詐欺師の後ろ盾
翌朝、グリュンハイムに、行商人のオットーがやってきた。
月に二度、帝都と辺境を往復するその荷馬車は、村人にとって外の世界を運ぶ貴重な窓だった。塩や針、帝都の流行り物。そして何より、噂と手紙を。赤ら顔の大柄な男は荷を下ろしながら、声をひそめた。
「ミーリアさん。あんたに、耳寄りな話が、あってね」
薬草畑の手入れをしていたミーリアは、手を止めた。オットーの声色が、いつもの世間話とは、違っていた。
「例の、自称聖女の女。ジゼルとかいったね。あれの、後ろにいる連中の見当が、ついたよ」
クラリッサが、はっと顔を上げた。籠いっぱいの薬草を地面に置くと、足早に二人のもとへ歩み寄った。
「オットーさん。それは、確かな話ですの」
「確かも、確か。俺は、行商だからね。あちこちの村を回ってりゃ、嫌でも耳に入る」
オットーは、荷台に腰かけ、指を折りながら語り始めた。
「まず、ジゼルの一行が使ってる、あの白い馬車」
赤ら顔が、ぐっとこちらへ寄った。
「あれは、ザルテ男爵領の紋章入りの馬車を、塗り替えたもんだ。俺は、塗料の下から覗く古い紋を見たよ」
「角笛に、三ツ星の紋。ありゃ、ザルテだ」
「ザルテ男爵……」
ミーリアが、その名を、口の中で繰り返した。聞き覚えのない名だった。
「知らねえのも、無理はねえ。もう、落ちぶれた家さ」
オットーは、肩をすくめた。
「昔は、鉱山持ちの、羽振りのいい家でね。だが、二代前に鉱脈が枯れて、今じゃ借金まみれよ」
「当主のザルテ男爵は、なんとか家を建て直そうと、あくどい商売に手を出してる」
指が、宙に見えない紋を描いた。
「……そこへ、大崩落の名残だ。あちこちで土地が枯れ、井戸が涸れる。人々が、不安になる」
「その不安を、金に、変えたのですわね」
クラリッサの声が、低くなった。かつて、自分がそちら側にいた女の、確信のこもった声だった。
「そういうこった。ザルテは、ジゼルみたいな香具師を雇った」
「まやかしの奇跡で、村々から供物を集めさせる。集めた供物の大半は、ザルテの懐に流れてる」
「ジゼルは、その使い走りってわけさ」
* * *
話を聞き終えたミーリアは、しばらく、考え込んだ。
枯れた土地を癒すのは聖女の務めだ。けれどその務めの裏で、人の不安を食い物にする者がいる。ジゼルひとりを追い払っても、その背後にザルテという後ろ盾がいる限り、また別の香具師が別の村に送り込まれてくるだけだろう。根を断たなければならない。
昨日、泉のほとりで見た木箱の中身がよぎった。麦、干し肉、銅貨。そして病の子を抱えた母親が差し出した、たったひとつの銀の腕輪。あれは氷山の一角に過ぎない。ジゼルはこの半年、いくつの村を回ったのだろう。いくつの家からなけなしの蓄えを奪ったのだろう。冬を越すための麦を、嫁入りのために貯めた銀貨を、まやかしの祈りと引き換えに。奪われた側は次の収穫まで飢えをこらえることになる。それでも彼らは、聖女さまが土地を清めてくれたと信じて感謝すらしている。その構図が、ミーリアには何よりもむごく思えた。
「クラリッサさん」
ミーリアは、傍らの女を見た。
「ザルテ男爵が、供物を集めている。その証拠になるものは、何かありませんか」
ミーリアは、身を乗り出した。
「ジゼルの言い分だけでは、村々を納得させられません。あの人たちは、一度、奇跡を信じてしまった。証拠がなければ、また揺れます」
クラリッサはしばし目を閉じた。それからゆっくりと、口を開いた。
「……あります。おそらく、ですが」
かつて自分が身を置いたあの世界の仕組みが、脳裏によみがえっていた。偽りの奇跡には必ず金の流れが伴う。そしてその流れには必ず帳簿がついて回る。帝国の聖女だった頃、大聖堂の奥では寄進の額が一枚残らず記帳されていた。祈りは数字に換算されていたのだ。荘厳な儀式の裏で羽根ペンが冷たく走る音を、彼女は今も覚えている。まやかしの規模が小さくなろうと、本質は変わらない。
「この手の商売には、供物の目録が要るのです」
「どこの村から、何を、どれだけ集めたか。それを記さなければ、後ろ盾との分け前で揉めますから」
薬草茶の湯気が、まっすぐ立っていた。
「ジゼルは、必ずその目録を持っています。逃げる時に、供物そのものは捨てても、目録だけは手放さないはずですわ」
「あれが、あの女の命綱ですもの」
ミーリアの目が、光った。
「その目録さえ、手に入れば」
「ザルテ男爵の名も、集めた供物の額も、すべて、白日の下に。……まやかしの奇跡ではなく、ただの、あくどい金儲け。そう暴けば、奇跡に酔った村人たちも、目を覚まします」
* * *
その日の午後、ミーリアは、一通の手紙をしたためた。
宛先は帝都。かつて共に封印の間で戦った大切な友——リーナ。今は聖女制度の改革に身を投じている少女だった。彼女ならザルテ男爵の名に心当たりがあるかもしれない。落ちぶれた小領主とはいえ、あくどい商売の網はきっと帝都の腐敗とどこかで繋がっている。
ミーリアは羽根ペンを走らせた。ジゼルという自称聖女のこと。その背後にいるザルテ男爵のこと。周辺の村々がまやかしの奇跡で供物を奪われていること。証拠となる目録を追っていること。
半年前なら、こんな手紙を書くなど考えもしなかった。辺境でのんびり薬草を育てて暮らす。それだけを望んでいたのに。けれど今のミーリアは知っていた。土地を癒すことと、その土地に巣食う悪を断つことは地続きで、片方だけを選ぶことなどできないのだと。聖女の務めとは、花を咲かせるだけでは終わらない。
「フィルさん。この手紙を、オットーさんに、届けてもらえますか」
肩の上で、風の精霊フィルが、翡翠色に瞬いた。
〈まかせて。びゅん〉
小さな羽ばたきとともにフィルは手紙をくわえ、オットーの荷馬車へと飛んでいった。帝都へ届くには数日かかる。けれど確かな一手だった。
ミーリアは窓の外に目をやった。薬草畑の向こう、村はずれに植えたあの若木が朝日を浴びて立っていた。カイトが遺した種から芽吹いた、名も知れぬ木。その葉が、風もないのにかすかに揺れた気がした。
クラリッサが、隣に立った。その横顔には、もう、迷いはなかった。
「ミーリアさま。目録は、わたくしが、必ず、見つけ出します。あの女の考えることは、痛いほど、わかりますから。……昔の自分を、追いかけるようで、気は、進みませんけれど」
「頼りにしています。クラリッサさん」
二人の視線の先で、白い馬車が消えた街道が遠くまで伸びていた。追うべき影はもう、ひとりの詐欺師ではない。その背後で糸を引く、顔の見えぬ男へと繋がっていた。落ちぶれた家名を人々の涙で繕おうとする男。その正体をひとつずつ明るみに引きずり出す。それが、これから始まる戦いだった。街道の先はまだ、白く霞んでいた。




