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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第36話 回復の日々

熱が引かない。


 星脈共鳴の第二段階に到達してから、ミーリアの体は燃え続けていた。額に当てた布がすぐにぬるくなる。呼吸は浅く、寝返りを打つたびに汗が枕を濡らした。

 フィルが枕元で翡翠の光を弱々しく明滅させている。テラが足元から動かない。アクアが水瓶の中で静かに揺れていた。


〈熱い。まだ熱い〉


 フィルの声が掠れていた。精霊が人間の病を心配するのだと、ミーリアはぼんやり知っていた。けれど返事をする力がない。


* * *


 一日目。


「あんた、しっかりしな。薬湯を作ったから飲みな」


 ロッテの声が遠くに聞こえた。起き上がれないミーリアの頭を支え、温かい薬湯を唇に当ててくれる。苦くて、少しだけ甘い。喉を通った瞬間、胸の奥の熱がほんの僅かだけ和らいだ。


「星脈共鳴の反動で体が燃えてるんだ。あたしの薬じゃ限界があるけどね」


「ロッテ、さん……ごめんなさい……」


「謝るんじゃないよ。あんたは村を救ったんだ。少しくらい寝てな」


 ロッテの手が額の布を替えた。冷たい布の感触に、ミーリアの目蓋が重く落ちた。


 うとうとしていると、扉の軋む音がした。重い足音。革靴が床板を踏む音で誰かわかる。フェリクスだ。

 何かを棚に置く音。水を注ぐ音。布を絞る音。それからしばらく、何も聞こえなくなった。ただ椅子が軋む音だけが、時折響いた。


〈来た。ずっといる〉


 テラの声が足元から聞こえた。ミーリアは薄目を開けたが、視界がぼやけて何も見えなかった。ただフェリクスの気配だけが、部屋の隅にあった。


* * *


 夜。意識が浮かんだ時、部屋に灯りがあった。


 蝋燭が一本、窓際の棚に立っている。その隣の椅子にフェリクスが座っていた。膝の上に革の水筒を置き、背筋を伸ばしたまま壁に凭れている。

 起きているのかと思ったが、目は閉じていた。呼吸が深い。眠っている。


 服が皺だらけだった。


 山守の外套を脱いで椅子の背に掛け、麻のシャツだけの姿。普段は見えない腕の傷跡が蝋燭の灯りに浮かんでいる。山で暮らしてきた人の腕だ。

 ミーリアは枕の上から、その横顔を見つめた。


 厳つい顔だと思っていた。不愛想で言葉が少なくて、最初は少し怖かった。でも今は穏やかに見える。目の下に隈がある。ずっとここにいたのだろう。


 ずっと。


 胸の奥で何かが跳ねた。熱のせいではなかった。心臓が速く打っている。指先が震える。頬が熱い。体温のせいだと思いたかったが、違う。


 この人が傍にいてくれた。

 熱で苦しい間もずっと、椅子に座って見守ってくれた。水を替え、布を当て、名前を呼んでくれた。

 薬草畑に花を持ってきた人。山道で手を差し伸べてくれた人。「お前自身はもっと大事だ」と言った人。


 わたし、この人のことが——。


 言葉にならなかった。なりかけた思考が、自分の胸の鼓動に掻き消された。

 ミーリアは布団の中で拳を握った。目の奥が熱い。


* * *


 二日目の朝。


「ミーリアちゃん、お粥作ったわよ。起きられる?」


 マルタが盆を持って部屋に入ってきた。湯気が立つ粥と、薬草を添えた小皿。温泉宿の女将らしい、きちんとした盛りつけだった。


「マルタさん……ありがとうございます……」


「いいのよ。フェリクスがね、『マルタに粥を頼んでくれ。あいつは胃に優しいものしか食えない』って朝一番に来たの」


 ミーリアは目を瞬かせた。


「フェリクスさんが?」


「そうよ。あの朴念仁が他人のご飯の心配するなんて初めて見たわ。あんた、大事にされてるわね」


 マルタが笑って部屋を出ていった。ミーリアは粥を一口含んだ。温かくて、出汁が効いている。胃に沁みるように優しかった。


〈元気。少し元気〉


 テラが足元で嬉しそうに揺れた。


* * *


 午後、熱が少しずつ下がり始めた。


 ロッテが体温を確かめに来て、「峠は越えたね」と頷いた。フェリクスが入れ替わりに現れ、窓を細く開けた。山の風が入り、汗ばんだ肌に触れる。


「……風が気持ちいいです」


「窓は開けすぎるな。冷える」


「はい」


 フェリクスが椅子に座った。昨夜と同じ場所。同じ椅子。革水筒を膝に置く仕草まで同じだった。

 ミーリアは布団の中から、その横顔をまた見つめていた。


「フェリクスさん」


「なんだ」


「ずっと、ここにいてくれたんですか」


「……たまたまだ。山の見回りが早く終わった」


「服、皺だらけですよ」


 フェリクスが視線を逸らした。蝋燭の残りを指で弾いて、何も答えない。

 耳の端が赤いのを、ミーリアは見逃さなかった。


* * *


 二日目の夕方。


 ミーリアの熱が平熱に戻った。起き上がれるようになり、窓辺に座って山の稜線を眺めた。夕焼けが谷間を染めている。いつものグリュンハイムの風景。何も変わらない、穏やかな夕暮れ。


「粥の残り、食うか」


 フェリクスが小鍋を持って部屋に入ってきた。粥を碗に盛り、匙を添えてミーリアの傍に置く。


「これ、フェリクスさんが温め直してくれたんですか」


「マルタに頼まれただけだ」


 嘘だ、とミーリアは思った。マルタなら自分で持ってくる。


 粥を食べた。温かくて、味が沁みた。碗の底が見えた頃、フェリクスが立ち上がった。


「熱が引いたなら、明日から少しずつ動け。無理はするな」


「はい。……ありがとうございます、フェリクスさん」


「別に何もしてない」


 フェリクスが扉に手をかけた。

 ミーリアの口が動いた。考えるより先に、声が出ていた。


「もう少しだけ、ここにいてください」


 フェリクスの手が止まった。

 振り返らない。背中が少し強張っている。


「……夕焼けが綺麗なので。一人で見るのは、もったいないなと思って」


 苦しい言い訳だった。自分でもわかっていた。ただ、もう少しだけ傍にいてほしかった。それだけだった。


 長い沈黙があった。


 フェリクスが扉から手を離した。黙って椅子に戻り、座り直した。膝の上に手を置き、窓の外を見ている。

 何も言わなかった。


 二人の間に、夕焼けの光が差し込んでいた。


〈あったかい〉


 フィルが窓枠に止まり、翡翠の光を灯した。小さな精霊が二人を交互に見て、嬉しそうに羽ばたいている。


 ミーリアはフェリクスの横顔を見つめた。夕焼けに染まった琥珀色の目。いつもより少しだけ柔らかい口元。

 手を伸ばした。

 フェリクスの手の甲に、ミーリアの指先が触れた。


 フェリクスの肩が僅かに跳ねた。

 しかし手を引かなかった。


 二人の指が重なったまま、夕焼けが山の向こうに沈んでいく。窓から入る風が薬草の匂いを運んできた。フィルの翡翠の光が、二つの手を照らしている。

 ミーリアの鼓動は速いままだった。けれど、掌に伝わるフェリクスの体温が、その鼓動を少しだけ落ち着かせてくれていた。

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