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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第41話 余震の後で

大陸が揺れた夜から、五日が過ぎた。


 グリュンハイムの朝は変わらず穏やかだった。温泉の湯煙が谷間を白く霞ませ、薬草畑の葉先に朝露が光っている。鶏が鳴き、牛が低く唸り、どこかの家から焼きたてのパンの匂いが流れてくる。


「ミーリアさん、今日もいい天気だね」


 農夫のベルトが畑に向かいながら声をかけてきた。ミーリアは薬草園の入口で手を振り返した。


「はい。風も穏やかで、薬草の乾燥にちょうどいいです」


 いつも通りの挨拶。いつも通りの朝。けれどベルトの足取りには、五日前にはなかった軽さがあった。

 あの夜の地震で、グリュンハイムは無傷だった。周辺の村が井戸水の濁りや畑の亀裂に悩まされている中、この谷だけが何事もなかったかのように朝を迎えている。


「ミーリアのおかげだよ。みんなそう言ってる」


 ベルトが畑に消える間際にそう言い残した。ミーリアは首を傾げた。


「わたしは何もしてないのに……」


〈したよ。ずっと。守ってた〉


 テラが足元で揺れた。拳大の土色の球体が、朝日を浴びてほんのり光っている。


「えっ? わたし、寝てる間も星脈共鳴が……?」


〈うん。ずっと。温かかった〉


 ミーリアは自分の両手を見つめた。覚えがなかった。意識して発動した記憶はない。けれど五日間、毎朝土に触れるたびに、星脈の流れが妙に滑らかだった。自分が通った後の畑だけ、草の色が一段鮮やかだったのも気づいていた。


「無意識に……」


 呟いた声を、背後から別の声が拾った。


「やはりそうか」


 フェリクスが薬草園の柵に腕を載せて立っていた。外套に山の朝露がついている。未明から見回りに出ていたらしい。


「周辺を全部回ってきた。カルスト村は井戸が二つ枯れた。ブリュッケン村は畑の三分の一に亀裂が入っている。ミュールバッハ村は家屋が二軒傾いた」


 ミーリアの胸が痛んだ。


「そんなに……」


「だがグリュンハイムだけは何もない。畑も井戸も家も、全部無事だ。理由は一つしかない」


 フェリクスの琥珀色の目がミーリアを見据えている。


「お前の星脈共鳴が、この土地を包んでいた。範囲はおそらく村全域。半径で言えば百五十から二百メートル。意識しないまま、寝ている間も」


「そんなこと、できるんですか……」


「できている。現に」


 フェリクスの声に驚きはなかった。事実を述べているだけだった。ミーリアはもう一度自分の手を見た。何も光っていない。普通の、少しだけ土で汚れた手だ。


* * *


 昼過ぎ、ハンス村長の提案で隣村への支援物資を届けることになった。


「カルスト村が一番近い。ミーリアさんの薬草茶と軟膏を持って行ってくれないか」


「はい。すぐ準備します」


 ミーリアは乾燥棚から解熱用と安眠用の薬草を取り出し、手早く調合した。軟膏は先週作り置きしたものが十壺ある。竹籠に詰めて背負い紐を通した。


「俺が荷物を持つ」


 フェリクスが竹籠を取り上げた。ミーリアが「自分で持てます」と言う前に、もう肩に担いでいた。


「……ありがとうございます」


「行くぞ」


 山道を南に下り、小一時間でカルスト村に着いた。


 石壁の家が並ぶ小さな集落。普段は静かな村だが、今日は人の往来が多い。井戸の周りに人だかりができていた。


「水が出ないんだよ。5日前の地震から、ぷっつり止まった」


 カルスト村の村長が額の汗を拭いながら言った。日焼けした顔に疲労の色が濃い。


「もう一本の井戸も半分しか出ない。畑の水やりを優先すると、飲み水が足りなくなる」


「薬草茶と軟膏をお持ちしました。怪我をされた方がいれば」


「ありがたいよ、ミーリアさん。うちの爺さんが瓦礫で足を打ってね。化膿しかけてて」


 ミーリアは老人の足を診た。腫れは軽度だったが、清潔な布と軟膏が行き届いていなかった。丁寧に洗い、軟膏を塗り、包帯を巻いた。


「三日ほどで腫れは引くと思います。一日二回、軟膏を塗り直してください」


「すまないね。グリュンハイムの聖女様に診てもらえるなんて」


 老人が手を合わせた。ミーリアは慌てて首を振った。


「聖女じゃないです。ただの薬草師で……」


「聖女様だよ。あの地震でグリュンハイムだけ無事だったのは、あんたのおかげだろう? みんな知ってるよ」


 カルスト村の村人たちがミーリアの周りに集まり始めた。「うちの畑も診てくれないか」「子供の熱が下がらなくて」「井戸の水、なんとかならないか」。


 フェリクスが一歩前に出た。


「今日は薬草の届け物だ。診察の順番はカルスト村長が決めろ。全員は無理だ」


 低い声が村人たちを静めた。カルスト村長が怪我人と病人の優先順位を整理し、ミーリアは一人ずつ診ていった。


 軟膏が三壺なくなり、薬草茶の袋が半分になった頃、ミーリアは最後の患者の手を離した。


「ありがとう、ミーリアさん。今度はこちらからグリュンハイムに薬草を買いに行くよ」


「はい。お待ちしています」


 帰り道、山道を登りながらミーリアは黙っていた。フェリクスも何も言わない。夕日が山の稜線にかかり、二人の影が長く伸びている。


「……フェリクスさん」


「なんだ」


「わたしの力が、無意識にグリュンハイムを守っていたとしたら。隣の村は守れなかったということですよね」


 フェリクスの足が止まった。


「お前のせいじゃない」


「でも——」


「お前のせいじゃない。範囲に限界があるのは当然だ。一人で大陸全部を守れるやつはいない」


 フェリクスの声が硬い。ミーリアの頬を山風が撫でた。


「それはわかっています。でも、隣の村の人たちの顔を見たら……。もっと力があれば、と思ってしまうんです」


「思うだけにしろ。無茶はするな」


 フェリクスが歩き始めた。三歩先で振り返った。


「お前がここにいるから、この村は守られている。それは事実だ。隣の村には隣の村のやり方がある」


 ミーリアは頷いた。頷くしかなかった。けれど足元の土を踏むたびに、星脈の震えが靴底を通じて伝わってくる。テラの言葉が頭を離れない。


〈深い。揺れた。まだ震えてる〉


 地表は静かだった。畑は青く、空は赤く、温泉の湯煙は白い。けれど大地の奥底では、まだ何かが震え続けていた。五日前の叫びの残響が、星脈の深層に沈んで消えない。


「テラが言ってました。『まだ震えてる』って」


「……ああ。精霊たちも同じことを言っている。地表は落ち着いたが、深い層が安定しない」


「百年前の大崩落の前も、こうだったんでしょうか」


 フェリクスは答えなかった。グリュンハイムの灯りが見えてきた。温泉の湯煙が夕空に溶け、精霊たちの小さな光が畑の上をふわふわと漂っている。


 穏やかな風景だった。けれどその下で、大地はまだ微かに震えている。


* * *


 夕食後、ハンス村長が薬草園を訪ねてきた。顔つきが硬い。手に封書を持っている。


「ミーリアさん。帝都から続報が来た」


 ミーリアの背筋が伸びた。先日の出頭命令への返書を送って以来、帝都からの音沙汰はなかった。


「大陸異変の調査のため、各地に調査団を派遣するらしい。グリュンハイムにも来る可能性がある、とベルンが言っていた」


「調査団……」


「まだ正式な通達は来ていない。だが備えておいた方がいい。帝都は、あなたの力に目をつけている」


 村長が封書をテーブルに置いて去った。


 ミーリアは封書に触れず、窓の外を見た。月が昇り始めていた。白い月だった。赤くない。それだけで少し安心する。


〈来るかも。遠くから〉


 フィルが窓枠に止まり、南の方角を見つめていた。帝都の方角だった。


「帝都から調査団が来るかもしれない」——その言葉が胸に小さな棘を残した。帝都。追い出された場所。もう戻りたくない場所。


 けれどグリュンハイムには、守りたいものがある。この薬草園も、温泉も、精霊たちの光も。隣村に薬草を届けた時の、あの老人の笑顔も。


 ミーリアは窓枠に手を置いた。指先から微かな白銀の光が滲み、窓枠の木に染み込んでいく。無意識の星脈共鳴。今度は、自覚があった。


「……来るなら来てください。ここは、わたしの居場所ですから」


 呟きは夜風に溶けた。月明かりの下で、薬草園の葉が一斉に揺れた。まるで頷くように。

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