第31話 星脈共鳴の成長
朝の薬草園は穏やかだった。
帝都への出荷が終わり、空になった木箱が並んでいる。ロッテが箱を片づけながら、ミーリアに声をかけた。
「あんた、最近顔色がいいね」
「そうですか?」
「注文が落ち着いたからだろう。あんたは根を詰めすぎるんだよ」
ミーリアは笑って、畝の土をならしてから、乾燥棚に薬草を並べた。風が吹くたびに、干された葉がかさかさと鳴る。フィルが風に乗って翡翠の光を散らしながら棚の間を飛び回っていた。
「さて。午後はいつもの練習かい?」
「はい。フェリクスさんが付き合ってくれるので」
「ふうん」
ロッテが意味ありげに鼻を鳴らした。ミーリアはその意味に気づかず、前掛けで手を拭って薬草園の奥へ向かった。
* * *
薬草園の裏手にある空き地。
フェリクスが腕を組んで立っていた。ミーリアが来ると視線を向けたが、何も言わない。いつものことだ。
「お待たせしました」
「……座れ」
ミーリアは空き地の中央に膝をつき、手袋を外した。両手を地面に置く。冷たい秋の土が、掌に張りついた。
目を閉じる。星脈の脈動を探す。足の裏から微かな振動が立ち上ってくる。温かくて、ゆったりとした鼓動。
いつもなら、ここで振動の方向を辿る。北へ抜ける筋を拾い、掌からゆっくり温もりを返す。それで手を離す。
今日は、掌が土から離れなかった。
ミーリアは掌の下の土に意識を沈めた。振動の奥にある、もっと微細なもの。星脈の脈動が指先を通り抜けていく中に、何かが混じっている。音ではない。色でもない。
情報だ。
土の中の水分が見える。薬草園の東側は表層が乾いていて、西側の地下には細い水脈が通っている。根が水を求めて伸びている方向がわかる。
北の一画へ意識を伸ばすと、指先がすかすかと空を掴んだ。南の角は、舌の奥が痺れるような苦さで返ってくる。
「……あ」
ミーリアは目を開けた。白銀に染まっていた瞳がゆっくりと金色に戻る。
「フェリクスさん、すごいことがわかりました」
「何が見えた」
「見えた、というか……感じたんです。土の中の状態が、全部」
フェリクスの眉がわずかに動いた。
「ここの東側は乾燥していて、西側は水が多くて。北の方は養分が少なくて、南の角は土の性質が偏っています」
「それは星脈共鳴でわかるのか」
「今日、初めてわかりました。前は……振動しか感じなかったのに。土の声が聞こえるみたいな感じです」
ミーリアは自分の手を見つめた。指先が微かに温かい。息も切れていない。手首を回してみても、腕の芯に重さは残っていなかった。
〈わかった。土、わかった〉
テラが地面から転がり出てきた。嬉しそうに明滅している。土色の球体がミーリアの膝元まで来て、くるくると回った。
「テラさん、あなたがいつも教えてくれていたことが、やっと自分でわかるようになった気がします」
〈同じ。テラと同じ〉
「同じ……」
フェリクスが顎に手を当てた。テラがころりと西へ転がり、土を二度叩いてから戻ってくる。ミーリアは膝元に掌を置き直した。指の腹に、西と同じ湿り気が触れる。
「今、西を叩きました。わたしにも、そこだけ水が届いています」
「そいつと同じものを拾ったか」
「でも、これって——」
ミーリアは立ち上がろうとして、ふと止まった。この能力があれば。
「どの畑にどれだけ水を撒けばいいか、わかります。どの薬草をどの場所に植えれば一番よく育つか、全部わかるかもしれません」
「ロッテに言え。あいつが一番喜ぶ」
* * *
案の定、ロッテは飛び上がった。
「あんた、それ農業の革命だよ!」
「そ、そんな大げさな……」
「大げさじゃないよ! あたしは四十年薬草を育ててきたけど、土の中身を読める人間なんか見たことがない。勘と経験でやってきたんだ。それが全部わかるってことは——」
ロッテが両手でミーリアの肩を掴んだ。力が強い。
「作付けの計画が完璧に立てられる。水やりの量も、堆肥の配分も。収穫量が三倍になったっておかしくないよ」
「三倍は言いすぎじゃ……」
「言い過ぎじゃないね。あんた、畑師の婆さんが四十年かけてやってた仕事を、手を当てるだけでやっちまったんだよ」
ロッテの目が潤んでいた。肩から手を下ろし、洟をすすって顔を横に向ける。
「明日、薬草園全体を診てくれるかい? どの区画が弱ってるか、全部知りたい」
「はい。喜んで」
ミーリアはロッテの手を握り返した。節くれだった指に、薬草と土の匂いが染みついている。握る力が、自分でも思ったより強くなった。
フェリクスは少し離れたところで壁に背を預け、二人のやり取りを聞いていた。口は結んだまま、琥珀色の目だけがミーリアを見ている。
〈よかった。みんなよかった〉
フィルが翡翠の光を振り撒きながらフェリクスの頭上を旋回した。フェリクスは手で追い払う仕草をしたが、口元がわずかに緩んでいた。
* * *
夕暮れの薬草園。
ミーリアは一人で空き地に戻り、地面に手を当てていた。大地の診断をもう一度試したかった。
膝をつき、掌を土に押し当てる。目を閉じて、意識を深く沈めた。
星脈の脈動が掌を通り抜けていく。水分の分布。養分の偏り。午後に見た情報が、再び指先に流れ込んできた。同じだ。再現できる。
もう少し深く。
ミーリアは意識をさらに沈めた。表層の土壌を超えて、一メートル、二メートル。岩盤の間を星脈が流れている。温かい脈動が地の底を走り、グリュンハイムの谷間を巡っている。
三メートル。
四メートル。
そこで、何かに触れた。
微かな振動。星脈の脈動とは違う。もっと低くて、もっと遠い。地面の奥の奥から、何かがこちらに向かって脈打っている。呼びかけるように、訴えるように。
〈……深い〉
テラが地面の中から戻ってきた。いつものんびりした精霊が、落ち着かない様子で上下に揺れている。
「テラさん、この奥に何かありますか?」
〈ある。遠い。でも、ある〉
ミーリアは手を地面から離した。指先がほんのりと温かい。消耗はない。ただ、胸の奥に微かな引力のようなものが残った。
フェリクスが空き地の入口に立っていた。いつから見ていたのかはわからない。
「フェリクスさん……この土の奥、もっと深いところから、何かが呼んでいる気がします」
フェリクスは答えなかった。夕焼けに染まった空を見上げ、目を細めている。
「聖樹の根は、この地下深くまで伸びていると聞いたことがある」
「聖樹の……」
「今は触るな。力の使い方を覚えてからだ」
その声は静かだったが、有無を言わせない重みがあった。ミーリアは頷いた。
空き地を出ると、夕焼けが薬草園の向こうに広がっていた。オレンジ色の光が棚に並んだ薬草の葉を透かしている。フィルが夕日に向かって飛び、翡翠の光が茜色に溶けていった。
足元の地面が、微かに温かかった。
ミーリアは靴の先で土を軽く押した。押し返してくる脈が、昼に触れたときより速い。




