第54話 精霊たちの祭り
聖樹の周りに灯りが並んだ。
手作りの燈籠だった。薄い紙に切り絵を施し、中に蝋燭を立てたもの。花の模様、風の模様、水の模様。精霊たちを象った切り絵が、蝋燭の光で壁に影を落としている。
グリュンハイムの精霊祭。季節の変わり目に精霊へ感謝を捧げる伝統行事だ。
「今年も賑やかだねぇ」
ロッテが腕を組んで聖樹の前を見回した。村人たちが花と果物を聖樹の根元に供え、子供たちが燈籠の間を走り回っている。マルタが温泉の湯で割った薬草酒を配り歩き、ハンス村長が聖樹に祈りの言葉を捧げていた。
「リーナさま、あちらに供え物を置きましょう」
ミーリアがリーナの手を引いた。籠の中に野花と薬草園で育てた果実が入っている。ミーリアが選んだ供え物だった。
「精霊祭は初めてですわ。帝都では精霊信仰は異端とされていますから」
「グリュンハイムでは一番大切なお祭りです。精霊さんたちに、今年も守ってくれてありがとうって伝える日なんです」
二人で聖樹の根元に籠を置いた。リーナが手を合わせて目を閉じる。紫の瞳が閉じた瞬間、フィルがリーナの銀髪の上を飛んだ。
「あら」
リーナが目を開けた。髪に微かな風を感じたのだろう。
「今、何かが通りましたわね。精霊さんですか」
「フィルさんです。リーナさまのこと、気に入ったみたいですよ」
〈きれい。銀の髪〉
フィルが翡翠の光を撒きながら旋回した。リーナには見えないが、ミーリアが伝えると、リーナは小さく微笑んだ。
「光栄ですわ」
* * *
陽が傾き、燈籠の灯りが夜に映え始めた頃、祭りの本番が始まった。
ハンス村長が太鼓を叩いた。村の楽師が笛と弦楽器を奏でる。素朴な旋律が谷間に響き渡り、村人たちが聖樹の周りで踊りの輪を作り始めた。
ミーリアは輪の外側で見ていた。足元でテラがゆっくりと回転している。テラなりの踊りなのだろう。アクアが聖樹の根元の水溜まりで小さな水柱を上げ、燈籠の光を反射させていた。
「ミーリアちゃん、踊らないの?」
マルタが薬草酒の杯を手に近づいてきた。
「えっと、わたし踊りは得意じゃなくて……」
「そんなこと言ってたら一生踊れないわよ。ほら、フェリクスも来てるじゃない」
マルタが顎で示した方角を見ると、フェリクスが聖樹の少し離れた場所に立っていた。祭りの正装ではなく、いつもの山守の服装。腕を組んで幹に背を預けている。踊りの輪には加わっていない。
ミーリアと目が合った。
フェリクスが腕を解いた。幹から背を離し、こちらに歩いてくる。人混みの間を縫うように、真っ直ぐに。
「フェリクスさん」
「……来い」
手を差し出された。
ミーリアは一瞬、固まった。フェリクスの手。節くれだった大きな手。山仕事で鍛えられた掌。
「え、あの、わたし踊りは——」
「いいから」
手を取られた。引かれるまま、踊りの輪の中に入った。
フェリクスの手は温かかった。荒い手のひらだが、ミーリアの手を握る力は驚くほど慎重だった。壊れ物を扱うように、けれど離さないように。
周囲の村人たちが二人に気づいた。楽師が旋律を少し緩やかにした。気を利かせたのだ。
「フェリクスさん、手、こうですか?」
「……たぶん」
「たぶんって。踊ったことないんですか」
「ある。ガキの頃に婆さんと。それ以来ない」
ミーリアは笑った。フェリクスに腕を引かれ、輪の中で一歩踏み出す。リズムに合わせて二歩、三歩。上手くはない。フェリクスの足と何度かぶつかった。
「すみません、足——」
「気にするな」
フェリクスの声が低い。けれど怒っている声ではなかった。
フィルが二人の頭上を飛び回り、翡翠の光を散らした。テラがミーリアの足元をゆっくり回り、アクアが近くの水瓶から小さな虹を作った。精霊たちが祭りの光を添えている。
「やれやれ、ようやくかい」
ロッテの声が聞こえた。燈籠の傍に立ち、腕を組んで二人を見ている。目が細い。口元が緩んでいる。
「遅いんだよ、あんたたちは」
マルタがロッテの隣で杯を掲げた。
「あたしもう見てらんなかった。半年間じれったくて」
リーナが輪の外側でルシアンに手を差し出していた。
「ルシアン。踊りましょう」
「私は踊れませんよ、リーナ様」
「わたくしも踊れませんわ。一緒に下手でいましょう」
ルシアンが困った顔をして、それでもリーナの手を取った。
音楽が続いている。笛の旋律が高くなり、太鼓のリズムが跳ねた。聖樹の枝が風に揺れ、葉の間から星が覗いた。
ミーリアはフェリクスの手に導かれて回った。目が回りそうだった。足がもつれそうだった。けれど握られた手が安定していて、転びそうになるたびにフェリクスの力が支えてくれた。
〈くるくる。楽しい〉
フィルが精霊の仲間を連れてきた。小さな光の粒が十数個、二人の周りを旋回し始めた。精霊たちの踊り。ミーリアの足元に花が一輪咲いた。星脈共鳴の無意識発動だ。
「あ、咲いちゃった」
「いい。咲かせておけ」
フェリクスの声が、少しだけ柔らかかった。
曲が終わりに近づいた。旋律が静かになり、太鼓のリズムが緩やかになっていく。村人たちが足を止め、拍手が起きた。ミーリアも止まろうとしたが——フェリクスの手が、まだ離れなかった。
「フェリクスさん?」
「……もう少しだけ」
二人は曲が終わった後も、しばらく聖樹の根元に立っていた。手が繋がったまま。周囲の村人たちが通り過ぎていく。ロッテが「ほら、邪魔しちゃいけないよ」とマルタの腕を引いた。
星空が広がっていた。聖域山脈の稜線の上に天の川が流れ、燈籠の光が地上の星のように揺れている。精霊たちの光が空に舞い上がり、星と地上の灯りが溶け合っていた。
「フェリクスさん」
「なんだ」
「踊り、楽しかったです」
「……踊りは苦手だ」
一拍、間があった。
「でも——お前と一緒なら、悪くない」
ミーリアの頬が熱くなった。夜風が冷たいのに、顔だけが燃えるように熱い。
「わたしも……フェリクスさんと一緒なら、悪くないです」
フェリクスが顔を逸らした。燈籠の光に照らされた耳の端が赤い。夜のせいにはできない色だった。
〈嬉しい。嬉しい。ずっと〉
フィルが二人の繋いだ手の上で光を撒いた。小さな翡翠色の粒が夜の空気に溶けていく。
ミーリアはフェリクスの手の温もりを感じながら、星空を見上げた。精霊たちの光が空に昇り、星の間で瞬いている。
隣にいる人の手が温かくて、それだけで胸がいっぱいだった。
聖樹の根元で、二人の影が一つに重なっていた。燈籠の光が揺れるたびに影の輪郭が変わり、けれど重なりは解けなかった。
星空の下で、二人の距離が縮まっていく。精霊たちが祝福の光を灯す中、祭りの夜はゆっくりと更けていった。




