表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
90/123

第90話 それぞれの道

 出発の朝は、穏やかに明けた。


 聖域山脈の麓。古い祠の前に焚火の跡が残っている。数日間を過ごした小屋の周囲には、ミーリアの星脈共鳴の余韻で小さな花が咲いていた。白い花弁が朝露に濡れて、朝日を受けて光っている。


 リーナが荷物をまとめていた。随行のルシアンが馬の準備を整えている。手際がよく、無駄がない。


 カイトは既に身支度を終え、ソフィアと並んで岩に腰かけていた。荷物は革の肩掛け袋が一つだけ。


「荷物少ねぇな、お前ら」


 フェリクスがカイトに視線を向けた。


「冒険者は身軽が基本だ。山守にはわかんねぇだろうけどな」


「口の利き方を」


「フェリクスさん」


 ミーリアが間に入った。毛布を畳みながら、小さく首を振る。フェリクスは口を閉じたが、納得した顔ではなかった。カイトが口の端を上げた。


「山守、嫁にそうやって止められるのな」


「嫁って言うな」


「フェリクスさん、真っ赤ですよ」


「赤くない」


 フィルが〈赤い〉と囃した。


* * *


 最後の夜は、焚火を囲んだ。


 聖域山脈の空は雲がなく、星が降るように光っていた。焚火の炎が顔を照らし、影を揺らしている。薪が爆ぜる音が、静かな夜に響いた。


 リーナが紅茶を淹れた。携帯用の茶器から湯気が立つ。人数分の杯を並べ、一つずつ丁寧に注いでいく。


「明日にはそれぞれ別の方角へ発ちますわ。今夜くらい、ゆっくりお話ししましょう」


 カイトが火に枝をくべた。


「何を話すんだ」


「これからのこと、ですわ」


 リーナが紅茶を一口すすった。


「わたくしは帝都に戻ります。聖女制度の改革と、新しい政治体制の構築に取り組まなければなりませんの。やるべきことが山積みですわ」


「大変そうですね」


「大変ですわよ。でも、放っておけませんもの」


 リーナが火越しにミーリアを見た。炎の光が紫の瞳に映り込んでいる。


「近いうちに辺境視察の名目で伺いますわ。温泉に浸かりたいですもの」


 ミーリアの顔がほころんだ。


「はい、ぜひ来てください。薬湯も新しいのを作っておきます」


「楽しみにしていますわ。フェリクスさまにもよろしく伝えて、と言いたいところですけれど、隣にいらっしゃいますわね」


 フェリクスが紅茶の杯を傾けた。


「……来るなら前もって連絡しろ。客間を用意する」


「あら、お招きいただけるのですか」


「ミーリアが喜ぶからな」


 カイトが火の向こうから口を開いた。


「俺は迷宮都市に戻る。次のダンジョンが待ってるからな」


「カイトさんは休まないんですか?」


「休んでどうする。体は動くうちに動かすもんだ」


 ソフィアが隣で腕を組んだ。


「この人、じっとしてると三日で壊れるのよ」


「壊れねぇよ」


「壊れるわよ。前も宿で三日間何もしなかったら壁に穴開けてたじゃない」


「あれは素振りだ」


「室内で剣を振るのは素振りとは言わないの」


 ミーリアは小さく笑った。二人のやり取りが、ロッテおばさんとマルタの口喧嘩に似ていると思った。


「カイトさん。もしよかったら、グリュンハイムにも来てください。温泉とお酒を用意して待っています」


「酒を用意しとけ。温泉はどうでもいい」


「温泉も入ってください。体にいいんですよ。薬湯は筋肉の疲労にも効きます」


「押すな」


「温泉、いいわね」


 ソフィアが呟いた。カイトは返事をせず、火に枝を投げ込んだ。枝が炎に沈んで、爆ぜた。


 ルシアンが焚火の向こうからリーナに声をかけた。


「明日の出発は夜明けでいいか」


「ええ。馬の状態は?」


「問題ない。交易ルートの安全は保証する」


 リーナが頷いた。


 フェリクスが黙って焚火を見つめていた。ミーリアが横から覗き込んだ。


「フェリクスさん、何か言いたそうですよ」


「……別に」


「嘘です。顔に出てますよ」


 フェリクスは火に視線を落としたまま、低い声で言った。


「……山の精霊に乗っておけ」


 カイトを見ていた。


「帰りの山道は精霊が安全な道を教える。お前の勘だけじゃ危ない」


 カイトが眉を上げた。


「山守が俺の心配をするのか」


「お前の心配じゃない。そこの嬢ちゃんが困る」


 ソフィアが目を丸くし、それからふっと笑った。


「ありがとう、山守さん」


 フェリクスは火の向こうに視線を戻した。


* * *


 夜が更けた。


 カイトとソフィアが先に眠りについた。ルシアンが見張りに立っている。


 焚火の前に、ミーリアとリーナとフェリクスが残っていた。火が小さくなり、薪の最後の一本が炭に変わろうとしている。


 リーナが空を見上げた。星が瞬いている。月はまだ昇っていない。


「百年前、アリーシアさまは一人でした。仲間がいなかった。だから命と引き換えにするしかなかった」


「はい」


「わたくしたちは、水袋を三つに分けて持ちましたわ。祭壇の記録はルシアンが取って、あなたが星脈を読んで、わたくしが結界を張った」


 リーナが杯の底に残った茶葉を火に落とした。灰が小さく舞い上がる。


「帰り道、三度休みましたわね。あなたが膝を押さえるたびに」


「……気づいてらしたんですか」


「ええ。全部」


 ミーリアは頷いた。


「リーナさま。わたし、あの夜、泣いていてよかったと思います」


「あら。なぜ?」


「泣いていなかったら、リーナさまに声をかけてもらえなかった。あの一言がなかったら、ここにいなかったかもしれません」


 リーナが少し驚いた顔をして、それから柔らかく笑った。


「そう。わたくしも、あなたが泣いていてくれて、よかったですわ」


 リーナがミーリアの杯に紅茶を注ぎ足した。ミーリアは両手で受け取り、指先を杯の腹に押し当てた。


 フェリクスは何も言わず、二人のやり取りを聞いていた。火が消えかけている。薪束に伸ばしかけた手を、膝の上に戻した。


* * *


 翌朝。


 リーナが馬上から手を振った。


「では、また近いうちに」


「はい。お気をつけて、リーナさま」


「ミーリアさんも。無茶はなさらないでくださいましね」


「はい……気をつけます」


 ルシアンが馬を発進させた。銀色の髪が朝霧の中で揺れ、やがて北の方角へ消えていく。


 カイトとソフィアは山道を東へ向かった。


「じゃあな」


「カイトさん、お体に気をつけて」


「余計な世話だ」


 ソフィアが振り返って手を振った。カイトは振り返らなかった。けれど五歩ほど進んで、ぼそりと呟くのが聞こえた。


「……酒、期待してるからな」


 ミーリアは手を振り続けた。二人の背中が山道の曲がり角で見えなくなるまで。


 静かになった。


 聖域山脈の麓に、ミーリアとフェリクスだけが残っている。精霊たちが周囲をゆっくり飛んでいた。フィルが翡翠色に明滅しながら、ミーリアの肩に止まった。


〈帰る?〉


「帰ります」


 ミーリアはフェリクスの方を向いた。


 フェリクスは山の稜線を見つめていた。朝日が雪を被った峰々を照らし、空気が澄んでいる。


「フェリクスさん」


「ああ」


「帰りましょう」


 フェリクスがミーリアを見た。琥珀色の瞳が朝日を受けて、温かく光っていた。目の下の隈はまだ残っているが、表情は穏やかだった。


「帰ろう。うちに」


 うち、と口の中で繰り返した。喉の奥がつかえて、ミーリアは息を吸い直した。


 グリュンハイムが待っている。ロッテおばさんの薬草園と、マルタの温泉宿と、ハンスさんの穏やかな笑顔と、クラリッサの不器用な頑張りと。


 ミーリアはフェリクスの隣に並んだ。


 二人の足音が山道に響く。精霊たちが先を飛び、道を照らしていく。


 フェリクスの手が、そっとミーリアの手に触れた。指を絡めてくる。


 ミーリアは握り返した。


「フェリクスさん、少し速いです」


「……ああ」


 フェリクスが歩幅を緩めた。繋いだ手はそのままだった。フィルが二人の前に出て、翡翠色に明滅している。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ