第30話 薬草が帝都へ
薬草園の出荷棚には、乾燥させた薬草の束が並んでいた。
解熱剤、鎮痛剤、傷薬の軟膏。ミーリアが調合し、星脈共鳴で薬効を高めた品々。革袋に小分けし、品名を書いた札をつけてある。ロッテが文字を見て頷いた。
「字が綺麗だね、あんた。帝都の教育ってのは役に立つもんだ」
「ロッテさんにも読めるように、大きく書きました」
「あたしの目が悪いみたいに言うんじゃないよ」
二人が笑い合っていると、村の入口から荷馬車の車輪がきしむ音が聞こえた。
* * *
「ミーリアちゃん、聞いてくれよ!」
グスタフが荷馬車から飛び降りた。革鞄を振り回しながら走ってくる。
「帝都の貴族から大量注文が来てるんだけど!」
「……え?」
「あんたの薬草、帝都で評判になってるんだ。『精霊の加護がかかった辺境産の薬草』ってさ。貴族の奥方たちが取り合いしてるらしい」
グスタフが革鞄から注文書の束を取り出した。三通、五通、七通。数えるうちにミーリアの口が開いたまま閉じなくなった。
「七件……?」
「しかも、一件は銀貨五十枚の前払いだ。帝都の値段ってのはすごいね」
ロッテが注文書を横から覗き込んだ。
「銀貨五十枚。うちの薬草園の半年分の稼ぎだよ」
「えっと、えっと。この薬草、ただの解熱剤なのに……」
「ただの解熱剤じゃないさ。帝都の薬師が調べたら、通常の三倍の薬効があったんだとさ。そりゃ騒ぎになるよ」
ミーリアは注文書を両手で持ったまま固まった。目が泳いでいる。
「ど、どうしよう。こんなにたくさん、一人で作れるかな……」
「あたしが手伝うよ。ミーリア、あんたは調合と星脈の処理に集中しな。乾燥と梱包はあたしがやる」
ロッテが腕まくりをした。
* * *
昼過ぎ、フェリクスが山の見回りから戻ってきた。
薬草園の出荷棚を見て、眉を寄せた。注文書が広げてある。グスタフがまだ荷馬車の傍で何か書き物をしている。
「何の騒ぎだ」
「フェリクスさん。帝都の貴族から薬草の注文が来たんです」
「帝都から?」
「はい。七件も。わたしの薬草が帝都で評判になっているそうで……」
フェリクスの目が細くなった。注文書に視線を落とし、金額を確認している。
「安い」
「え?」
「この値段は安い。帝都の貴族が銀貨五十枚で買うなら、末端では銀貨百五十以上で売られている。お前の取り分が三分の一以下だ」
ミーリアは目を瞬いた。値段のことは考えていなかった。
「でも、困っている人に薬草が届くなら……」
「それとこれは別だ」
フェリクスが腕を組んだ。琥珀色の目がミーリアを真っ直ぐに見ている。
「安売りするな。お前の技術を安く見るのは、お前自身に失礼だ」
言葉が胸に刺さった。痛みではなく、温かさとして。
ミーリアは自分の手を見た。薬草の汁で緑に染まった指先。この手で薬草を選び、調合し、星脈共鳴で薬効を高める。その工程のすべてに、自分の時間と力が注がれている。
「お前の薬草は、帝都のどの薬師にも作れない。値段はお前が決めろ」
「わたしが……決める」
「そうだ。グスタフにも言え。中間搾取は許さん、と」
グスタフが荷馬車の陰から首を引っ込めた。
* * *
夕方、出荷の準備が一段落した。
薬草園の片隅に座り、ミーリアは注文書を眺めていた。フェリクスの助言を受けて値段を見直し、グスタフと交渉した。結果、取り分は銀貨五十枚から銀貨八十枚に上がった。
「フェリクスさんのおかげです」
「俺は何もしてない。お前の薬草の価値を、お前が認めただけだ」
フェリクスが水筒の水を飲みながら言った。
ロッテが薬草の束を縛りながら、横目で二人を見ている。
「フェリクス、あんた意外と商売上手だね」
「婆さんに教わった。山の恵みを安く売るなと」
「おばあさま、いい教育してたんだね」
フェリクスは答えず、空を見た。
マルタが温泉宿から出てきて、出荷棚を覗き込んだ。
「帝都に薬草を送るの? すごいじゃない、ミーリアちゃん」
「ありがとうございます。まさかこんなことになるなんて……」
「帝都の貴族があんたの薬草を求めてるなんて、面白い話だわ」
マルタが何気なく言った言葉が、ミーリアの胸に引っかかった。
「……そうですね。帝都の貴族が、わたしの薬草を」
帝都。追い出された場所。聖女にもなれず、家族にも会えず、偽聖女の告発で追放された場所。
そこの人たちが、わたしの薬草を求めている。
「不思議な気持ちです」
ミーリアが呟いた。
「わたしを追い出した場所の人たちが、わたしが作ったものを求めてくれるなんて。恨みとかじゃなくて、ただ……不思議」
フェリクスが水筒の蓋を閉めた。
「不思議でもなんでもない。お前の薬草がいいから、欲しがる。それだけだ」
短い言葉だった。けれどその一言が、ミーリアの胸に残っている複雑な感情をすとんと収めた。
* * *
出荷作業を終えた夕暮れ。
グスタフの荷馬車に薬草の革袋が積み込まれた。解熱剤、鎮痛剤、軟膏。ミーリアが調合し、星脈共鳴で強化した薬草たち。
「ミーリアちゃん、次の便は10日後だ。追加の注文が来たら持ってくるよ」
「はい。ありがとうございます、グスタフさん」
「いやいや、こっちも儲かるからね。ただ——」
グスタフが声を落とした。
「帝都で噂が広がってるのは薬草だけじゃない。『辺境の奇跡』の話も、一緒に広がってる。気をつけなよ」
「……はい」
荷馬車が村を出た。車輪の音が遠ざかっていく。
ミーリアは薬草園の柵に手を置き、西に沈む夕日を眺めた。帝都はあの方角の、もっとずっと向こうにある。
「追い出した場所の人が求めている。不思議」
もう一度呟いた。
けれど口元には笑みが浮かんでいた。恨みではない。懐かしさでもない。ただ、自分が作ったものが誰かの役に立つという事実が、胸の奥を温かくした。
「全部、発送の準備をしますね」
振り返ると、ロッテが残りの薬草を束ねていた。フェリクスが黙って革袋を運んでいる。マルタが宿の入口から手を振った。
〈温かい。みんな、温かい〉
フィルが肩の上で光った。
ミーリアは頷き、作業に戻った。手は薬草の汁で緑色。爪の間に土が入っている。帝都にいた頃の白い手ではない。けれどこの手が作る薬草が、帝都の誰かを救う。
夕陽がグリュンハイムの谷間を赤く染めた。温泉の湯煙が夕焼けに溶け、空が茜と白に分かれている。
薬草が帝都に届く頃、この夕陽はもう見えないだろう。けれど薬草の中には、この土地の温もりが染み込んでいる。精霊の加護と、星脈の力と、ミーリアの手の温度。
それが帝都の誰かを温めてくれるなら——それだけで、十分だった。




