第94話 クラリッサの再出発
翌日の朝。
集会所にクラリッサが立っていた。村長とロッテとミーリアが席についている。フェリクスは入口の柱にもたれていた。
「わたくしの処遇について、きちんとお話しさせてください」
クラリッサの声は落ち着いていた。作業着ではなく、ロッテから借りた白い上着を着ている。改まった場にふさわしい服装を選んだのだろう。ただし靴は泥のついた作業靴のままだった。替えがないのだ。
村長が頷き、クラリッサに発言を促した。
「帝都で聖女を務めていた間、わたくしは偽りの力で多くの人を欺きました」
クラリッサが上着の内側から布包みを取り出し、机に置いた。結び目をほどくと、掌ほどの銀の器が現れた。縁が欠け、内側の刻印が擦り切れている。
「これを胸に隠して、儀式に立っておりました」
村長が器を手に取り、傾けた。底に細い溝が並んでいる。
「これが光るのか」
「わたくしの魔力を吸って、何倍にもして返します。S級に見えるだけの光を」
ロッテが鼻を鳴らした。村長は器を机に戻し、指先で溝をなぞった。
「浄化の儀では、農地はひとつも蘇りませんでした。照らして、終わりです」
「それでも成功と発表された」
「わたくしが訂正しませんでした」
クラリッサは一度も目を逸らさなかった。声が揺れることもなかった。
「ミーリアを追放したのもわたくしです」
クラリッサが机の器から目を上げた。
「聖光の儀でS級を偽装するため、B級と鑑定された方を追い出しました。座に就くべきだったのは、わたくしではありません」
集会所の空気が重くなった。ロッテが腕を組んだまま黙って聞いている。マルタが入口から顔を覗かせ、すぐに引っ込んだ。
「帝都に戻って裁きを受けるべきかもしれません。けれど昨日、ミーリアに言われました。自分で決めることだと」
クラリッサが深く息を吸った。
「わたくしは、この村に残りたい。ここで自分の力を使って、人の役に立ちたいのです」
クラリッサが机の上の器を指した。
「これがなくても、わたくしの光は灯ります。エーデルシュタイン家の鑑定でも、適性はA級でした」
集会所が静まり返った。村長が器を布に包み直し、自分の手元に引き寄せた。
ハンス村長が口を開いた。
「クラリッサ殿。この村にいる間、あなたの働きぶりは見てきた。申請書の草案、薬草園の手入れ。帝都の知識で村を助けてくれたことは事実だ」
「ありがとうございます。けれど村長、わたくしがミーリアにしたことは」
「それはミーリアさんが判断することだ」
全員の視線がミーリアに向いた。
ミーリアは椅子に座ったまま、膝の上で手を組んでいた。長い沈黙が落ちた。
集会所の窓から朝の光が差し込んでいる。薬草園の方角から、テラがころころ転がる微かな音が聞こえてきた。外で雀が鳴いている。日常の音が、沈黙の輪郭を柔らかくしていた。
「クラリッサさん」
ミーリアが口を開いた。
「助けはします」
クラリッサの目が見開かれた。
「でも、あなたのためではなくて。苦しんでいる人々のためです」
言葉が静かに集会所に落ちた。ミーリアの声は震えていなかった。
「あなたが帝都で聖女を演じている間、本当の助けが必要だった人たちがいたはずです」
ミーリアが窓の外に目をやった。
「浄化の儀で回復しなかった農地の人たち。光の加護を信じて祈った病人たち。わたしは、その人たちのことを考えます」
クラリッサの指先が膝の上で白くなった。
「あなたの力で、人を助けてください」
ミーリアが膝の上で組んでいた手を解いた。
「わたしに許しを求めるんじゃなくて、助けられなかった人たちに、これから応えてください」
クラリッサの瞳から涙が溢れた。
声は出なかった。唇を噛み、顔を伏せ、両手で膝を握りしめていた。肩が震えている。言葉を探しているように見えた。
「ミーリア……あなたは、わたくしが追放した人なのに」
「だからこそ、です」
ミーリアの声は穏やかだった。
「わたしも追放されて、ここで居場所を見つけました」
ミーリアが指を一本ずつ折った。
「薬草園で土を触って、温泉に入って、精霊さんたちに囲まれて。あなたにも、見つけてほしいんです」
クラリッサが椅子から立ち上がり、深く、深く頭を下げた。背中が震えている。頭を下げた拍子に、白い上着の裾が泥のついた作業靴にかかった。集会所の木の床に、ほどけた髪が垂れている。
「……ありがとうございます」
声がかすれていた。涙が床に落ちた。木の床に染みが広がっていく。
ミーリアは立ち上がり、クラリッサの肩にそっと手を置いた。
「顔を上げてください。ここでは誰も、頭を下げさせたりしません」
クラリッサがゆっくりと体を起こした。涙で濡れた顔に、窓からの朝日が当たっている。
ロッテが席を立った。棚から手拭いを取り、クラリッサの手に押しつけた。
「泣くなら鼻をかみな。涙で床が汚れる」
クラリッサが手拭いを受け取り、顔を拭いた。ロッテの口調は乱暴だったが、手拭いは清潔で、ほのかに薬草の香りがした。洗い立てだった。あらかじめ用意していたのかもしれない。
フェリクスが柱から背を離した。
「……終わりか」
「ええ」
「なら畑に行くぞ。草が伸びてる」
クラリッサが目を丸くし、それからゆっくりと頷いた。フェリクスはもう入口を出ていて、外から鍬を担ぎ直す音がした。クラリッサが白い上着を脱ぎ、畳んでロッテに返した。
* * *
午後。
ロッテが薬草園の入口でクラリッサを待っていた。
「あんた、今日から正式に手伝いだよ。これまでは留守番扱いだったが、ミーリアちゃんが認めたんだ。ちゃんと仕込んでやる」
「よろしくお願いします、ロッテさん」
「まず畑の端から端まで草取り。話はそれからだ」
クラリッサが頷き、畑に入っていった。膝をついて雑草に手を伸ばす。指先が土に触れた瞬間、小さく息を吐いた。冷たい土の感触。朝露の湿り気。帝都の大理石の床とは何もかもが違う。
ミーリアが隣の畝で薬草の手入れをしていた。二人の間に言葉はなかった。ただ同じ畑で、同じ土に触れている。風が畝を渡り、薬草の匂いを運んでくる。
〈新しい人。頑張ってる〉
テラが畑の隅からクラリッサの足元に近づき、土の中に潜った。一瞬の後、クラリッサの手の下の土が微かに柔らかくなった。
「え……テラさん?」
「テラが手伝ってくれてるんですよ。土を柔らかくするのが得意なんです」
ミーリアが微笑んだ。クラリッサは自分の手の下の土を見つめ、それからミーリアの方を見た。
「わたくし、土いじりは初めてですけれど……」
「大丈夫です。わたしも最初はそうでした」
ロッテが畑の端から声を張った。
「弟子が増えたよ。まったく、薬草園も忙しくなるねえ」
クラリッサが顔を上げ、泥のついた手の甲で頬をこすった。土がひと筋、涙の跡の上に残った。畝の向こうでミーリアが笑い、クラリッサはまた雑草に手を伸ばした。




