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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第91話 帰郷

 丘を越えると、谷間に白い湯煙が見えた。


 聖域山脈から吹き下ろす風が頬を撫で、草の匂いと硫黄の匂いが混ざり合っている。ミーリアは足を止めた。


「フェリクスさん、あれ……」


「ああ。グリュンハイムの湯煙だ」


 フェリクスの声はいつも通り短かったが、歩く速度が少しだけ上がっていた。ミーリアも自然と足が速くなる。旅の疲れが嘘のように体が軽い。


 谷に近づくにつれて、風が温かくなっていく。地面の下を流れる星脈の脈動が、足の裏を通じてじんわりと体に伝わってきた。帝都で暮らしていた頃にはわからなかった感覚だ。踏み出すたびに、脈が踵から膝へ上がってくる。


〈帰った! 帰った!〉


 フィルが翡翠色の光を撒き散らしながら、谷に向かって飛んでいった。テラが足元でころころと転がり、地面に吸い込まれるように消えたかと思うと、五十メートル先の畑の端からぽこりと顔を出した。


 アクアが温泉の方角から水滴の粒を飛ばしてきて、ミーリアの頬に当たった。冷たくて、温かい。


「フィルさん、待ってください。先に行かないで」


 ミーリアが呼びかけた時、谷の入口に人影が見えた。一人。二人。三人。それが十人になり、二十人になり、気がつくと村の人たちが総出で丘のこちらに向かってきていた。


「ミーリアちゃん!」


 マルタの声が谷間に響いた。


「おかえり! おかえりなさい!」


 村人たちが口々に叫んでいる。子供が走ってくる。老人が杖をつきながら手を振っている。鍛冶師の白髭の老人が、大きな手を頭の上で振り回していた。


「鍬の柄、四本削り直しといたぞ。あんたの背丈に合わせてな」


「うちの子の熱、あんたが置いてった薬草茶で下がったんだ」


「摘みたてのを籠に入れといたよ。宿の土間に置いてある」


「鍬まで……ありがとうございます。皆さん、ありがとうございます」


 ハンス村長が白い髭を撫でながら先頭に立ち、穏やかな顔でミーリアを迎えた。


「よく帰ってきなさった。長い旅だったろう」


「村長さん……はい。ただいま、です」


 声が震えた。目の奥が熱い。泣くまいと思ったのに、駆け寄ってくる村人たちの顔を見ているだけで胸がいっぱいになった。


 子供がミーリアの足にしがみついた。髪に花を差した女の子だ。


「ミーリアおねーちゃん、お薬作って! おばあちゃんの膝が痛いの!」


「うん、作りますね。帰ったらすぐに」


 ミーリアが女の子の頭を撫でると、フィルが翡翠色の光を降らせた。女の子が目を丸くして光を追いかけていく。


「あんた、髪に白い筋が増えたじゃないか。無茶したんだね」


 ロッテが腕を組んでミーリアの前に立った。眉を寄せているが、口元が緩んでいるのをミーリアは見逃さなかった。


「えっと、少しだけ……」


「少しだけで済む顔じゃないよ。帰ったらすぐ薬湯に浸かりな」


 ロッテの手がミーリアの肩を掴み、ぐいと引き寄せた。抱擁ではない。肩を叩くような、ぞんざいな力加減。


「薬湯はもう沸かしてある。三日前から毎朝焚き直してた。荷物置いたら来な」


「三日前から、ですか」


「いつ帰ってくるかわかんないだろ。文句あるのかい」


 ロッテは手を離すと、宿の方へ顎をしゃくった。


「フェリクス、あんたもよく帰ったね」


「ああ」


「あんたはいつも通りだね。安心したよ」


 フェリクスは頷いただけだった。けれど村人たちに囲まれるミーリアを眺める目が、出発前より穏やかだった。


* * *


 薬草園に足を踏み入れた時、ミーリアは立ち止まった。


 畑は綺麗だった。


 葉の色つやがよく、雑草は丁寧に取り除かれ、畝の間隔も整っている。出発前にミーリアが残した星脈の余韻は薄れかけていたが、その分だけ人の手が入っていた。


 水をやった跡が畝に残り、折れた支柱には添え木が当ててある。堆肥も足されていた。


 畑の奥の一角には見慣れない苗が植わっていた。背の低い、濃い緑の葉をした苗。ロッテの指導で新しく栽培を始めたものだろう。根元の土が丁寧に盛られている。


「おかえりなさいませ」


 声がした。


 クラリッサが畑の奥に立っていた。作業着に土がついている。髪を後ろで結び、日焼けした頬に汗の筋が残っていた。爪の先が黒く汚れ、指の関節に細かい傷が並んでいる。


「薬草園は……わたくしなりに守りました」


 クラリッサの声は静かだった。土のついた指先が、作業着の裾を握っている。


「枯らした株が四つありますわ。西の畝の、日陰になる場所で。……申し訳ございません」


「四つだけ、ですか」


「四つも、ですわ」


 ミーリアは畑を見渡した。ロッテが教えた通りに手入れされた区画。クラリッサが独自に光属性で陽光を補い、発芽を助けた区画。二人の仕事が畑の中に共存している。


「ありがとうございます、クラリッサさん。とても……綺麗に育っています」


 クラリッサの肩から力が抜けた。小さく息を吐き、顔を伏せた。


「西の畝、案内してもらえますか。枯れた株の根を見たいので」


「根、ですの」


「土が悪いのか、日が足りないのか、根を見ればわかります。明日、一緒に植え直しましょう」


「……はい。朝一番に、鍬を用意しておきますわ」


〈嬉しい! 待ってた!〉


 フィルが薬草園の上を旋回し、翡翠色の光が畑全体に降り注いだ。テラが足元からぽこぽこと顔を出し、畝の間を転がっていく。アクアが温泉の方角から水滴の粒を飛ばし、薬草の葉にきらきらと露を落とした。


 やがてフィルがミーリアの肩に降り、テラが靴の甲にことりと寄って動かなくなった。アクアだけが葉から葉へ跳ねている。


 フェリクスが畑の入口に立ち、腕を組んでその光景を眺めていた。


「……よかったな」


 誰に向けた言葉かわからなかった。ミーリアにか、クラリッサにか、それとも精霊たちにか。


* * *


 温泉宿の縁側に腰を下ろし、マルタが出してくれた薬草茶を飲んだ。


 夕日がグリュンハイムの谷間を橙色に染めている。源泉から立ち上る白い湯煙が夕焼けに照らされて、淡い朱色に光っていた。


「拡張工事、進んでるんですね」


 ミーリアが宿の裏手を見やった。新しい柱が立ち、壁板が半分だけ張られている。ゲオルクの仕事だ。


「あんたがいない間にね。先月の売り上げで木材を買ったのよ。薬湯のおかげで隣村からのお客さんが増えたから」


 マルタが胸を張った。


「源泉の余韻、まだ残ってましたか」


「ぎりぎりね。あと三日くらいで切れるところだった。帰ってきてくれて助かったわ」


「明日、朝のうちに込め直します」


「その前に薬湯だよ。ロッテが三日焚き続けてんだから」


 マルタが宿の裏手を指した。


「増築の部屋、一つはあんたの分に取ってあるからね。日当たりのいい東側」


「わたしの、ですか」


「当たり前でしょ。あんたの家だもの」


 ミーリアは温泉の方を見た。湯面が夕日を映して揺れている。星脈の微かな光が、湯の底でまだ脈打っていた。出発前に込めた余韻の残りだ。明日、新しく込め直そう。


 ハンス村長が縁側に歩いてきた。手に封書を持っている。赤い蝋で封をされた、帝国式の書状だった。


「ミーリアさん。旅の疲れがあるところに申し訳ないが」


 村長が封書を差し出した。


「帝都から、あなたへの正式な書状が届いている」


 ミーリアは封書を受け取った。蝋の紋章は帝国議会のもの。指先で封を撫でると、紙の厚みが伝わってきた。中身が重い。


 フェリクスが背後から視線を送っているのがわかった。マルタが茶碗を持ったまま動きを止めている。ロッテが縁側の柱にもたれかかり、腕を組んだ。


「……手が震えてる」


 フェリクスが言った。ミーリアは封書を膝の上に置き直した。


「開けてみなさい。中身は、あなたが知るべきことだ」


 ミーリアは蝋を割り、書状を広げた。夕日の光の中で、帝都の流麗な筆跡が目に入る。


 息が止まった。


「大聖女……の称号を、わたしに?」


 村長が静かに頷いた。隣でマルタが口を開けたまま固まっている。


 夕風が書状の端をめくった。下にもう一枚あった。議会への召喚の日付と、明朝、谷の入口に迎えの馬車が着くことが記されている。


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