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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第35話 星脈共鳴第2段階

夜明け前に目が覚めた。


 ベッドの中で体が強張っている。足の裏がびりびりと痺れていた。地面の下から、低い振動が伝わってくる。いつもの星脈の脈動ではない。もっと激しくて、切迫した震え。


 ミーリアは跳ね起きた。


 窓を開けると、南の方角に暗い雲が垂れ込めていた。星が見えない。空気が重い。フィルが窓の外で翡翠の光を激しく明滅させている。


〈大地。苦しい。南〉


「南?」


 階段を駆け下りると、マルタの宿の入口にフェリクスが立っていた。外套を羽織り、腰に山刀を帯びている。表情が険しい。


「南部農地が枯れ始めた。ハンス村長のところに報せが来た」


「カルスト村の時と同じですか」


「規模が違う。半径五十メートル以上の農地が、一晩で灰色になったらしい」


 ミーリアの息が止まった。半径五十メートル。これまでの星脈共鳴の最大範囲は十五メートルだった。その三倍以上。


「行きます」


「わかっている」


 支度は早かった。ミーリアは薬箱だけを背負い、フェリクスと並んで南へ走った。村を出て、丘を越え、畑地帯を抜ける。テラが地面を転がるようについてきた。


〈ひどい。ひどい〉


 テラの声が震えていた。地の精霊が、大地の痛みを直接感じ取っている。


* * *


 南部農地に着いたのは、朝日が稜線を越えた直後だった。


 ミーリアは立ち尽くした。


 畑が灰色だった。麦も根菜も牧草も、何もかもが色を失い、枯れて倒れている。土は乾いてひび割れ、触れると粉のように崩れた。灰色の大地が、朝日の中でくすんで広がっている。

 その範囲は、見渡す限りだった。


「……五十メートルどころじゃない」


 フェリクスが呟いた。丘の上から見下ろすと、枯死した農地はゆうに百メートル四方を超えている。グリュンハイム南部の主要農地の大半が、一夜にして死んだ。


 農民たちが畑の端に座り込んでいた。泣いている者。呆然と空を見上げている者。子供を抱いた母親が、枯れた麦を握りしめていた。


「冬の蓄えが……全部だ……」


「今年の収穫が、丸ごと……」


 声が風に流れていく。ミーリアの胸が締まった。


「フェリクスさん」


「ああ」


「やります」


 フェリクスがミーリアを見た。琥珀色の目が鋭い。


「範囲は五十メートルを超えてる。お前の限界を遥かに超えてるぞ」


「わかっています」


「倒れる」


「わかっています」


 ミーリアの声は静かだった。足元の灰色の土を見つめている。大地が死んでいる。この土の下で、星脈が悲鳴を上げている。足の裏を通して、その震えが全身に伝わってくる。


「でも、放っておけません。この人たちの冬が、なくなるんです」


 フェリクスは何も言わなかった。数秒の沈黙の後、外套を脱いでミーリアの肩にかけた。


「終わったら俺が運ぶ。好きなだけやれ」


 ミーリアは頷いた。


 枯れた農地の中央に向かって歩いた。灰色の土が足の下でぱりぱりと割れる。生命力のない土は冷たく、星脈の脈動すら感じられない。


 真ん中まで来た。


 膝をついた。

 手袋を外した。

 両手を、ひび割れた大地に押しつけた。


 冷たい。何も感じない。沈黙。大地が息を止めている。


 ミーリアは目を閉じ、意識を深く、深く沈めた。核紋が胸の中で脈打ち始める。足の裏から星脈の微かな残響を探る。遠い。とても遠い。この土の下で、星脈が折れ曲がり、潰れかけている。


 届け。


 核紋に全身の力を注いだ。


 掌の下で、光が灯った。白銀の一点。それがゆっくりと広がり始める。ミーリアの指先から地面に光の筋が走り、ひび割れを辿って放射状に伸びていく。


 瞳の色が変わった。金色が白銀に染まり、光を帯びる。


 地面が震えた。


 白銀の光が爆発的に広がった。三メートル。五メートル。十メートル。光が通った場所の灰色の土が、黒みを取り戻していく。ひび割れが塞がり、表面に湿り気が戻る。


〈来た! 来た!〉


 テラが叫んだ。土色の球体が地面に張りつき、全身で光を受け止めている。


 十五メートル。これまでの限界。こめかみが痛む。脈が跳ねる。だが止まれない。まだ足りない。灰色の大地が、まだ広く残っている。


 二十メートル。目の奥が白く光った。歯を食いしばった。核紋が胸の中で炎のように熱い。


 三十メートル。体が燃えている。額から汗が滴り、掌の下の土を濡らした。光の脈が枯れた麦の根元に到達すると、死んだ茎が震え、起き上がり始める。茶色い葉が緑に変わっていく。


〈もっと。もっと〉


 フィルが上空で光の中を飛んでいた。翡翠色の光と白銀の光が混ざり合い、空から見れば花火のように見えただろう。


 四十メートル。視界が狭まった。呼吸が浅い。体の熱が上がり続けている。掌が痺れて、土を掴んでいるのか放しているのかわからない。


 五十メートル。


 白銀の光が、農地の端まで届いた。


 一斉に、枯れた作物が蘇った。灰色の大地が黒く湿り、ひび割れた地面が閉じていく。死んだ麦の茎から新しい芽が吹き出し、根菜の葉が地面を突き破って広がる。牧草が波のように立ち上がり、朝日を受けて金色に輝いた。


 精霊たちが歓喜の声を上げた。テラが地面の中を走り回り、アクアが地下水脈から浮かび上がって青い光を散らした。フィルが空高く舞い上がり、翡翠色の光が天を貫く。


 農民たちの声が聞こえた。


「畑が……戻った……!」


「嘘だ、嘘だろ……!」


「花まで咲いてる……!」


 光が消えた。


 ミーリアの手が地面から離れた。

 離れたのではなく、力が入らなくなった。


 体が傾く。視界が白い。全身が燃えるように熱い。頭の中で金属を叩くような音が鳴り続けている。手足の感覚がない。


「ミーリア」


 フェリクスの声が遠くに聞こえた。


 倒れる前に、腕が来た。背中と膝裏を支えられ、体が浮いた。フェリクスが抱き上げている。外套が体に巻きつけられた。走っている。風が頬を撫でる。


「……ごめん、なさい……」


 声がかすれた。


「黙れ。喋るな」


 フェリクスの声が震えていた。いつもの硬い声ではない。もっと鋭くて、もっと切羽詰まった声。


「……馬鹿。死んだらどうする」


 ミーリアは薄目を開けた。視界がぼやけている。フェリクスの顔が近い。琥珀色の目が、こちらを見ている。唇が引き結ばれ、顎の筋肉が浮いていた。


 怒っている。でも、怒りの下に別のものがある。


 ミーリアの口元がほんの少しだけ動いた。


「大丈夫です」


「大丈夫じゃないだろう。熱が——」


「大丈夫です。だって……フェリクスさんがいるから」


 フェリクスの腕が震えた。一瞬、足が止まりかけて、すぐにまた走り出す。


「……寝ろ」


 声がかすれていた。


 ミーリアは目を閉じた。フェリクスの腕の中は温かかった。走る振動が体に伝わってくる。山の匂い。土と、木の葉と、風の匂い。


 意識が遠のいていく。


 最後に感じたのは、フェリクスの心臓の音だった。早く、強く、ミーリアの耳元で脈打っている。


〈大丈夫。守る。ずっと〉


 フィルの声が、遠くで聞こえた。


* * *


 グリュンハイムに戻ったのは、昼前だった。


 フェリクスがミーリアを抱えたまま村に入ると、ロッテとマルタが駆け寄ってきた。


「ミーリア! あんた、また無茶を——」


「薬湯を用意しろ。高熱だ」


 フェリクスの声に、ロッテが頷いて走った。マルタが宿の部屋を開け、ベッドを整える。


 フェリクスがミーリアをベッドに寝かせた。額に手を当て、眉を寄せる。


「……熱い」


「ロッテが薬湯を持ってくるわ。あんたは——」


「ここにいる」


 フェリクスはベッドの横の椅子に座った。ミーリアの額に濡れた布を当て、外套を掛け直した。


 ミーリアは深い眠りに落ちていた。頬が赤く、息が荒い。白銀の光の残滓が、閉じた瞼の下で微かに瞬いていた。


 フィルが枕元に止まった。翡翠色の微かな光が、ミーリアの額を照らしている。テラが足元で丸くなり、温かい振動を送り続けていた。


 フェリクスは椅子から動かなかった。


 窓の外では、南部農地の方角から歓声が風に乗って聞こえてきていた。蘇った畑を前に、農民たちが泣いている声。その声は、ここまで届いている。


 フェリクスはミーリアの顔を見下ろしたまま、濡れた布を絞り直した。手が、微かに震えていた。

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