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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第23話 温泉の効能

 源泉は、山の北側にあった。


 マルタに案内されて岩場を登る。朝の冷たい空気の中を、白い湯煙が立ち上っている。岩の隙間を縫う細い道を進むと、苔むした岩壁に囲まれた小さな泉が現れた。

 湯面が静かに揺れている。縁の岩は温泉の成分で白く染まり、湯の底には赤茶色の堆積物が溜まっていた。硫黄の匂いが鼻をくすぐった。


「ここが源泉よ。村の温泉は全部、ここから流れてるの」


「わあ……」


 ミーリアは源泉の縁にしゃがみ込んだ。湯面に手をかざすと、じんわりと熱が伝わってくる。指先が痺れた。

 掌を沈めると、熱の層が二つあった。表面のぬるさの下を、もっと高いものが通っている。とくん、と脈が指の腹を押した。


「マルタさん、この温泉……すごいです」


「そうでしょう? うちの自慢の源泉よ」


「いえ、それだけじゃなくて。星脈が、湯の中に流れています。この泉は星脈の噴出点と重なっているんです」


 マルタが首を傾げた。ミーリアはその手を取って、湯の底へ導いた。


「ここ、触ってみてください。上の湯より熱いです」


「あら、ほんと。……底から来てるのね、これ」


「はい。ずっと下から、休まずに」


「へえ。だからうちの温泉は評判がいいのか。お客さんがみんな『ここの湯は他と違う』って言うのよね」


〈守る。この湯〉


 岩の隙間から、水滴の形をした青い光が現れた。アクアだ。源泉の上を漂い、ミーリアの指先に近づいてくる。


「アクアさん、久しぶり。この源泉を守ってくれているんですね」


 アクアが小さく揺れた。肯定の合図だ。


* * *


 作業場に戻り、ミーリアは考え込んだ。


 薬草を星脈共鳴で活性化できるなら、あの湯にも同じことができるのではないか。湯に薬草を浸して、共鳴を流す。


「薬湯……」


 呟いて、棚から薬草を取り出した。肩こりに効く葛根と、血行を促す桂皮。葛根を三つまみ、桂皮を二欠片。

 刻んで布袋に詰め、口を縛り直す。源泉から汲んできた湯に浸すと、布の縁からゆっくり色が出た。


 両手で湯桶を包み、目を閉じた。星脈共鳴を、ごく弱く流す。指先から白銀の光が滲み、湯に溶けていく。


 湯の色が変わった。透明だった水面が、淡い琥珀色に染まる。薬草の香りが一段と濃くなり、湯気が渦を巻いた。


〈温かい。元気になる〉


 テラが湯桶の縁に張りつき、気持ちよさそうに目を細めた。


「できた……と思います。試してみないとわかりませんけど」


* * *


 最初に試したのは、マルタだった。


「え、わたし?」


「マルタさん、肩こりがひどいって前におっしゃっていましたよね?」


「まあ、そうだけど。温泉宿の女将なんて毎日布団の上げ下ろしだし、肩は万年こりっぱなしよ」


 マルタの温泉宿の裏手にある、小さな個室風呂を借りた。源泉から引いた湯に、先ほどの薬草袋を入れる。

 ミーリアが湯に手を浸して星脈共鳴を流すと、琥珀色の光が湯全体に広がった。


「わあ、綺麗……。湯がきらきらしてるわ」


「これで入ってみてください」


 マルタが恐る恐る湯に足を入れた。肩まで浸かった瞬間、目が丸くなった。


「な、なにこれ……」


「どうですか?」


「肩が……溶ける。じんわりって、奥のほうから温かくなって……。あ、肩が軽い。嘘でしょう、十年こってた肩が軽い!」


 マルタが湯の中で肩を回した。左右に、上下に。さっきまで動かすたびに顔をしかめていたのに、今は滑らかに回っている。


「ミーリアちゃん、これすごいわ! 一回入っただけでこんなに楽になるなんて!」


「よかった……。あの、湯が冷めきる前に上がってくださいね。袋は一度きりです」


「一度きり? もったいないわねえ」


 マルタが湯の中から袋を摘まみ上げた。琥珀色の雫が落ちて、湯面に輪をつくって消えた。


「二回目は色が出ないんです。香りも薄くなりますし」


「これ、商売になるわよ! うちの温泉宿に薬湯プランを作りましょう! ミーリアちゃん監修の特別薬湯!」


 マルタの目がきらきら光っている。商売の匂いを嗅ぎつけた女将の顔だ。


「えっと、まだ試している途中ですし、誰にでも効くとは限りませんし——」


「限るも限らないもないわ! この肩の軽さが証拠よ! ロッテにも試してもらいましょう!」


 勢いに押されて、ミーリアは苦笑した。でも、胸の中は弾んでいる。薬草師の仕事が、また一つ広がった。


* * *


 翌日、ロッテも薬湯を試した。


「確かにいいね。あたしの膝も楽だよ。階段を下りるとき軋んでたのが、嘘みたいだ」


 ロッテが膝を曲げ伸ばしして確かめている。


「ありがとうございます。でも、源泉のおかげです。わたし一人の力じゃなくて」


「源泉か。マルタんとこの温泉は昔から体にいいって言われてたけど、こういうことだったのかもしれないね」


 ロッテが湯上がりの髪を拭きながら、窓の外を見た。


「あたしはこの村に四十年いる。あの湯で鍋を洗って、風呂を沸かして、それだけだったよ」


 ロッテが手拭いを膝の上に置いた。指の関節が節くれて太い。


「膝が軋むのは歳のせいだと思ってた。薬湯なんてね、街の薬屋じゃ小瓶ひとつで銀貨三枚だ」


「そんなに、するんですか」


「するさ。あんたが来るまで、あたしらは毎日それを溝に流してたのさ」


 ミーリアは首を横に振った。けれどロッテの言葉は温かかった。


* * *


 夕方、源泉の様子を見に行った。


 アクアが源泉の上を漂っている。ミーリアが近づくと、小さく揺れて挨拶した。


〈守る。この湯、守る〉


「ありがとう、アクアさん。この源泉があるから、みんな元気になれるんです。大切にしますね」


 アクアがくるりと一回転した。水滴の光が源泉に反射して、岩場全体が淡い青に染まった。


 ミーリアはしゃがみ込んで源泉を覗き込んだ。湯面の奥で、光がゆっくりと脈打っている。掌にも同じ間隔で伝わってきた。


 けれど。


 ミーリアは目を凝らした。


 光の脈動が、僅かに乱れている気がした。一定のリズムで脈打つはずの光が、時折ちらつく。蝋燭の炎が風に揺れるように、不規則に明滅する瞬間がある。


「……アクアさん、この光、昨日と同じですか?」


 アクアが止まった。水滴の光が小さく震えた。


〈……少し。違う〉


「やっぱり。少し不安定になっている気がします」


 源泉の光がまた揺らいだ。ほんの一瞬、暗くなり、すぐに戻る。


 ミーリアは唇を噛んだ。カルスト村で星脈の乱れを経験してから、こうした小さな変化に敏感になっていた。気のせいだといいのだけれど。


 立ち上がって山を見上げた。聖域山脈の稜線は夕陽に赤く染まっている。風はない。


 ミーリアは源泉に背を向けて歩き出した。明日の薬湯の材料を準備しなければ。マルタが張り切っているから、明日は三人分の薬湯を用意する約束だ。


 振り返ると、アクアは源泉の上から動いていなかった。水滴の光が、いつもより強い。

 湯面の奥で、光がもう一度だけ途切れた。


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