを聞かなくてね。」
ふと机の上へ視線を向ける。
そこには、古びた羊皮紙やヴァレシア王国について記された書物が何冊も積まれていた。
「また、そのご研究ですか?」
エレノアが苦笑混じりに尋ねると、ローレンスは照れくさそうに笑った。
「長年の癖でな。」
「ヴァレシア王国は、なぜ滅びたのか……。数え切れないほど文献を読んできたが、その答えだけは見つからない。だから、今でも諦めきれないんだ。」
一冊の古びた本をそっと撫でる。
「古い伝承には、『大地に恵みを巡らせるもの』――そんな御伽噺のような記述も残っていてね。」
ローレンスは小さく苦笑した。
「学会では、皆に笑われたよ。伝承を真に受ける変わり者だ、とね。」
エレノアは静かに首を振る。
「私は、お父様の研究が好きです。どんな伝承にも、きっと何か意味があると思います。」
ローレンスは目を細め、穏やかに娘を見つめた。
「そう言ってくれるのは、お前だけだ。お前ならこの研究の真実を明かせるかもしれないな。」
エレノアは照れくさそうに笑う。
「まだまだ、お父様には敵いません。」
「何を言う。」
ローレンスは優しく首を横に振った。
「私にできなかったことを、お前はもう成し遂げている。学び続けてきたことは、決して無駄にはならん。」
「今回の王命も、これで終わりとは……私は思わない。」
エレノアは小さく目を見開く。
「きっと、王家はまたお前の力を必要とするだろう。その時は、誰かに遠慮することなく、お前の信じる道を進みなさい。」
マーガレットも穏やかに微笑んだ。
「ええ。私たちのことは心配しなくて大丈夫。お父様のことも、お母様とフローリアでしっかり見張っていますから。」
「えぇっ!?」
突然名前を呼ばれたフローリアが慌てて声を上げる。
「み、見張るって何ですか!」
「お父様はすぐ本に夢中になって目を酷使しますから。お願いね?」
その言葉にローレンスとエレノアは顔を見合わせ、くすりと笑った。
いつものアシュフォード家だ。
豪華な屋敷でもなければ、贅沢な暮らしでもない。
それでも、この家には温かな笑顔があった。
◇
その翌朝。
朝食を終えた頃。
コンコン、と玄関の扉が叩かれた。
「はい。」
エレノアが扉を開けると、そこには王城の使者が立っていた。
「エレノア・アシュフォード嬢。王城より書簡をお預かりしております。」
王家の紋章が刻まれた封書を受け取る。
静かに封を切ると、そこには短い文が綴られていた。
『黒き石板に刻まれた暗号文の解読を願う。至急、登城されたし。』
エレノアはゆっくりと封書を閉じる。
(……やっぱり。)
(もう少しだけ、家族と過ごしたかった。)
(でも。)
黒き石板に刻まれた暗号文。
あれを読み解ける者は、今のところ自分しかいない。
お父様の言葉は、やはり当たっていたのだ。この一日の帰宅も、温情で与えられたのかもしれない。
せっかく家族と過ごせると思った時間はまた少し先になる。そう思うと胸の奥が少しだけ寂しくなる。
けれど――。
あの誰も読めない古代文字。
三千年前のヴァレシア王国が遺した言葉。
誰も知らない歴史の続きを、自分の手で紐解いていける。
そう思うだけで、胸が自然と高鳴った。
「……承知いたしました。」
小さく微笑み、エレノアは王家の紋章が刻まれた封書を胸に抱いた。
その瞳には、未知の歴史へ向かう期待が、静かに宿っていた。
そして、誰も知らない古代ヴァレシア王国の真実へ、物語は再び動き始める。




