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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第40話 帝都の影再び

朝食の席で、ハンス村長が封書を持ってきた。


 蝋で封をされた羊皮紙。赤い蝋印に帝国の紋章が押されている。ミーリアはパンを置き、村長から封書を受け取った。


「帝都からだ。今朝、早馬で届いた」


 村長の顔が硬い。ミーリアは封を切り、中の文面に目を通した。


 『辺境自治区グリュンハイムの薬草師ミーリア・ローゼンクロイツに対し、帝国宮廷への出頭を命ず。大陸異変の調査および聖女の力の再鑑定のため、至急帝都イグナシオンに出頭されたし。なお正当な理由なく出頭を拒否した場合、辺境自治区の自治権に対する再審査を検討する旨、付記する』


 手が震えた。


 文面を二度読み返した。三度目で、文字が滲んだ。視界がぼやける。涙ではなかった。手が震えて、羊皮紙が揺れているのだ。


「ミーリアさん」


 村長が静かに言った。


「帝都は本気だ。大陸異変の後で、宮廷は焦っている。あなたの力が本物だと認知されてしまった以上、放っておくつもりはないだろう」


「帝都に……戻れと」


 声が掠れた。


 帝都。追放された場所。核紋が反応しなかったと嘲られ、偽聖女と呼ばれた場所。あの大広間の冷たい視線。クラリッサの嘲笑。


「行く必要はない」


 入口から声がした。


 フェリクスが扉の枠に肩を預けて立っていた。腕を組み、琥珀色の目でミーリアを見ている。


「ここは自治区だ。帝都の出頭命令に法的拘束力はない」


「しかしフェリクス、自治権の再審査をちらつかせているぞ」


 村長が封書の末尾を指さした。フェリクスが鼻で笑った。


「脅しだ。辺境の自治権は帝国建国時の契約に基づいている。宮廷の一官僚が覆せるものじゃない」


「だが、強引に押し通してくる可能性はある」


「その時はその時だ」


 フェリクスが腕を解き、ミーリアの前に歩み寄った。ミーリアを見下ろす。


「お前が決めろ。行きたいなら止めない。だが——行く必要はない」


 ミーリアは封書を膝の上に置いた。羊皮紙の手触りが冷たい。帝都の匂いがする気がした。蝋燭と埃と、石造りの回廊の匂い。


 顔を上げた。


 フェリクスの琥珀色の目が真っ直ぐにミーリアを見ている。その隣にロッテがいた。腕を組んで、いつもの不敵な顔で。マルタが奥の台所から顔を出している。テラが足元で揺れ、フィルが肩の上で光っていた。


「ミーリアちゃん」


 マルタが声をかけた。


「朝ごはん、冷めちゃうわよ。帝都がどうのっていうのは、お腹いっぱいにしてから考えましょ」


「……はい」


 ミーリアは小さく笑った。封書をたたんでエプロンのポケットにしまい、パンをちぎって口に入れた。温かかった。


* * *


——同日、帝都イグナシオン。


 宮殿の東廊下を、クラリッサ・エーデルシュタインが早足で歩いていた。


 絹のドレスの裾が石畳を掃く。侍女が二人、半歩後ろを追いかけている。クラリッサは振り返らず、手元の書簡を睨みつけていた。


「出頭命令ですって……? あの娘に出頭命令を……?」


 独り言だった。声が廊下に反響する。侍女たちが目を伏せた。


 書簡の内容は宮廷第三局からの通達だった。『辺境の薬草師ミーリア・ローゼンクロイツに対し、帝国宮廷への出頭を命ず』。クラリッサはこの命令を事前に知らされていなかった。第三局が独自に動いた。


「来させてはなりません」


 クラリッサが足を止めた。侍女がぶつかりそうになり、慌てて距離を取る。


「あの娘が帝都に来れば、比較されるのはわたくしですわ。光属性A級とあの娘の——あの、白銀の光。並べられれば、誰の目にも明らかになる」


 声が震えていた。廊下の窓から差し込む光が、クラリッサの金髪を照らしている。美しい横顔。けれど唇が白い。


「止められないのですか、クラリッサ様」


 侍女が控えめに尋ねた。


「第三局はヴァレンシュタイン侯爵の管轄です。わたくしの意見が通る場所ではありませんわ」


 クラリッサが窓の外を見た。帝都の街並みが広がっている。大陸異変の爪痕が残り、市壁の一部に補修の足場が組まれていた。市民の不満が溜まっている。聖女の浄化の祈りに効果がないことは、もう隠しきれなくなっていた。


「あの娘が来れば——終わりですわ」


 呟きは誰にも聞こえなかった。


 クラリッサは拳を握り、廊下の奥に歩き出した。エーデルシュタイン家に手紙を書かねばならない。姉フローラの婚約者ディートリヒ卿の力を借りて、出頭命令を撤回させるか——いや。


「あの娘が辺境に留まるなら、それでいいのです。来なければいい。ずっと田舎で薬草でも弄っていればいい」


 そう言い聞かせて、クラリッサは足を速めた。


 しかし帝国宮廷の歯車は、もう止まらない。


* * *


 グリュンハイムの夕暮れ。


 ミーリアは薬草園のテーブルに封書を広げて、もう一度読み返していた。隣にフェリクスが座っている。ロッテが向かいの椅子に腰を下ろし、マルタが薬草茶を人数分並べていた。


「結論を出そう」


 村長が言った。


「帝都に行くか。行かないか。ミーリアさん、どうする」


 全員の視線がミーリアに集まった。


 ミーリアは封書を見つめた。帝国の紋章が蝋の赤い光を返している。


 帝都には帰りたくない。あの場所に戻れば、また「偽聖女」と呼ばれる。クラリッサの目が、宮廷の冷たい空気が、自分を押し潰そうとする。


 でもそれだけではなかった。


 帝都に行きたくない理由は、もう一つある。


 ここを離れたくない。


 薬草園の匂い。温泉の湯煙。ロッテの叱り声。マルタの粥。精霊たちの光。聖樹の静けさ。村人たちの笑顔。

 そしてフェリクスの声。


 ミーリアは封書をたたんだ。


 顔を上げた。


「帝都には行きません」


 声が通った。震えていなかった。


「ここが、わたしの居場所ですから」


 静寂が落ちた。ロッテが口笛を吹いた。マルタが目を潤ませて笑っている。村長が大きく頷いた。


「よし。では帝都には自治区の権限に基づき、丁重にお断りの返書を送ろう」


「わたしも手紙を書きます。自分の言葉で伝えたいので」


「いいだろう」


 フェリクスは何も言わなかった。腕を組み、目を閉じていた。けれどその口元が、微かに緩んでいるのをミーリアは見た。


* * *


 夜。ミーリアは自室の机で、帝都への返書を書いていた。


 ペンが止まる。何度も書き直し、羊皮紙が二枚無駄になった。形式的な断り文を書こうとして、どうしても筆が乗らない。

 三枚目で、ミーリアは形式を捨てた。


 『わたしはグリュンハイムの薬草師です。この村の人々を、この土地を、精霊たちを守ることが、わたしの仕事です。帝都の命令には従えません。しかし、大陸の異変が深刻なものであるならば、わたしにできることがあるかもしれません。その際は、ここグリュンハイムにお越しください。——ミーリア・ローゼンクロイツ』


 書き終えて、ペンを置いた。


 窓の外で月が光っている。白い月。窓枠にフィルが止まり、翡翠の光をゆっくり明滅させていた。


〈ここ。いる。ずっと〉


「はい。ずっとここにいます」


 ミーリアは返書を封筒に入れ、蝋で封をした。蝋印はない。帝国の紋章の代わりに、薬草園で摘んだ小さな花を一輪、封の横に添えた。


 手紙を机の端に置き、窓辺に立った。


 グリュンハイムの谷間に月明かりが注いでいる。温泉の湯煙が夜空に白く立ち上り、精霊たちの光が遠くの畑で微かに揺れていた。どこかでフクロウが鳴いている。


 明日からもここで暮らす。薬草を育て、星脈を安定させ、村の人々を診る。フェリクスが山を守り、ミーリアが大地を癒す。それがこの場所での日常になっていた。


 ミーリアの瞳に月の光が映っていた。金色の瞳。穏やかだが、揺るがない光を宿している。

 帝都がどう動こうと、この場所は譲らない。この居場所は、自分の手で守る。


 夜風が窓から入り、机の上の返書の花弁を揺らした。

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