まやかしの果て静かな決着
ジゼルの一行が、再び姿を現したのは、それから五日後のことだった。
場所はグリュンハイムからほど近いハーゼルという村。星脈の綻びで畑が枯れ、不安に沈む人々——まさに格好の獲物だった。白い馬車を乗りつけたジゼルは村の広場で荘厳な芝居を始めていた。いつものように。
「嘆かわしい。この土地の穢れ、わたくしが祓ってさしあげましょう。星の導きが、わたくしに囁くのです。……ささやかな、お礼と、共に」
両手を広げ、天を仰ぐ。ジゼルの足元で地面がかすかに湿り気を帯びた。星脈の綻びがたまたま小康を迎え、水気が戻り始めていたのだ。それをさも自分の力のように見せかけて、ジゼルは勝ち誇った。
「ご覧なさい。大地が、応えている。さあ、感謝を、形に」
村人たちがざわめき、なけなしの供物を差し出そうと前へ進み出た。銅貨を、干した薬草を、痩せた鶏を。差し出される品を、ジゼルは扇の陰から値踏みするように見下ろした。
「まあ、これだけ? 星の恵みを、たったこれっぽっちで購おうというの。信心が、足りませんこと」
叱責され、村人たちは身を縮めた。それでも藁にもすがる思いで銅貨を積み上げていく。ひれ伏す民を睥睨し、得意の絶頂にいた。
その時だった。
「その水は、あなたの力では、ありません」
澄んだ声が広場に響いた。
人垣が割れた。ミーリアが進み出る。その隣にはクラリッサ、そしてハーゼルの村長と、ミーリアの癒しを目にしたオルテの村人たちの姿もあった。
ジゼルの顔がこわばった。だがすぐに、芝居の仮面をかぶり直す。
「……何者ですの、あなた。星導の聖女たるわたくしの、神聖な儀式を、妨げるとは」
「星脈の綻びには、波があります。あなたが来た時、たまたま、水気が戻る時期だっただけ。証拠に——」
ミーリアは地面に手を触れた。金の瞳が白銀に光る。湿っていたはずの地面がふたたび乾いていった——星脈の流れがまだ綻びに堰き止められたままであることを、土の色が証明していた。
「ほら。あなたが去れば、土地は、また枯れる。あなたは、何も、癒してなどいない」
村人たちの間に動揺が走った。ジゼルの額に汗が滲む。
「……こ、これは、あなたが、邪魔をしたからですわ。邪教の術で、わたくしの、聖なる力を」
「そう言うと、思いました」
* * *
クラリッサが一歩、前へ出た。
その手に一枚の羊皮紙。ジゼルが夜逃げした先の宿をオットーの伝手で突き止め、女が荷の底に隠し持っていたところを押さえた——供物の目録だった。
「ジゼル。……いえ、香具師のジゼル、と呼びましょうか」
クラリッサの声は低く、揺れがなかった。かつて公爵令嬢として幾多の夜会を渡り歩いた、その優雅さと冷徹さが戻っていた。
「これに、見覚えが、ございますでしょう」
紙の端が、ぴんと張られた。
「あなたが村々から集めた供物の、目録ですわ。オルテの村から、銀の腕輪ひとつ、麦二袋。ハーゼルの隣、リント村から、銅貨十五枚」
「……そして、その大半の送り先が、ここに記されておりますの。ザルテ男爵家、と」
ジゼルの顔から血の気が引いた。
「な……なんで、それを」
「あなたが、後生大事に抱えていたからですわ。逃げる時も、供物は捨てても、これだけは手放さなかった」
「……当然です。これがなければ、ザルテ男爵との分け前で、あなたがごまかされる。そうでしょう?」
女の喉が、ひくりと動いた。
「わたくしにも、覚えがありますもの。まやかしを売る者の、心の中は」
クラリッサの唇が皮肉に吊り上がった。
「あなた、わたくしを『偽聖女あがり』と蔑みましたわね。ええ、その通りですわ。わたくしは、偽物でした」
「だからこそ——あなたの手口のすべてが、手に取るようにわかるのです。同じ穴の、狢ですもの」
「ち、違う。あたしは……あたしは、ちゃんと、土地を」
地が出た。ジゼルの言葉が崩れ始める。荘厳な聖女の口調は、もう、どこにもなかった。
その時、広場に馬蹄の音が響いた。
* * *
帝都からの早馬だった。
ミーリアが手紙を送るより前から、リーナのもとにはザルテ男爵を告発する声がいくつもの村から届いていた。制度改革局はすでに査問へと動き出し、先遣の使者が近隣の宿場まで来ていたのだ。そこへミーリアの報せが届き、使者は最後の証を携えてこの広場へ駆けつけた。使者は一通の書状を村長に手渡した。ハーゼルの村長がそれを震える声で読み上げる。
「……帝都、聖女制度改革局。ザルテ男爵の、大崩落に乗じた供物詐取について、複数の村より、告発あり」
読み上げる声が、広場の隅まで届いた。
「当局は、これを重く見る。ザルテ男爵は、近く、召喚のうえ、財産の査問を受ける」
「……その手先として、各地で詐術を働いた者どもも、同罪と、みなす」
署名は、リーナ・クレスタフェルデ。聖女制度改革局、監査官。
その名が読み上げられた瞬間、ジゼルの膝ががくりと折れた。
ザルテ男爵という後ろ盾は、もはや盾ではなかった。帝都の網にからめとられ、沈もうとしている。逃げ場はなかった。彼女が「偽聖女あがり」と蔑んだ女の一言と、そのつてを頼った本物の聖女の報せが最後の一片を埋め、静かな決着として、ここに落ちた。
「そんな……あたしは、ただ、言われた通りに……」
金切り声を上げようとして、ジゼルは言葉を失った。
彼女を見る村人たちの目はもう、恐れでも崇拝でもなかった。憐れみと冷めた視線。それだけだった。奇跡を演じ得意絶頂だった女は、今や化けの皮を剥がされ、広場の真ん中で震えていた。誰ひとり供物を差し出す者はいない。それどころか、リント村から来ていた男が歩み寄り、彼女の前に手を差し出した。
「返してもらおうか。俺の、女房の形見の、指輪を」
ジゼルは震える手でふところからそれを取り出した。鈍く光る指輪。男は両手で受け取ると、何も言わず深く頭を下げた。妻の名を呼ぶような、その仕草だった。
次に進み出たのは腰の曲がった老婆だった。
「わたしの、木の小鳥を、お返し。……先立った息子が、下手な手で、彫ってくれたものでね。銭にもならない代物を、あんたは、供物だと言って、取り上げたんだよ」
ジゼルは荷の底から煤けた木彫りをひとつ探り出した。掌に乗るほどの粗末な小鳥。老婆はそれを両手で受け取ると、痩せた胸に抱き寄せた。声もなく、皺だらけの頬を涙が伝っていく。
それを皮切りに、奪われた村人たちが次々と進み出た。ジゼルは悪態をつくことも言い訳することもできず、ただ機械のように奪ったものを返していった。暴力による断罪ではない。怒号もない。奪われた者たちが黙って自分のものを取り戻していく——その静けさこそが、この上なく彼女の惨めさを際立たせていた。
* * *
すべてが、返された後。
ジゼルは供物を失った白い馬車に力なく乗り込んだ。従者の商人たちも、とうに姿を消していた。もう誰も、彼女を聖女とは呼ばない。馬車は逃げるように村を後にした。制度改革局の査問がいずれ彼女にも及ぶだろう。けれど、それを待つまでもなく、彼女の商売はこの日に終わった。
馬車を見送りながら、クラリッサは小さく息を吐いた。
「……胸のすく思い、というには、少し、寂しいですわね」
「そうですね」
ミーリアもうなずいた。
「あの人も、たぶん、どこかで追い詰められて、ああなった」
それきり、ミーリアはしばらく黙っていた。
「……でも、だからといって、人の弱みを食い物にしていい理由にはなりません。奪われた人たちが、取り戻せて、本当によかった」
クラリッサは遠ざかる白い馬車をじっと見つめた。かつての自分を見送るような目だった。あちら側に留まり続ければ行き着く先があの姿だった——そのことを、彼女は誰よりもよく知っていた。逃げずに過去と向き合ったからこそ、今ここに立っている。その差を、口にはしなかった。
ハーゼルの広場に夕暮れの風が吹き抜けた。乾いた畑を、明日ミーリアが癒すことを、村人たちはもう知っている。まやかしの奇跡は去った。残ったのは本物の希望と、取り戻されたささやかな宝たち。それぞれが胸に抱えたまま、広場は暮れていった。




