第72話 薬草師としての答え
ミーリアは薬草園のテーブルに材料を並べた。
ヒカリグサの乾燥葉。カミツレの花弁。マリアアザミの根。ラヴェンダーシスルの茎。そして聖域山脈の麓で採取した高山薬草の粉末。
五つの素材が、朝日に照らされてテーブルの上に影を落としている。
「何を作るんだい」
ロッテおばさんが腕を組んで隣に立った。
「星脈共鳴の負荷を軽減する薬です。ヒカリグサだけでも効果はあるんですけど、他の薬草と組み合わせれば、もっと安定して効くはず……たぶん」
「たぶん、ね」
「えっと、確信はあるんです。ただ、配合比率がまだ……」
ミーリアはヒカリグサの乾燥葉を手に取った。白銀に光る葉脈が、指先の温度で微かに脈動する。星脈のエネルギーを蓄えた薬草。これを体内に取り込むことで、星脈共鳴の際に核紋にかかる負荷を分散できる。
問題は配合だった。
ヒカリグサ単体では効果が強すぎて、体内の星脈回路が過敏になる。前回の裂け目修復の前に煎じて飲んだ時も、効果は確かにあったが、体の内側が熱くなりすぎた。
指先でヒカリグサの葉を砕きながら、ミーリアの脳裏に映像が浮かんだ。
白い研究室。フラスコの並ぶ棚。手元のノートに書かれた化学式。
前世の記憶だった。
製薬会社で生薬を研究していた頃の手の感覚が、指先に蘇る。アダプトゲンの原理。体の負荷を調整する物質。強すぎる作用を穏やかにし、弱すぎる作用を底上げする。ヒカリグサの薬効は、まさにそれに近い。
「体内の星脈回路をサポートする成分を、ヒカリグサと辺境の薬草で複合的に調合すれば……」
ミーリアは手を動かし始めた。ヒカリグサの葉を三分の一に減らし、カミツレの花弁を加える。カミツレには鎮静作用がある。マリアアザミの根は肝臓を保護する。星脈共鳴の副作用で体に蓄積する毒素の排出を助けるはずだ。
「ロッテおばさん、乳鉢を貸してください」
「はいよ」
ロッテが棚から石の乳鉢を取り出した。ミーリアはマリアアザミの根を砕き、ラヴェンダーシスルの茎を細かく刻んだ。
「この二つを先に混ぜて、それから高山薬草の粉末を少しずつ加えます。比率は……三対二対一。いや、四対二対一かな」
「どっちだい」
「四です。四対二対一」
自分の手を信じた。理屈より先に手が動く感覚。なぜこの比率がいいのかを言葉にはできないけれど、指先が知っている。
混ぜ合わせた粉末を小鍋に入れ、温泉の湯で煮出した。温泉の星脈エネルギーが溶剤として働き、薬効成分を引き出す。
薬草園に甘い匂いが広がった。
「いい匂いだね」
「ありがとうございます。あとは冷まして……」
フェリクスが薬草園の入口に現れた。腕に薪の束を抱えている。ミーリアの作業を一瞥し、薪を薬草園の隅に下ろした。
「薬か」
「はい。星脈共鳴の負荷を軽くする調合薬です。これがうまくいけば、寿命を削らずに封印を守れるかもしれません」
フェリクスは黙って頷いた。薪をもう一束運びに行き、戻ってきた。また黙って薪を下ろした。三往復目で、ミーリアの杯に水を注いで置いていった。
「ありがとうございます、フェリクスさん」
「……ああ」
* * *
午後、煎じ薬が完成した。
琥珀色の液体を陶器の瓶に移し、ミーリアはまず自分で試した。一口含むと、舌の上に甘みと苦みが同時に広がった。喉を通って胃に落ちると、体の芯がじんわりと温まっていく。
星脈共鳴を微弱に発動してみた。手のひらを地面に当て、薬草園の一角だけに光を通す。
白銀の脈が指先から伸びた。半径一メートル。枯れかけた薬草の葉が持ち直し、緑を取り戻す。
頭痛がない。
以前なら微弱な発動でも後頭部に鈍い痛みが走ったが、今日はそれがない。体内の星脈回路が、調合薬によって安定している感覚がある。
「どうだい」
ロッテが身を乗り出した。
「頭痛がないです。体も軽い。……効いてます」
「おお」
「でもまだ一回目ですから。何度か試して、副作用がないか確認しないと」
ミーリアは陶器の瓶を持ち上げて光にかざした。琥珀色の液体が透き通っている。
大聖女アリーシアは一人で三つの封印を施した。百年前の彼女は、自分の命を代償にして大陸を守った。
ミーリアは同じことをするつもりはなかった。
一人で全てを背負わない。寿命を削り尽くさない。薬草師として、自分にできることをする。星脈共鳴の力だけに頼るのではなく、薬草の知識とかつての経験を組み合わせて、体の負担を減らす方法を見つける。
それがミーリアの戦い方だった。
「ロッテおばさん」
「なんだい」
「もう少し量を作りたいんです。わたしだけじゃなくて、村の人たちにも飲んでもらえる薬にしたい。星脈の乱れで体調を崩す人がいるかもしれないから」
「あたしも手伝うよ。何を摘んでくればいい」
「カミツレとマリアアザミをお願いします。ヒカリグサは……残りが少ないので、また山に取りに行かないと」
「フェリクスに頼みな。あの子、あんたのためなら山の天辺まで行くよ」
ロッテが笑い、籠を持って畑に向かった。
ミーリアは薬草園のテーブルに向かい、配合の記録を羊皮紙に書き始めた。ヒカリグサの葉、四。カミツレの花弁、二。マリアアザミの根、一。高山薬草の粉末、半。温泉の湯で煮出し、冷却後に瓶詰め。
書きながら、胸の奥に小さな火が灯るのを感じた。
アリーシアさまは聖女として封印を施した。
わたしは薬草師として、この大地を癒す。
それがわたしの答えだ。
ペンを置き、ミーリアは薬草園から空を見上げた。聖域山脈の稜線が午後の光に白く輝いている。
フェリクスが薬草園の柵に背を預けて立っていた。ミーリアが顔を上げたのに気づき、視線を逸らした。
「フェリクスさん」
「なんだ」
「ヒカリグサ、また取りに行きたいんですけど」
「明日。朝一で行く」
「ありがとうございます」
ミーリアは微笑んだ。フェリクスはそっぽを向いたまま、小さく頷いた。
テラが薬草園の隅からゆっくり転がってきて、ミーリアの足元で止まった。
〈温かい。薬。いい匂い〉
「テラさんもそう思います? よかった」
フェリクスが柵から背を離し、薬草園の中に入ってきた。テーブルの上に並んだ陶器の瓶を見下ろした。
「何本作れるんだ」
「今の材料だと、十本くらいです。わたしが飲む分と、村の備蓄と」
「足りるのか」
「足りません。だからヒカリグサをもっと取りに行かないと」
フェリクスは瓶を一本手に取り、光にかざした。琥珀色の液体が揺れる。それを元の位置に戻し、黙って頷いた。
翡翠の蝶が頭上を旋回した。フィルが何かを伝えている。
〈聖樹。光った。少しだけ〉
ミーリアは聖樹の方角を見た。谷間の向こう、聖樹の梢が午後の光を受けて微かに輝いていた。
封印は崩れかけている。けれどまだ、時間はある。
薬草師として、この辺境を守る。一人ではなく、フェリクスと、精霊たちと、村の人たちと。
ミーリアは新しい瓶に手を伸ばし、調合の続きに取りかかった。




