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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第71話 アリーシアの記憶覚醒

聖樹の幹が、温かかった。


 ミーリアは根元に座り、背中を幹に預けていた。目を閉じている。瞑想というほど大層なものではない。ただ、聖樹の脈動に耳を澄ませていた。


 封印の悲鳴から三日。グリュンハイムの裂け目は塞がり、村人たちの暮らしは戻りつつある。けれど大地の奥で、星脈は今もざわめいている。遠くで何かが崩れ続けている気配。


 フェリクスは聖樹の根元から少し離れた岩に腰を下ろし、フィルと何かやり取りをしていた。


「……東の谷の精霊が戻ってきたらしい。ただ、怯えたまま巣穴から出てこないそうだ」


「そうですか……」


 ミーリアは目を閉じたまま答えた。手のひらを幹に当てている。樹皮の凹凸が指先に伝わる。その奥に、星脈の温もりがある。


 聖樹の精霊は、普段は姿を見せない。百年に一度現れるかどうかだと、ハンス村長は言っていた。けれど最近は、ミーリアが聖樹に触れるたびに老婆のシルエットが幹の奥に揺らめく。


 今日も。


 瞼の裏が白く染まった。


 映像が流れ込んでくる。前回より鮮明に。色があり、音があり、空気の匂いすらある。


 百年前の風景だった。


 聖域山脈の頂。吹きすさぶ風。白銀の長い髪をなびかせた女性が、岩肌に両手を押しつけている。大聖女アリーシア。ミーリアと同じ白銀の瞳が、涙に濡れていた。


 光が大地に染み込んでいく。アリーシアの全身から放射される白銀の脈が、山の内部に潜っていく。


 そして、声が聞こえた。


 アリーシアの声ではなかった。アリーシアの記憶の中で、アリーシア自身が語った言葉が、映像とともにミーリアの胸に流れ込んでくる。


「三つの場所。三つの光」


 映像が切り替わった。


 帝都イグナシオンの地下。巨大な星脈の結節点。アリーシアが地面に手を当て、白銀の光を注ぎ込んでいる。封印の核が形成されていく。


 再び切り替わる。


 辺境の谷間。グリュンハイムの聖樹の根元。今ミーリアが座っているまさにこの場所で、アリーシアが同じように手を当てている。二つ目の封印の核。


 もう一度。


 暗い洞窟。巨大な空洞。天井から光苔が垂れ下がり、青白い光に満ちている。東の迷宮。三つ目の封印の核がそこに埋め込まれた。


「大地の深い場所に、三つの核を埋めた。帝都と……辺境と……東の迷宮」


 アリーシアの記憶の中の声が、ミーリアの胸を貫いた。


 映像が途切れた。


 ミーリアは目を開けた。呼吸が荒い。額に汗が浮いている。聖樹の幹から手を離すと、指先が微かに震えていた。


「ミーリア」


 フェリクスが傍に来ていた。ミーリアの肩に手を置いている。


「見えました。アリーシアさまの記憶が……前よりずっと鮮明に」


 息を整えながら、ミーリアは見た映像を語った。三つの封印。三つの場所。帝都と辺境と東の迷宮。


 フェリクスの表情が険しくなった。


「三つ同時に崩壊すれば——」


「百年前の大崩落が、もう一度起きます」


 二人の間に重い沈黙が落ちた。フィルが不安そうにミーリアの肩と頭の上を行ったり来たりしている。


〈怖い。大きい。壊れる〉


「大丈夫ですよ、フィルさん」


 ミーリアはフィルに手を差し伸べた。翡翠色の蝶が指先に止まる。微かな温もりが伝わった。


 フェリクスが聖樹の幹に手を当てた。精霊の残した気配を読み取ろうとしている。


「アリーシアは三箇所に封印を分散させた。一箇所に集中させなかったのは——」


「一つが壊れても、他の二つが補う仕組みだったんだと思います。でも今は三つとも劣化している」


「ヴァレンシュタイン家が帝都の封印を弄ったせいか」


「たぶん。リーナさまの手紙にもそう書いてありました」


 フェリクスが顎を引いた。テラが聖樹の根元からゆっくりと這い出してきた。地面の中に潜っていた小さな土色の球体が、ミーリアの足元まで転がってきて止まった。


〈地面。痛い。ずっと〉


「テラさん……地面が痛いの?」


 テラが微かに揺れた。肯定の合図だった。


 ミーリアは聖樹の根に手を添えた。星脈の脈動が指先に伝わる。確かに、以前より振動が荒い。穏やかな鼓動ではなく、何かに耐えているような強張った脈。


「フェリクスさん。辺境の封印は聖樹の真下にあるんだと思います。アリーシアさまの記憶の映像で、まさにこの場所に手を当てていました」


「だとすると、お前がここを守るのが最優先だ」


「はい」


* * *


 宿に戻ると、マルタが手紙を持って待っていた。


「ミーリアちゃん、あなた宛。銀色の封蝋よ」


 リーナからの手紙だった。封を切り、目を通した。


 『ミーリアさま。帝都の状況は悪化しています。クラリッサの偽装が露呈して以来、ヴァレンシュタイン家への追及が激しくなりました。けれどそれ以上に深刻なのは、封印の劣化です。ヴァレンシュタイン家が百年間隠してきた封印の核を、彼らが弄っています。本来触れてはならないものに手を加えて、劣化を加速させてしまった。辺境の封印をあなたの力で守ってください。帝都は私が守ります。そして迷宮には——協力者がいます。詳しくはまだ書けませんが、東の方角で共鳴を感じたことはありませんか。あの方も、あなたと同じ力を持っています』


 ミーリアは手紙を膝の上に置いた。


「協力者……」


 東の方角。大陸同時異変の夜、星脈が叫んだあの瞬間に、遠くから共鳴が返ってきた。確かに感じた。自分と同じ脈動を持つ、別の誰かの存在を。


「リーナさまが三つの封印のことを知っている。帝都の封印はリーナさまが守る。迷宮には別の協力者がいる。そしてこの辺境の封印は——」


 フェリクスが腕を組んだ。


「お前の仕事だな」


「はい。わたしが守ります」


 ミーリアは立ち上がった。手紙を胸に当てた。リーナの筆跡は凛として、一字も乱れていなかった。あの夜、帝都の回廊で涙を拭ってくれた銀髪の令嬢。名前も知らなかった頃から、この人はずっとミーリアのことを見ていてくれたのだ。


 窓の外に目を向けた。聖域山脈の稜線が夕日に照らされている。


 フェリクスが窓辺に立ち、ミーリアの隣に並んだ。二人で山を見つめた。


〈急いで。封印。崩れる。三つ。全部〉


 聖樹の方角から、微かな光が脈打った。聖樹の精霊の声だった。遠くから届く、震える警告。


 ミーリアの瞳の奥で、白銀の光が揺れた。三つの封印が同時に崩壊すれば、大崩落が再び起きる。


「急がないと」


 フェリクスが短く言った。


「ええ」


 ミーリアは頷いた。手紙を懐にしまい、星脈に意識を向けた。辺境の封印は、聖樹の真下にある。アリーシアが百年前に施した二つ目の核。それを守ること。それがミーリアにできる最初の一歩だった。


 夕日が山の向こうに沈んでいく。最後の光が聖域山脈の頂を赤く染めた。その赤が消えた後、空に星が灯り始めた。


 一つ、二つ、三つ。


 三つの星が、三角形を描いて瞬いていた。

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