第42話 帝都の波紋
朝の集会所に、村人たちが集まっていた。
いつもの集会より人が多い。農夫も牧童も、温泉宿の従業員まで顔を揃えている。石造りの壁に朝日が差し込み、埃が金色に舞う中、ハンス村長が口を開いた。
「状況を整理する」
村長の手元に、書類が三通並んでいた。
「まず、カルスト村からの礼状。ミーリアさんの薬草と軟膏で怪我人が回復した。感謝とともに、今後の薬草の定期購入を申し出ている」
村人たちが小さく拍手した。ミーリアが照れて俯く。
「次に、ブリュッケン村からの問い合わせ。『グリュンハイムだけ地震の被害がなかったのは本当か。理由を教えてほしい』。同じ内容の手紙が、ミュールバッハ村と南の交易所からも来ている」
村人たちがざわめいた。
「最後に、行商のベルンからの情報。帝都でも地震があった。宮殿の外壁にひびが入り、神殿の尖塔が傾いた。帝都周辺の農地で星脈の乱れが確認され、作物の生育に影響が出ている。しかしグリュンハイムだけが無傷という情報が、帝都の交易商の間にも広がり始めている」
静寂が落ちた。
「つまり」
村長が村人たちの顔を見回した。
「この村が無事だったことは、もう近隣だけの話ではなくなりつつある。帝都にも知れている」
「それで調査団が来るって話ですか」
ロッテが壁に凭れたまま聞いた。腕を組み、目を細めている。
「その可能性は高い。帝都は大陸異変の原因調査を進めている。グリュンハイムだけ無傷なら、理由を調べに来るのは自然だ」
「来させりゃいいさ。見るものなんかないよ。薬草と温泉と精霊くらいだ」
ロッテの声は軽かったが、目は笑っていなかった。
「問題はミーリアさんだ」
村長がミーリアの方を向いた。
「先日の出頭命令を断った直後だ。調査団は表向き『異変調査』を掲げてくるだろうが、本当の狙いはあなたの力の確認かもしれない」
「……はい。わかっています」
ミーリアは膝の上で手を重ねた。指先が微かに冷たい。
「帝都の連中に見せるものはない。調査が目的なら、こちらも調査させればいい」
フェリクスが入口の柱に肩を預けたまま言った。
「だが、ミーリアの力を直接確かめようとするなら——止める」
低い声に、村人たちが頷いた。
* * *
集会の後、ミーリアは薬草園で星脈の状態を確認することにした。
ここ数日、無意識の星脈共鳴がグリュンハイムを守っていたことがわかった。けれど自分の力がどこまで伸びているのか、正確には把握できていない。
「少しだけ、試してみます」
フェリクスが傍に立った。腕を組み、黙って見ている。
ミーリアは薬草畑の中央に膝をつき、両手を土に置いた。目を閉じる。核紋に意識を集中し、星脈の流れを探る。
指先から白銀の光が滲んだ。
土に沁み込んでいく。薬草の根を伝い、地面の奥へ。光の脈が走り出す。畑の端まで、柵の向こうまで、隣の農地まで。ミーリアの瞳が淡い金色から白銀に変わった。
「……広い」
呟いた。
以前の感覚とは明らかに違う。星脈共鳴の効果範囲が、体感で二倍以上に広がっている。光の脈は薬草園を超え、集会所の方まで伸びていた。さらにその先——温泉宿の地下を流れる星脈にも、微かに触れている。
「半径二百メートル近い……」
フェリクスが地面を見つめた。白銀の光の線が足元を通り過ぎ、村の端に向かって走っている。
「前は五十メートルが限界だった。四倍近くに伸びている」
「はい。でもこれは——」
言葉が途切れた。
視界が揺れた。地面が傾き、空が回る。頭の中で鐘が鳴ったような圧迫感が広がり、膝の力が抜けた。
倒れかけた体をフェリクスの腕が支えた。
「おい」
「大丈夫です。ちょっと……ちょっとだけ、くらっとしただけで」
嘘ではなかった。意識は保っている。けれど目の前に灰色の斑点が踊り、両手の感覚がぼんやりしている。範囲が広がった分だけ、消耗も大きくなっていた。
「水」
フェリクスが革水筒を口元に押し当てた。冷たい水が喉を通り、頭の靄が少しだけ晴れた。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
「……大丈夫じゃないだろう」
フェリクスの声が低い。ミーリアの顔色を見つめている。
「座れ。動くな」
薬草園の椅子に座らされた。フェリクスが横に立ち、腕を組んだまま動かない。番犬のようだった。
〈無理しない。ね〉
フィルが肩に止まり、翡翠の光を弱く灯した。温かい光が首筋に染み込む。精霊の小さな癒しだった。
「範囲が広がったのは良いことですよね。でも負荷も増えているから、使い方を考えないと」
「当面は全力発動するな。半分の出力で抑えろ」
「はい」
ミーリアは素直に頷いた。体の芯にまだ重さが残っている。以前なら半径五十メートルの共鳴で軽い頭痛だった。二百メートルは、今の体では荷が重い。
けれど、力は確かに成長していた。村を守る範囲が広がった。隣村まではまだ届かないが、グリュンハイムの端から端まではカバーできる。
「成長してるんですね、わたしの力」
「ああ」
「胸が温かいような、足がすくむような……」
「使い方を間違えなければ怖くない。だから俺がいる」
フェリクスの声に感情の色は薄い。事実を述べているだけだった。けれどその事実が、ミーリアの胸の奥を温かくした。
* * *
夕方、ベルンが交易の帰りに立ち寄った。
「大変だよ、ミーリアちゃん。帝都の交易商仲間から聞いたんだが、帝都の農地がひどいことになってる。地震の後、星脈の乱れで畑が枯れ始めてるんだ。聖女様の浄化の祈りで回復するはずが、全然効いてないらしい」
ミーリアは茶を淹れる手を止めた。
「聖女様の——クラリッサさんの祈りが、効かない?」
「ああ。三回祈りの儀式をやったけど、翌日には元に戻るそうだ。帝都の農民が怒ってるって話だよ。『辺境は無事なのに帝都がやられるとは何事だ』って」
ベルンは薬草茶を一口飲んで続けた。
「それで、グリュンハイムだけ無事だって話が帝都にまで届いたんだな。交易商の間で噂になってる。『辺境の聖女が守ったらしい』って」
「聖女じゃないです、わたし……」
「まあまあ。とにかく、帝都から何か来るかもしれないから気をつけなよ」
ベルンが去った後、ミーリアは一人で片付けをしていた。薬草茶の壺を棚に戻し、乾燥棚の薬草を整理し、調合台を拭く。単純な作業が手に馴染む。この薬草園で過ごす時間が、ミーリアにとって一番落ち着ける時間だった。
扉が開いた。
「ミーリア」
名前で呼ばれた。
振り向くと、フェリクスが立っていた。表情が硬い。普段より一段、険しい。
「どうしました?」
「帝都から使者が来た」
ミーリアの手が止まった。薬草の束を握ったまま、フェリクスの顔を見つめた。
「使者が村長に会いに来ている。調査団を派遣するとのことだ。グリュンハイムが地震の被害を免れた理由を調査する、と」
「……そうですか」
「正式な通達は明日届く。調査団の規模はまだ不明だ。だが——」
フェリクスがミーリアの前に立った。琥珀色の目が真っ直ぐにミーリアを見ている。夕日が窓から差し込み、深緑の髪に赤い光を落としていた。
「俺がいる限り、お前には指一本触れさせない」
低い声だった。静かだった。けれど揺るぎがなかった。
ミーリアは薬草の束をそっと棚に戻した。手が震えていた。帝都への不安か、フェリクスの言葉に動揺したのか、自分でもわからなかった。
「ありがとう、フェリクスさん」
声が少し掠れた。
「わたしは、ここにいます。ここから動きません」
フェリクスは頷いた。それだけだった。けれどその一つの頷きが、どんな言葉より重かった。
窓の外で日が沈んでいく。温泉の湯煙が夕焼けに染まり、精霊たちの光が畑の上に浮かび始めた。グリュンハイムの夜が来る。穏やかで、温かくて、少しだけ緊張を含んだ夜が。
〈大丈夫。ここにいる。みんな〉
フィルが窓枠から飛び立ち、夕空を一周して戻ってきた。翡翠の光が、二人の間をそっと繋いでいた。




