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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第60話 第二の地震

赤い月が沈む前に、大地が揺れた。


 最初の一撃は縦揺れだった。グリュンハイムの石造りの家々が軋み、屋根瓦が落ちる音が谷間に響いた。二撃目は横揺れ。ミーリアの足元が大きくずれ、立っていられなくなった。


「ミーリア!」


 フェリクスがミーリアの腕を掴み、引き寄せた。二人で地面に膝をついた。土が波打っている。大地そのものが生き物のように蠢いていた。


 前回の地震とは比較にならない。


 フィルが悲鳴のような光を放った。テラが地面の中に潜り込み、震えている。村中から叫び声が上がった。子供の泣き声、瓦が割れる音、犬の吠え声。温泉の源泉から湯柱が噴き上がり、白い蒸気が赤い月を隠した。


「村長の家が!」


 誰かが叫んだ。集会所の壁に亀裂が走り、石材が崩れ始めている。マルタの温泉宿の煙突が傾いた。このまま揺れが続けば、建物が倒壊する。


 ミーリアは地面に手をついた。


 考える前に体が動いていた。両手を土に押しつけ、核紋に全力で力を注ぐ。


 星脈が応えた。


 指先から白銀の光が爆発的に広がった。瞳が金色から白銀に変わる。光の脈が地面を走り、ミーリアを中心に放射状に広がっていく。


 半径十メートル。五十メートル。百メートル。光が止まらない。


 地面が安定し始めた。ミーリアの光が星脈の乱れを押し留め、揺れを吸収していく。白銀の脈が薬草園を覆い、温泉街に伸び、集会所の土台を包んだ。崩れかけた壁の亀裂が、光の中で静止した。


 まだ足りない。村の北端。東の畑。聖樹の周辺。全てを覆わなければ。


「広げすぎだ! ミーリア!」


 フェリクスの声が遠くで聞こえた。


 ミーリアは奥歯を噛み締めた。広げなければ村が壊れる。目の前で建物が崩れるのを見ていることはできない。


 光が村の外縁に到達した。


 半径二百メートルを超えた。グリュンハイムの端から端まで。石造りの家も、薬草畑も、温泉宿も、聖樹も。白銀の光の網が村全体を包み込んだ。


 揺れが収まっていく。


 光の中で、地面の震動が徐々に弱まった。崩れかけた壁が止まり、傾いた煙突がそれ以上傾くのをやめた。噴き出しかけた瘴気が光に浄化され、黒い霧が白銀の粒子に変わって消えていく。


 村人たちが窓から外を見ていた。家の中から恐る恐る出てきた者もいた。白銀の光が村中を照らし、闇が消えている。赤い月すら霞むほどの光だった。


「聖女さまだ……」


「ミーリアちゃんが村を守ってる……」


 声が聞こえた。遠くから。水の底から響くように。


 ミーリアの視界が暗くなった。


 体の芯が冷たい。力が抜けていく。指先の感覚がなくなり、手が土から剥がれかけた。意識を保てない。全身の血が光に変わって流れ出ているような感覚。


 けれどまだ。


 揺れが完全に止まるまで、手を離すわけにはいかない。


 歯を食いしばった。核紋に残った力を絞り出す。最後の光が地面の奥に沁み込み、星脈の乱れを押さえつけた。


 揺れが止まった。


 静寂が降りた。


 ミーリアの手が土から落ちた。体が横に倒れる。白銀の瞳が淡い金に戻り、そのまま瞼が閉じた。


「ミーリア!」


 フェリクスが駆け寄った。ミーリアの体を抱き起こし、頬に手を当てた。冷たい。呼吸はある。浅く、細い呼吸。けれど意識がない。


「ミーリア。起きろ。ミーリア」


 名前を呼んだ。返事はない。


 ロッテが駆けつけた。ミーリアの脈を取り、額に手を当てた。


「生きてる。気を失ってるだけだ。でも……あんた、全力を出しすぎたね」


 フェリクスがミーリアを抱え上げた。軽い体が腕の中で力なく揺れている。


 村人たちが集まってきた。ミーリアの顔を見て、声を潜めた。


「ミーリアちゃん……」


「大丈夫なのか」


「運ぶ。邪魔をするな」


 フェリクスが低い声で言い、マルタの温泉宿に向かった。


* * *


 一日目。


 ミーリアは目を覚まさなかった。


 フェリクスは宿の一室に椅子を持ち込み、ミーリアの枕元に座った。ロッテが薬湯を作り、ミーリアの額に当てた。マルタが食事を運んできたが、フェリクスは手をつけなかった。


「食べなきゃ駄目よ、あんたまで倒れたら」


「いい」


「良くない。パンだけでも食べなさい」


 マルタがフェリクスの膝にパンを置いて出ていった。フェリクスはパンを齧り、ミーリアの手を握った。


〈起きて。ミーリア。起きて〉


 フィルが枕元で光を弱く灯し続けていた。


 二日目。


 変わらなかった。ミーリアの呼吸は安定していたが、目は閉じたままだった。ロッテが脈と体温を定期的に確認する。


「体は回復に向かってる。ただ、力を使いすぎて魂が眠ってるんだろうね。目覚めるのを待つしかないよ」


 フェリクスは頷いた。椅子から動かなかった。夜になっても動かなかった。ミーリアの手を握ったまま、背筋を伸ばして座っていた。


 ハンス村長が見舞いに来た。


「村は無事だ。建物の損壊は軽微で、怪我人は打ち身が数人。隣村は深刻な被害が出ているが、グリュンハイムだけは——ミーリアさんのおかげで守られた」


「……ああ」


「フェリクス。お前も休め」


「休まない」


 村長は溜息をついて部屋を出た。


 三日目の朝。


 窓から差し込む光がミーリアの顔を照らした。フェリクスは同じ椅子に座っていた。目の下に深い隈ができている。髪は乱れ、服は三日前のまま。それでも手だけはミーリアの手を握り続けていた。


 ミーリアの瞼が動いた。


 微かに。ほんの少し。睫毛が震えて、薄く目が開いた。


 天井が見えた。木の梁。マルタの温泉宿の天井だった。視界がぼやけている。体が重い。指一本動かすのに途方もない力がいる。


 右手に温もりがあった。


 誰かの手が、自分の手を握っている。大きな手。硬い皮膚。温かい。


 顔を横に向けた。


 フェリクスがいた。椅子に座り、ミーリアの手を握っている。目の下の隈が濃い。頬がこけている。三日間、ここにいたのだと、見ればわかった。


「……おかえり」


 フェリクスの声が掠れていた。低い声がさらに低く、喉の奥から絞り出すような一言だった。


「ただいま、です」


 ミーリアの声も掠れていた。唇が乾いている。けれど笑おうとした。うまく笑えたかどうかはわからない。


 フェリクスの手が強くなった。握る力が増した。その手が震えていた。


「フェリクスさん、寝てないでしょう」


「……うるさい」


「三日分、寝てください」


「お前が先に粥を食え」


 ミーリアは小さく笑った。笑うと頬の筋肉が痛んだ。体中が軋んでいる。でも生きている。


 フィルが飛び上がった。翡翠の光を激しく明滅させ、部屋中を飛び回った。


〈起きた! 起きた! 嬉しい!〉


「フィルさん、うるさい……でもありがとう」


 テラが布団の端でゆっくり回った。アクアが窓辺で青い光を灯した。


 扉が開いた。ロッテが薬湯の盆を持って入ってきた。ミーリアの目が開いているのを見て、盆をテーブルに置き、大股で近づいた。


「やっと起きたかい。三日も寝やがって」


「ごめんなさい、ロッテおばさん」


「謝るのはこの朴念仁にだよ。三日間一歩も動かなかったんだから」


 フェリクスが顔を背けた。ロッテが薬湯をミーリアの口元に運ぶ。温かい液体が喉を通り、体の奥に染み渡った。


* * *


 夕方、ミーリアは上体を起こせるようになった。


 マルタが粥を運んできた。フェリクスが匙でミーリアの口に粥を運ぼうとして、ミーリアが「自分で食べられます」と匙を受け取った。粥は薄味だったが、体の隅々に温かさが行き渡った。


 ハンス村長が見舞いに来て、村の状況を教えてくれた。建物の修繕は始まっている。隣村からの支援要請も来ているが、当面はグリュンハイムの復旧が優先だ。


「ミーリアさんのおかげで、この村は最小限の被害で済んだ。感謝してもしきれない」


「わたしは何も……ただ、手を当てただけです」


「その『手を当てただけ』が、百人の命を救ったんだよ」


 村長が去った後、マルタが手紙を一通持ってきた。


「ミーリアちゃん、あなた宛の手紙。帝都から早馬で届いたの」


 封を切った。銀色の蝋印。見覚えのある筆跡だった。


 リーナからの手紙だった。


 『ミーリアさま。帝都でも大きな地震がありました。宮殿の回廊が崩れ、市街地にも被害が出ています。クラリッサの浄化の祈りは効果がなく、帝都の民は不安に怯えています。「偽聖女」の噂が、もう囁き声ではなくなりました。ミーリアさん——嵐が来ますわ。辺境にも帝都にも。どうかお体を大切に。そして備えてください。必ずまたお会いしましょう』


 ミーリアは手紙を胸に当てた。


「嵐が……」


 窓の外に目を向けた。グリュンハイムの谷間に夕日が沈んでいく。建物の壁には修繕の跡が残り、瓦が欠けた屋根が目につく。それでも湯煙は変わらず立ち上り、子供たちの声が聞こえた。


 フェリクスが窓辺に立っていた。ミーリアの視線に気づき、振り返った。


「リーナさまから手紙です。帝都でも被害が出て……嵐が来ると」


「ああ」


「怖いです。でも」


 ミーリアはフェリクスの手を取った。まだ力が入らない。けれど指先にフェリクスの温もりが伝わった。


「一人じゃないから」


 フェリクスはミーリアの手を握り返した。窓の向こうで、最後の夕日が山の稜線に沈んだ。空に星が一つ、また一つと灯っていく。


 赤い月はもう見えなかった。けれど大地の奥で、星脈は震え続けている。

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