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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第52話 人を癒す力

馬車が薬草園の前に止まった時、ミーリアは乾燥棚の整理をしていた。


 荷台から男が下ろされた。担架はない。布の上に横たわった農夫を、隣村の若者二人が抱えている。農夫の顔が灰色だった。唇が紫に変色し、全身が細かく痙攣していた。


「ミーリアさん、助けてくれ。親父が畑で倒れた」


 若者の声が震えている。ミーリアは手を止めて駆け寄り、農夫の額に手を当てた。熱い。体温が異常に高い。


「何があったんですか」


「地震の後から畑の一角に黒い霧が出ててよ。親父がそこで芋を掘ってたら、急に霧が濃くなって——吸い込んじまったんだ」


 瘴気。地震で星脈が乱れた場所から噴き出す有害な気だった。土壌に蓄積された負のエネルギーが、裂け目から地上に漏れ出している。


「ロッテさんの薬草を試したんだが、熱が下がらない。痙攣も止まらなくて」


 ロッテが奥から走ってきた。農夫の状態を見て顔をしかめた。


「瘴気中毒だね。通常の解毒薬じゃ効かない。瘴気は体内の星脈回路を直接侵すから、薬草だけじゃ手が届かないんだ」


 農夫が苦しそうに呻いた。体が弓なりに反り、若者たちが必死に押さえている。


「ミーリアちゃん、あんたの力なら——」


 ロッテが言いかけて口を閉じた。星脈共鳴を人間に使うのは未知の領域だ。土壌や植物には何度も試したが、人の体は違う。


 ミーリアは農夫の手を見た。節くれだった指。土が爪の間に入っている。畑仕事で使い込まれた手だった。この手が動かなくなれば、家族が路頭に迷う。


「やります」


 声が出ていた。迷いはなかった。


「えっと、ロッテさん。この方を薬草園の中に。土の上に寝かせてもらえますか」


「土の上?」


「星脈共鳴は大地に触れないと発動できません。この方の体と大地を、わたしの力で繋ぎたいんです」


 ロッテが頷いた。若者たちが農夫を薬草園の中央に運び、敷布の上に横たえた。ミーリアは農夫の横に膝をつき、右手を農夫の手に重ね、左手を地面に置いた。


 フェリクスが薬草園の入口に立っていた。いつの間に来たのか。腕を組んで、黙ってミーリアを見ている。


「フェリクスさん」


「聞いてた。やれ。俺が見てる」


 ミーリアは目を閉じた。


 左手から大地の星脈を感じる。温かく、安定した流れ。グリュンハイムの土壌は星脈が豊かだ。

 右手から農夫の体を感じる。生命の脈動。だが、その中に黒い澱みがあった。胸の奥、核紋の周囲に瘴気が絡みついている。血管のように細い星脈回路を詰まらせ、生命力の流れを遮断していた。


「見えます。瘴気が……核紋の周りに巻きついて、体の中の流れを止めています」


 声に出して伝えた。ロッテが息を呑むのが聞こえた。


 星脈共鳴を発動した。


 瞳が金色から白銀に変わった。左手から吸い上げた星脈のエネルギーが、ミーリアの体を通り、右手から農夫の体に流れ込む。白銀の光が農夫の手の甲に浮かび上がり、腕を伝って胸へと走っていく。

 農夫の体が光に包まれた。痙攣が緩やかになる。


 瘴気は抵抗した。黒い澱みがミーリアの光を押し返そうとする。星脈の清浄なエネルギーと瘴気がぶつかり、農夫の体の中でせめぎ合った。


「……っ」


 頭に鈍い痛みが走った。人間の体は土壌より複雑だった。星脈回路が毛細血管のように枝分かれし、一本一本に瘴気が入り込んでいる。すべてを浄化するには、光を隅々まで行き渡らせなければならない。


〈頑張って。あったかい光〉


 テラが足元で振動し、大地から追加のエネルギーを送り込んでくれた。フィルがミーリアの頭上で旋回し、風を起こして額の汗を乾かした。


 光が農夫の核紋に到達した。黒い瘴気が白銀に押し出されていく。胸の奥から、首へ、肩へ、腕へ。瘴気が体の末端に追いやられ、最後に指先から霧のように散った。


 農夫の顔に色が戻った。灰色が薄桃色に変わっていく。痙攣が止まり、呼吸が規則的になった。


「熱が……下がってる」


 ロッテが農夫の額に手を当てた。


「下がってるよ。嘘みたいだ」


 若者たちが顔を見合わせた。農夫がゆっくり目を開けた。焦点が合うまで数秒かかったが、やがて息子の顔を認めた。


「……ここは」


「親父! 目が覚めたか!」


「なんだ……なんだか、体が軽い。黒い霧を吸って、そこからの記憶がないんだが」


 ミーリアは農夫の手を離した。手のひらが汗で濡れている。成功した。星脈共鳴で、人の病気を治した。


「土地だけじゃない」


 ミーリアは自分の手を見つめた。白銀の光の名残がまだ指先に残っている。


「人の病気も、治せるんだ……」


 言葉にした瞬間、体の力が抜けた。視界が揺れ、膝が崩れる。フェリクスの腕がミーリアの体を支えた。


「おい」


「大丈夫です。少し……少しだけ」


 大丈夫ではなかった。全身が鉛のように重い。指先の感覚が薄れ、耳の奥でキーンという高い音が鳴っていた。星脈共鳴を人体に通すのは、土壌の十倍は消耗する。


 フェリクスがミーリアを抱え上げた。


「寝かせる。動くな」


「で、でもまだ農夫さんの経過を——」


「ロッテが見る。お前は寝ろ」


 反論する気力がなかった。フェリクスの腕の中で、視界が白くぼやけていく。


* * *


 リーナ・クレスタフェルデは、薬草園の隅で一部始終を見ていた。


 帝都から持参した手帳に、震える手で記録を取っている。リーナの力で観測した星脈の挙動。ミーリアの核紋から放射された白銀のエネルギーの周波数。農夫の体内で瘴気が浄化される過程。すべてが前例のないデータだった。


「大聖女アリーシアの旋律と同じ……いいえ。同じ系統でありながら、より細密な制御ができている」


 リーナは手帳を閉じ、薬草園の中央に歩み寄った。ロッテが農夫の様子を確認している横で、リーナは静かに立ち止まった。


「ロッテさん」


「ん? ああ、銀髪のお嬢さん」


「今の星脈共鳴——生命そのものに共鳴していました。大地の癒しではなく、人体の星脈回路を直接浄化した。記録にある限り、これができたのは大聖女アリーシアただ一人です」


 ロッテの目が細くなった。


「つまりミーリアちゃんは、大聖女と同じことをやったってことかい」


 リーナは首を振った。銀髪が肩で揺れる。


「大聖女以上かもしれませんわ」


 声が震えていた。学術的な興奮ではない。畏敬だった。


「大聖女は土地の治癒に命を捧げました。けれどミーリアさんは生きたまま、人の体を癒した。しかも初めての試みで成功している。第三段階の完全覚醒——と申しますか、ここまでの速度は記録にありません」


 ロッテが腕を組んだ。


「あの子、半日は動けないだろうね」


「ええ。反動は相当なものです。けれど——」


 リーナが薬草園の奥を見た。フェリクスがミーリアを抱えて宿に向かう背中が見える。ミーリアの腕がだらりと下がっている。意識がないのだ。


「あの方は、まだ強くなりますわ」


* * *


 目が覚めた時、部屋の中は薄暗かった。


 夕方だ。窓から傾いた日差しが差し込み、天井を橙色に染めている。体が重い。指一本動かすのにも力がいった。


 枕元に花があった。


 小さな野花。青い花弁に白い縁取りがある。山の中腹に咲く花だ。名前はまだ知らない。茎が短くて、水を入れた湯呑みに挿してあった。


「フェリクスさん……」


 部屋の中を見回した。誰もいない。ベッドの横の椅子に、外套がかけてあった。フェリクスの外套だ。革と草の匂いがする。


 テーブルの上に、ロッテの字で書かれた紙切れがあった。


 『農夫は回復。息子が迎えに来た。あんたは明日まで寝てな。——ロッテ』


 その横に、別の字が一行だけ追記されていた。ぶっきらぼうな筆跡。


 『花。お前が好きだと言ってたから。摘んできた。——フ』


 ミーリアは紙切れを胸に押し当てた。頬が熱い。熱のせいではなかった。


〈起きた。よかった〉


 フィルが窓枠から飛び込んできて、枕の横に止まった。翡翠の光がゆっくり明滅している。


「フィルさん、フェリクスさんは」


〈山。見回り。でもすぐ帰る〉


「そうですか」


 ミーリアは野花を見つめた。青い花弁が夕日に透けて、淡い紫色に見えた。


 人を癒す力。今日初めて使った。土壌より遥かに繊細で、遥かに消耗する。けれど農夫の目が開いた瞬間、体中の疲れが吹き飛ぶほどの喜びがあった。


 指先がまだ痺れている。全身が怠い。明日まで寝ていろというロッテの指示は正しい。


 それでも。


 ミーリアは野花に指先で触れた。花弁がかすかに揺れる。


 この力を、もっと使いたい。人のために。この村のために。

 穏やかに暮らしたい。でも、目の前で苦しんでいる人を放っておけない。それもまた本心だった。


 窓の外で、夕日が沈んでいく。薬草園の上空をフィルが飛び、テラが畑の隅で眠っている。グリュンハイムの日常が、また一日を終えようとしていた。

 ミーリアは青い野花を見つめながら、そっと目を閉じた。フェリクスの足音が階段を上がってくる気配を感じながら、意識が柔らかい眠りに沈んでいった。

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