第49話 薬草師の誇り
翌日の昼過ぎには、ミーリアは歩けるようになっていた。
「もう大丈夫です。昨日はご迷惑をおかけしました」
「大丈夫に見えませんわ。顔色がまだ白いですもの」
リーナが眉を寄せた。ミーリアは笑って首を振った。
「いつもこうなんです。星脈共鳴のあとは少し疲れるだけで、半日寝れば回復しますから」
「頑丈なのか無頓着なのか、判断に迷いますわね」
「えっと……どっちもかもしれません」
ミーリアはリーナを薬草園に案内した。
午後の日差しが畑を照らしている。薬草の緑が鮮やかで、空気に甘い香りが漂っていた。ロッテが畑の奥で肥料を撒いている。
「ここがわたしの仕事場です。ロッテおばさんに教わりながら、薬草の栽培と調合をしています」
「まあ。帝都の薬草園とはまるで違いますわね。こちらの方がずっと……生き生きしている」
「星脈が地表に近いので、薬草がよく育つんです。あと、精霊さんたちが手伝ってくれるので」
テラが畑の隅からのそのそと現れ、ミーリアの足元で一回転した。
〈見て。元気。畑〉
「テラさんが、畑を見てって言ってます」
「精霊の声がわかるのですわね。うらやましい……わたくしには見えも聞こえもしませんの。けれど核紋の旋律を通じて、微かな気配だけは感じ取れますわ」
ミーリアは作業台に並んだ薬草の束を手に取った。
「こちらは解熱の薬草茶の材料です。三種類の薬草を煎じて、特定の比率で混ぜると効果が上がるんです。なぜかそういう知識があって……自分でも不思議なんですけど」
「まるで別の世界の知識のようですわね」
リーナの言葉に、ミーリアの手が止まった。
別の世界。リーナは何気なく言っただけだろう。けれどその言葉は、ミーリアの胸の奥をかすめた。
「なんでだろう、なぜかこういうことを知ってるんです。薬草の配合とか、煎じ方とか。教わった覚えはないのに」
「天性の才能かもしれませんわ。核紋の旋律に、薬草と調和する音がありますもの」
リーナが微笑んだ。ミーリアは安堵して、調合の実演を始めた。
三種の薬草を量り、石臼で潰し、温めた湯に順番に加えていく。手つきは慣れたものだった。五分ほどで薬草茶が出来上がり、ミーリアはリーナに差し出した。
「どうぞ。解熱茶です。熱がなくても、体の巡りが良くなるので」
リーナが一口飲み、目を見開いた。
「おいしい。薬草茶でこんなに飲みやすいものは初めてですわ」
「ロッテおばさんに褒められたレシピなんです。えへへ」
「あんたのレシピっていうか、あんたの手つきが異常なんだよ」
ロッテが畑の奥から声をかけた。土まみれの手をエプロンで拭きながら歩いてくる。
「こんな調合法、辺境の薬草師は誰も知らない。あたしゃ三十年やってるけど、教わったことがない手順さ」
「あの、ロッテおばさん。こちら、リーナさまです。帝都から来てくださった方で——」
「ああ、あの銀髪の令嬢かい。帝都の割には悪い目つきじゃないね」
「まあ。お褒めの言葉と受け取りますわ」
リーナが笑った。ロッテも不敵に笑い返した。
* * *
午後、ミーリアはリーナを温泉に案内した。
マルタの宿の裏手にある露天風呂。湯煙が立ち上り、源泉から微かに硫黄の匂いが漂っている。聖域山脈の稜線が湯気の向こうに霞んでいた。
「帝都にはない泉質ですわ。星脈のエネルギーが湯に溶けていますの」
「リーナさまにもわかるんですか?」
「核紋を通じて、ほんの少しだけ。この湯は……歌っていますわ。低くて穏やかな旋律」
二人で湯に浸かっていると、マルタが脱衣所から顔を出した。
「リーナちゃん、辺境の温泉はどう?」
「リーナちゃん……。まあ、いいですわ。とても気持ちがいいです」
「でしょう? ミーリアちゃんが来てから、お湯の質がさらに良くなったのよ。星脈のおかげでね」
「マルタさん、それ関係ないと思います……」
「関係あるわよ。ところで——」
マルタの目がきらりと光った。
「ミーリアちゃんとフェリクスの関係、聞いてもいいかしら?」
「えっ」
ミーリアの顔が一瞬で赤くなった。湯の熱さのせいではない。
「あ、あの、フェリクスさんとは、その、薬草採取に一緒に行ったり、山の見回りの報告を聞いたり——」
「そうじゃなくて! 毎朝花を持ってくる山守の男に、あんたはどう思ってるのかって聞いてるの!」
「花は……えっと、道端に咲いてたのを摘んでくれてるだけで……」
「暗いうちから摘みに行ってるのよ? フィルちゃんが言ってたでしょ?」
フィルが湯気の中で翡翠色に光った。
〈朝。暗い。摘んだ〉
「フィルさんまで……」
リーナが口元を押さえて笑っていた。
「素敵な方ですわね。不器用だけれど——嘘のない旋律。あの方の核紋は、ミーリアさんのことを想うときだけ、少しだけ優しい音になりますの」
「そ、そうなんですか……?」
「核紋は嘘をつけませんもの」
ミーリアは湯の中に顎まで沈んだ。頬が熱い。マルタとリーナが楽しそうに笑っている。
* * *
温泉の帰り道。
宿の前にフェリクスが立っていた。手に木の盆を持って、その上に湯気の立つ器が二つ載っている。
「……ハーブティー。二人分」
ミーリアとリーナに、一つずつ差し出した。ミーリアの分にはいつもの蜂蜜が入っていて、リーナの分には甘味が控えめの茶葉が選ばれていた。
「まあ。わたくしの好みがわかりますの?」
「顔を見ればわかる。甘いものは好まない顔だ」
「あら。正解ですわ」
リーナがハーブティーを一口飲み、ゆっくり頷いた。
「おいしい。薬草の選び方に、この土地の恵みが詰まっていますわ」
フェリクスは無言で頷いた。ミーリアの隣に立ち、リーナが宿の中に入るのを見送った。
二人きりになった。
夕焼けがグリュンハイムの谷間を橙色に染めている。温泉の湯煙が赤い光を吸って、幻想的な景色を作っていた。
「フェリクスさん」
「何だ」
「リーナさま、いい方ですよね。わたしの力のこと、帝都に知られないように守ってくれるって」
フェリクスは答えなかった。ハーブティーを一口飲んで、遠くの山を見た。
「あの令嬢、お前のことを守ると言っていた」
「はい」
「——俺だけじゃなくなったな」
ミーリアはフェリクスの横顔を見上げた。
夕日が琥珀色の目を照らしている。その声に安堵があった。ミーリアを守る人が自分だけではなくなったという安堵。
けれど、それだけではなかった。声の奥に、かすかな別の色が混じっている。
「フェリクスさん」
「何だ」
「フェリクスさんが最初ですよ。わたしを守ってくれたのは」
フェリクスの手が、ハーブティーの器を持ったまま止まった。
「……知ってる」
「はい。知ってます」
二人の間を、夕方の風が吹き抜けた。フィルが風に乗って二人の頭上を一周し、翡翠の光を撒き散らしながら宿の屋根に消えた。
夕暮れの谷間が、静かに暮れていく。




