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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第74話 二人で守る未来

朝霧の中を、二人は歩いた。


 グリュンハイムの北端から山道に入り、聖域山脈の麓に沿って東へ進む。辺境一帯の星脈の巡回点検。フェリクスが先導し、ミーリアが後を追う。


 フィルが二人の頭上を旋回していた。翡翠の光を点滅させながら、周囲の精霊たちと連絡を取っている。


「フェリクスさん、次はどこですか」


「東の谷の手前。前回の地震で地面にひびが入った場所がある」


 山道は険しかった。岩場を越え、小川を渡り、獣道を辿る。フェリクスが枝を払い、足場を確認しながら進んでくれるので、ミーリアは安心してついていけた。


 東の谷の手前に着いた。


 地面に細い亀裂が走っていた。長さは三メートルほど。幅は指一本分。亀裂の底から微かに瘴気の匂いがする。硫黄と腐った草を混ぜたような匂い。


「ここか」


「はい。星脈が少しだけ乱れています」


 ミーリアは亀裂の傍にしゃがみ込み、地面に手を当てた。星脈の流れを診る。大地の診断。土壌の中の生命力の流れが指先を通して伝わってくる。


「深いところは安定しています。表層だけが乱れてる。ヒカリグサの調合薬を飲んでからやれば、軽い処置で済みそうです」


 懐から陶器の小瓶を取り出し、一口飲んだ。体の芯が温まり、核紋が静かに活性化する。


 手を地面に押しつけた。白銀の光が指先から亀裂に沿って流れていく。瞳が金色から白銀に変わる。亀裂の底にある星脈の乱れを、ゆっくりと整えていく。


 光が消えた。亀裂は塞がらないが、瘴気の匂いが消えた。


「どうだ」


「大丈夫です。頭痛もありません。薬が効いてます」


 フェリクスが手を差し出した。ミーリアがその手を取って立ち上がった。


「次の点検箇所は南だ。精霊が二箇所、異常を報告してる」


「行きましょう」


* * *


 南の山道に移動し、二箇所目の異常に取りかかった。


 谷間の斜面に、枯れた草の帯が走っていた。星脈の流れが局所的に途切れ、土壌から生命力が抜けている。ミーリアが手を当てると、土の中の星脈回路が傷ついているのがわかった。


「ここは少し時間がかかります」


「急がなくていい。やれ」


 フェリクスが周囲を見回し、風の精霊に問いかけた。


〈安全。敵。いない〉


 フィルの報告にフェリクスが頷く。ミーリアは調合薬を一口飲み、両手を土に押しつけた。白銀の光が地面を走り、枯れた草の根に届く。ゆっくりと、緑が戻っていった。


 三箇所目は南東の岩場だった。岩の隙間から瘴気が滲み出ている。量は少ないが、放置すれば周辺の土壌が死ぬ。フェリクスが風属性で瘴気を散らし、ミーリアが岩の隙間に光を通して星脈の流れを修復した。


 二人の連携に、もう言葉はほとんど要らなかった。


 フェリクスが方角を示せば、ミーリアが頷く。ミーリアが地面に手を当てれば、フェリクスが周囲を警戒する。処置が終われば、フェリクスが水筒を差し出す。ミーリアが「ありがとうございます」と受け取る。


 それだけ。それだけで十分だった。


 四箇所目は小さな泉の傍だった。泉の水が濁り始めている。アクアが水面に浮かび上がり、弱々しく光った。


〈水。汚れた。助けて〉


「アクアさん。大丈夫、すぐに」


 ミーリアは泉の縁に膝をつき、水面に指先を浸した。星脈共鳴を発動する。白銀の光が水面を走り、泉の底に沈んだ濁りを押し出していく。水が澄んでいく。アクアが光を強め、水面で回転した。


「フェリクスさん、お昼にしませんか」


 太陽が真上に来た頃、ミーリアが切り出した。フェリクスが頷き、見晴らしの良い岩場まで歩いた。


 岩場に腰を下ろすと、グリュンハイムの谷間が一望できた。


 眼下に広がる風景。薬草園の緑。温泉の白い湯煙。聖樹の梢が陽光に輝いている。石造りの家々の屋根には修繕の跡が残っているが、煙突からは炊事の煙が上がっていた。日常が続いている。


 ミーリアは包みからパンとチーズを取り出し、二人分に分けた。フェリクスが無言でパンを齧る。ミーリアも齧った。硬いパンだが、山歩きの後には格別だった。


「綺麗ですね」


 ミーリアは谷間を見渡した。


「この景色が、わたしの守りたいものです」


 フェリクスがパンを飲み込んだ。


「……俺もだ」


「帝都にいた頃は、こんな景色、見たことなかったんです。宮殿の中は広いけど、窓の外はいつも同じ石壁で。でもここは——毎日違います。朝の霧の色も、夕日の沈み方も、湯煙の形も」


 フェリクスは黙ってミーリアの言葉を聞いていた。チーズをちぎってパンに乗せ、口に放り込んだ。


「フェリクスさん」


「なんだ」


 ミーリアはフェリクスの方を向いた。風がミーリアの栗色の髪を揺らした。白い筋が一本、陽光に透けている。


「一緒に守りましょう。一人じゃなくて——二人で」


 フェリクスの手が止まった。


 チーズを持ったまま、ミーリアの顔を見た。琥珀色の目が微かに揺れている。


「お前は——」


 言葉が途切れた。フェリクスはチーズを膝の上に置いた。目を逸らし、山の稜線を見つめた。喉仏が上下した。


「ああ」


 短い返事だった。けれどその声には、今まで聞いたことのない柔らかさがあった。


 そしてフェリクスが笑った。


 口元がほんの少しだけ緩んだ。目尻が下がった。不器用で、ぎこちなくて、唇の端がかすかに上がっただけの笑み。


 ミーリアは息を呑んだ。


 初めて見た。この人の笑顔を。


 山守の、硬い表情しか知らなかった男の、初めての笑顔。それは岩場に咲いた一輪の花のように、不意打ちで、小さくて、どうしようもなく温かかった。


「フェリクスさん、今——」


「なんだ」


「いえ。なんでもないです」


 ミーリアは自分の頬が熱くなるのを感じた。風が吹いて、湯煙が谷間に流れていく。二人の間の沈黙が、いつもより穏やかだった。


〈幸せ。二人。幸せ〉


 フィルが二人の頭上で光を明滅させた。ミーリアは「フィルさん、うるさいです」と呟いたが、口元は緩んでいた。


* * *


 帰り道だった。


 山道を下り、グリュンハイムが近づいてきた頃、フェリクスの足が止まった。


 ミーリアも立ち止まった。


「どうしました」


 フェリクスは南の方角を見ていた。目が鋭くなっている。精霊の声を聴いている時の表情だった。


「精霊が……」


 フィルがフェリクスの肩に止まった。翡翠の光が素早く点滅している。何か伝えている。


 フェリクスの眉が動いた。


「南の山道に、見慣れない人間がいると言っている」


「人間?」


「帝都の服を着た女が——一人で、こっちに向かっている」


 ミーリアの心臓が跳ねた。


 エルゼの言葉が脳裏を過った。『辺境の聖女に助けを求めに行く』。


「まさか——」


 フェリクスがミーリアの腕を掴んだ。


「急ぐぞ」


 二人は山道を駆け下りた。夕日がグリュンハイムの谷間を染め始めていた。

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