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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第45話 帝都の偽聖女

帝都イグナシオン、星神教大神殿。


 クラリッサ・エーデルシュタインは祭壇の前に立っていた。


 白い聖衣が床に広がり、金糸の刺繍が燭台の光を反射している。大神殿の天井は高く、柱の間に薄い光が差し込んでいた。参列者は百人を超えている。貴族、官僚、神官、そして一般市民。全員の目がクラリッサに注がれていた。


「聖女様、お願いいたします」


 大神官が恭しく頭を下げた。白い髭を蓄えた老人の目に、切実な色が浮かんでいる。


「市民の不安が高まっております。先の地震の後、帝都の各所で瘴気が報告されています。聖女の浄化の祈りをもって、民の心を鎮めていただきたい」


「承知しておりますわ」


 クラリッサの声は澄んでいた。公の場にふさわしい、聖女の声。優美で慈悲深い微笑みを浮かべ、祭壇に両手を置いた。


 聖光の器に意識を集中する。腕輪が手首の内側で微かに温度を持つ。出力を上げる。光属性A級の核紋から魔力を引き出し、聖光の器を介して増幅する。S級相当の光を放つ。それが「浄化の祈り」の仕組みだった。


 両手から光が溢れた。金色の光が祭壇を包み、天井に向かって伸びていく。参列者から感嘆の声が上がった。「聖女様」「まばゆい」「ありがたい」。


 けれどクラリッサの体の内側で、別のことが起きていた。


 聖光の器の出力が揺れている。金色の光が一瞬だけ明滅し、暗くなり、また戻る。ちょうど蝋燭の炎が風に煽られるように。


 クラリッサの背筋に冷たいものが走った。


「……」


 歯を食いしばった。魔力を注ぎ込み、出力を安定させようとする。光が戻った。明滅が収まった。参列者には気づかれなかった。たぶん。


 祈りが終わった。光が消え、クラリッサは祭壇から手を離した。微笑みを保ったまま、参列者に一礼する。拍手が起きた。


「素晴らしい聖光でございました」


 大神官が言った。けれどその目が、ほんの一瞬だけ、クラリッサの手首に向いた気がした。聖光の器を巻いた手首に。


 気のせいだ。クラリッサは自分にそう言い聞かせた。


* * *


 控え室に戻ると、侍女のヘルミーナが白い布を差し出した。


「お疲れ様でございます、クラリッサ様」


「ありがとう。少し喉が渇きましたわ」


 水を一杯飲んだ。手が震えていないことを確かめてから、杯を置いた。


「ヘルミーナ。浄化の祈りの効果は、いかほどでしょう」


「はい。大神殿の周囲半径百メートルほどの瘴気が薄くなったと報告がございました」


「百メートル……」


 声が小さくなった。前回は二百メートルだった。その前は三百。回を追うごとに効果範囲が狭まっている。聖光の器の出力低下が、浄化の範囲に直接反映されていた。


「しかも効果の持続が短くなっているとの報告も——」


「わかっておりますわ」


 クラリッサが遮った。声が硬い。ヘルミーナが口を閉じた。


 沈黙が控え室に落ちた。蝋燭の炎が揺れる音だけが聞こえる。


「ヘルミーナ。今朝の報告書は読みましたか」


「辺境のグリュンハイムに関する報告でございますか」


「ええ」


「はい。先遣隊の報告によると、グリュンハイムでは地震の被害が皆無であったと。周辺の村が被害を受ける中、そこだけが——」


「わかっておりますわ」


 二度目の遮断。ヘルミーナが一歩下がった。


 クラリッサは化粧台の鏡に目をやった。鏡の中の自分が見つめ返している。金色の巻き髪。整った目鼻立ち。聖女にふさわしい美貌。けれど頬に赤みがない。唇が乾いている。


「辺境に追いやったはずの娘が……なぜ今さら」


 呟きは独り言だった。ヘルミーナには聞こえないよう、唇だけを動かした。


 二年前にミーリア・ローゼンクロイツを追放した時、全ては計算通りだった。聖光の儀で核紋の出力測定を行い、ミーリアの光属性B級と自分のS級——聖光の器で偽装した——を比較させ、「偽聖女」のレッテルを貼って追い出した。ヴァレンシュタイン家の後押しがあった。エーデルシュタイン家の技術があった。姉フローラの婚約者ディートリヒの政治力があった。


 完璧な計画だった。あの時は。


 今、その全てが揺らいでいる。


 聖光の器は不安定。技術者のメンテナンス間隔が開き、出力の制御が困難になっている。ヴァレンシュタイン家は大陸異変の対応で多忙。ディートリヒ卿は帝都の政治で手一杯。


 そして辺境の娘が——光属性B級だったはずの娘が——帝都の聖女にできないことを、やっている。


「浄化の祈りで農地が回復しないのは、わたくしのせいではありませんわ。聖光の器のメンテナンスが遅れているだけ。エーデルシュタイン家の技術者が戻れば、出力は安定します」


 鏡に向かって言った。声が震えていないことを確認した。


 扉がノックされた。


「クラリッサ様。姉君のフローラ様からのお手紙でございます」


 ヘルミーナが封書を差し出した。クラリッサは封を切り、中の文面に目を通した。


 フローラの筆跡。整った、貴族らしい文字。


 『クラリッサへ。帝都の鑑譜師が辺境に調査団を送るという情報を得ました。調査団の目的は地震被害の調査ですが、鑑譜師が同行するという噂があります。鑑譜師——核紋の音色を聴き取る特殊な能力者です。もし辺境の娘の核紋を調べたら、何が明らかになるかわかりません。気をつけなさい。——フローラ』


 クラリッサは手紙を膝の上に置いた。


 鑑譜師。核紋の音色を聴く者。帝都にいる銀髪の令嬢の噂は聞いたことがある。嘘を見抜く力を持つとか、核紋の旋律から属性を正確に判定できるとか。


 もしその鑑譜師がミーリアの核紋を調べたら。


 ミーリアの力が光属性B級ではないと判明したら。


「……」


 クラリッサは手紙を二つに折り、化粧台の引き出しにしまった。鍵を閉めた。


 鏡に映った自分の手首を見た。袖の下で、聖光の器が微かに明滅していた。金色の光が不規則に揺れ、暗くなり、また灯る。蛍のように弱い光だった。


 ヘルミーナが控え室の隅に立っていた。クラリッサの手首に目をやり——すぐに視線を逸らした。


 けれどクラリッサは気づいた。ヘルミーナの目が、一瞬だけ聖光の器の明滅を捉えていたことに。


「何でもありませんわ」


 クラリッサが言った。声は平静だった。


「……何でも」


 鏡の中で、聖光の器がまた一度、暗くなった。今度は戻るまでに、三拍かかった。


* * *


 帝都の夜は暗い。


 クラリッサは私室の窓辺に立ち、帝都の街並みを見下ろしていた。地震で傷ついた建物の修復が進んでいる。足場が組まれ、石工が壁を塗り直し、屋根瓦が積まれている。


 市民は不安を抱えていた。地震はいつまた来るのか。聖女の浄化の祈りは効いているのか。辺境では被害がなかったと聞くが、なぜ帝都は守られなかったのか。


 その全ての疑問が、やがてクラリッサに向けられる。


「わたくしは帝国聖女。この帝都を守る聖女ですわ」


 窓に向かって呟いた。声が震えた。今度は隠せなかった。


 手首の聖光の器が、また明滅した。金色の光が消え、戻り、消え、戻り。不規則な脈動が手首を伝わってくる。まるで心臓の鼓動のように。


 けれどその鼓動は——弱くなっていた。


 クラリッサはカーテンを閉め、暗い部屋の中で、腕輪を両手で包んだ。祈るように。すがるように。


 帝都の夜が、静かに更けていった。

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