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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第68話 ヒカリグサを求めて

聖域山脈の麓に向かう山道は、グリュンハイムの裏手から始まっていた。


 フェリクスが先頭を歩き、ミーリアが後ろについた。背嚢には水筒と干し肉とロッテ特製の携帯食、それに採取用の革袋が詰まっている。朝靄が山道を覆い、二人の足元を白く包んでいた。


 フィルが先行して飛んでいく。時折戻ってきては、道の先を確認するように旋回した。


〈大丈夫。道。ある〉


「ありがとう、フィルさん。頼りにしてます」


 テラが地面の中からのそのそと顔を出し、ミーリアの足元を転がってきた。


〈気をつけて。山。揺れる〉


「ありがとう、テラ。行ってきますね」


 テラはゆっくりと地面に沈んでいった。見送りだったのだろう。のんびり屋の精霊なりの心配が、足の裏から温かく伝わってきた。


 山道は次第に勾配を増した。グリュンハイムの谷間を抜けると、岩場が増え、木々の間隔が広がっていく。木漏れ日が斜面に模様を描き、苔むした岩の表面で水滴が光っている。標高が上がるにつれ、足元の感覚が変わった。


 星脈が濃い。


 ミーリアは足を止め、地面に手を当てた。掌に伝わる振動が、グリュンハイムの畑とは明らかに異なっていた。低く、深く、広い。聖域山脈に近づくほど、大地の脈動が強まっていく。


「フェリクスさん。星脈が——すごく近いです。地面のすぐ下を流れてる」


「聖域山脈は星脈の源流だからな。麓でもこれだけ濃い」


「源流……」


 ミーリアは掌を見つめた。白銀の光が微かに滲んでいる。星脈が指先に呼びかけているような、温かい圧力。


「歩けるか」


「はい。むしろ体が軽いくらいです。星脈に引き上げてもらってる感じ」


 フェリクスが短く頷いた。再び歩き出す。岩を越え、沢を渡り、獣道を辿る。フェリクスの足取りは迷いがなかった。この山を何年も歩き続けてきた者の確かさがあった。


* * *


 昼を過ぎた頃、中腹の岩場に出た。


 視界が開けた。眼下にグリュンハイムの谷間が小さく見え、湯煙が白い糸のように立ち昇っている。振り返れば聖域山脈の稜線が頭上に迫り、残雪が日差しに光っていた。


 フィルが急に速度を上げた。岩場の奥に飛び込み、激しく明滅する。


〈ある! ここ! 光ってる!〉


 ミーリアが岩を回り込んで入った窪みに、それはあった。


 小さな草が群生していた。丈は掌ほど。葉は深い緑色だが、葉脈が白銀に光り、脈動している。星脈の流れに合わせるように、微かな光が満ちては引いてを繰り返していた。


「ヒカリグサ……」


 ミーリアは膝をついた。岩場の隙間に根を張り、日陰で静かに光る草。ロッテの文献に描かれた植物画そのものだった。


 指先で葉に触れた。温かかった。星脈の振動が葉を通じて掌に伝わり、体の芯まで流れ込んでくる。白い筋が走ったこめかみの辺りが、微かに緩んだ。


 記憶が浮かんだ。


 蛍光灯の白い光。試験管とフラスコが並ぶ実験台。薬効成分の分子構造が画面に映し出されている。生薬の研究。ストレスに対する体の適応反応を調整する——


「この草……薬効成分の構造が、アダプトゲンに似てます」


 口をついて出た言葉に、自分で首を傾げた。


「アダプト……何だ?」


「えっと、なんでしょう。体の負荷を調整する作用がある植物の……なんとなくそう思うんです。煎じて飲めば、星脈共鳴の消耗を和らげてくれるはず」


 フェリクスはミーリアの言葉の意味を正確には理解していなかったが、彼女の目が確信に満ちているのを見て頷いた。ミーリアがこの目をする時、疑う必要はないと知っていた。


「どう使う」


「乾燥させて粉末にして、お湯に溶かして飲む方法と、生のまま噛んで即効性を得る方法と。両方試してみます。ロッテおばさんと一緒に、配合比率も考えないと」


「採るぞ。根を傷つけるな。群生地を潰すと次がない」


「はい。三分の一だけいただきます。残りは自生を続けてもらわないと」


 ミーリアは革袋を開き、丁寧にヒカリグサを採取した。根ごと抜くのではなく、地上部だけを刃物で切り取る。フェリクスが周囲を警戒し、ミーリアが十株分を革袋に収めた。


 袋の中でヒカリグサが微かに光り続けている。星脈の残響を帯びたまま、葉脈が白銀に脈動していた。


「これだけあれば、ロッテおばさんと相談して調合できます」


 ミーリアは革袋の口を紐で縛りながら、ふと手を止めた。風が山の匂いを運んでくる。針葉樹の樹脂と、岩場の苔と、遠い雪の冷気。グリュンハイムの温泉の匂いとは違う、もっと原初的な自然の匂いだった。


「綺麗ですね、ここ」


「ああ」


「フェリクスさんは、こういう場所をいつも一人で歩いてたんですね」


「……一人で歩くのが仕事だからな」


「もう一人じゃないですよ」


 フェリクスが顔を背けた。耳の端が赤い。ミーリアはそれを見て、少しだけ口元が緩んだ。


「よし。日が暮れる前に降りるぞ」


 フェリクスが立ち上がり、背嚢を背負い直した。ミーリアに手を差し出す。いつもの無言の動作。けれどその手は、以前より少しだけ低い位置に差し出されていた。ミーリアが取りやすいように。


 ミーリアがその手を取って立ち上がろうとした時——


 フィルが凍りついた。


 翡翠の光が消えた。空中で静止したフィルの体が、小刻みに震えている。


〈来る。何か。上〉


 風が止まった。


 鳥の声が消えた。虫の羽音すら聞こえない。山全体が息を詰めたように静まり返った。


 フェリクスの表情が変わった。風属性の感覚を研ぎ澄まし、山の上の空気を読んでいる。


「見ろ」


 フェリクスが顎で上方を示した。


 聖域山脈の中腹あたりで、精霊たちが騒いでいた。無数の小さな光が山肌を飛び交い、逃げ惑うように散っていく。遠目にも異常な動きだった。普段は穏やかに漂う精霊の光が、火花のように弾けている。


「何かが来る」


 足元に、微かな振動が走った。


 ミーリアは地面に手を当てた。掌に伝わったのは、星脈の歌ではなかった。


 悲鳴だった。


 聖域山脈の頂から、不穏な振動が波紋のように広がってきていた。大地の奥深くで、何かが軋み、何かがずれ、何かが裂けようとしている。


「帰りましょう。フェリクスさん、急いで」


「ああ」


 二人は岩場を離れ、山道を駆け下りた。革袋の中でヒカリグサが揺れ、白銀の光が点滅した。背後の聖域山脈から、低い唸りが追いかけてくる。


 精霊たちの光が、山を降りて散っていく。逃げている。山の上にあるものから、逃げている。


 ミーリアは走りながら振り返った。聖域山脈の稜線の向こうに、空気が歪んで見えた。蜃気楼のような揺らぎ。あるいは——封印の綻び。


 革袋の中のヒカリグサが、脈動を速めていた。まるで心臓のように。何かに呼応するように。

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