第13話 前世の調合
ロッテが作業台に五種類の薬草を並べた。
青みがかった葉、赤い実、白い根、黄色い花弁、それから見たこともない灰色の苔。作業台の木の表面に朝の光が差し込み、それぞれの薬草が影を落としている。
「あんた、ここに来て二週間だ」
ロッテが腕を組む。
「基礎は十分覚えた。だから今日は課題を出す」
「課題、ですか?」
「この五つを使って、新しい調合を考えてみな。配合も手順もあんたに任せる。グリュンハイムの薬草でできる、あんただけの薬を作ってごらん」
ミーリアは並んだ薬草を見つめた。青い葉はカムイソウ、消炎作用がある。赤い実はヒノモリの実、血行を促す。白い根はシロツメの根、鎮痛。黄色い花弁はキンレイカ、殺菌。灰色の苔は——名前を知らない。
「この苔は何ですか?」
「岩苔だよ。聖域山脈の岩場にしか生えない。保湿作用がある。この辺の猟師は切り傷に貼るけど、調合に使った記録はないね」
保湿、消炎、鎮痛、血行促進、殺菌。
ミーリアは五つの薬草に順番に触れた。指先に葉脈の感触が伝わる。カムイソウの葉は表面がざらつき、裏はしっとりしている。ヒノモリの実は固くて、押すと微かに弾力がある。シロツメの根は指の間でぱきりと折れ、断面から白い汁が滲んだ。
その瞬間、手が勝手に動いた。
白い根を三つに割る。赤い実を石臼の縁で潰す。青い葉を揉んで汁を絞る。手が覚えている。頭ではなく、指先が知っている。
配合比率が、ぼんやりと浮かぶ。消炎と鎮痛を基剤にして、血行促進で浸透を助ける。殺菌は表層に留める。保湿の苔で全体を包む——軟膏だ。
なぜか知っている。この手が覚えている。遠い記憶の底から、フラスコの硬い感触と、薬品の匂いと、蛍光灯の白い光が一瞬だけ浮かんで消えた。
指が止まらなかった。
石臼でシロツメの根をすり潰す。繊維が崩れて、白い粉末になっていく。ヒノモリの実の汁と混ぜ合わせ、作業台の隅に置いた小鍋で弱火にかける。温度が大事だった。沸騰させてはいけない。手をかざして熱を確かめる。この温度。ここがぎりぎりだ。なぜその加減がわかるのか、自分でもわからない。
「あんた、何やって——」
ロッテの声が遠い。
カムイソウの絞り汁を少しずつ加える。三対一。根の成分と葉の成分の比率。色が変わっていく。白から薄い緑へ。匂いも変わった。苦い薬草の匂いが、どこか甘い香りに変わる。
キンレイカの花弁は最後だ。細かくちぎって表面に散らす。花弁が溶けるのではなく、膜のように表面を覆う。こうすることで殺菌効果が持続する。
最後に岩苔を細かく刻み、全体に練り込んだ。苔の水分が軟膏の硬さをちょうどいい塩梅に整える。
手が止まった。
石皿の上に、淡い緑色の軟膏が出来上がっていた。表面がなめらかで、光沢がある。
「……えっと」
ミーリアは自分の手を見つめた。指先が薬草の汁で緑色に染まっている。
「わたし、何を……」
「あんた、すごい手つきだったよ」
ロッテが石皿を覗き込む。軟膏の表面を指でなぞり、鼻に近づけて匂いを嗅いだ。目を閉じて、しばらく沈黙した。
「……悪くない。むしろ良い匂いだ。薬草同士が喧嘩してない。配合のバランスが取れてる。四十年薬草をやってるあたしでも、この組み合わせは思いつかなかったよ」
「手が勝手に動いて……自分でもびっくりしてます」
〈知ってる。この人、知ってる〉
テラが作業台の隅でのんびり光った。
「ロッテさん」
「なんだい」
「その……お膝、まだ痛みますか?」
ロッテが目をしばたたいた。視線が自分の右膝に落ちる。
「古傷だからね。雨の前は特にだ。今朝も重くて、階段がきつかった。なんで——ああ、試したいのかい」
「はい。もし、よければ」
ロッテが椅子に座り、右膝を出した。布の裾をまくると、膝の側面に古い傷痕がうっすら見えた。ミーリアは軟膏を指にとり、膝の側面にそっと塗り込んだ。
軟膏は体温で溶けて、肌に馴染んでいく。清涼感のある匂いが広がった。
しばらく沈黙が続いた。
ロッテの表情が変わった。目が丸くなる。
「……あんた」
「どうですか?」
「痛くない」
ロッテが膝を曲げ伸ばしした。ゆっくり、慎重に。もう一度。今度は深く。
「痛くないよ。あたしの膝が——五年ぶりに楽だ」
「本当ですか!」
「嘘ついてどうする。ほら、こうやって深く曲げても——ああ、すごい。あんた、これはすごいよ」
ロッテの声が震えていた。この頑丈なおばさんの目が潤んでいる。右手で膝をさすりながら、信じられないという顔で何度も曲げ伸ばしを繰り返していた。
「星脈共鳴じゃない。あんたの手と知識で作った薬だ。これは純粋に——薬草師の腕だ」
その言葉が胸に落ちた。
星脈共鳴ではなく。大聖女の力ではなく。自分の手で、自分の知識で。
テラが地面の中に潜ったり出たりしている。フィルが窓の外から飛んできて、ミーリアの髪に潜り込んだ。
〈すごい。すごい〉
「えっと、過大評価しすぎですよ、フィルさん」
「してないよ」
ロッテが立ち上がった。膝に手を当て、数歩歩いて振り返る。足取りがいつもより軽い。
「あんた、この軟膏をもっと作りな。隣の集落にも膝や腰が痛い年寄りはたくさんいる」
「そんな、わたしなんかが——」
「あんたなんかじゃない。あんただから作れた薬だ。いいね?」
ロッテの声は太くて、真っ直ぐだった。ミーリアは目を伏せて、小さく頷いた。
* * *
その日の午後、隣の集落から使いが来た。
木こりが斜面で足を滑らせ、脛に深い擦り傷を負ったという。通常の薬草では痛みが引かないらしい。
「ミーリアさん、隣の集落で怪我人が出たらしい。あんたの軟膏、持っていけないかい?」
ロッテの言葉に、ミーリアは一瞬だけ迷った。
自分なんかが。帝都で聖女にもなれなかった自分が。
けれどロッテの膝は楽になった。これは星脈共鳴ではない。手の記憶と、この土地の薬草で作った、自分だけの薬だ。
「……はい」
小さく頷いた。
軟膏を布に包み、肩掛け鞄に入れる。作業小屋を出ると、夕方の風が薬草園を吹き抜けた。薬草の匂いが風に混じって、ミーリアの髪を揺らした。
隣の集落への道を歩きながら、ミーリアはふと気づいた。
のんびり暮らしたい。穏やかに暮らしたい。
それだけが願いだった。
けれど今は、もうひとつ。
この手で、誰かの痛みを和らげたい。
集落に着くと、怪我をした木こりのおじさんが納屋の前の丸太に座り、痛そうに脛をさすっていた。傷口が赤く腫れている。
「あんたがミーリアさんかい。ロッテのとこの——」
「はい。えっと、軟膏を持ってきました」
傷の周りを水で洗い清め、軟膏をそっと塗り込む。木こりが歯を食いしばったが、しばらくすると表情が和らいだ。腫れが引いていくのが、目に見えてわかった。
「……おお。痛みが引いてきたぞ」
周囲で見ていた集落の人たちが、ほっと息をついた。
「ありがとう、薬草師さん」
薬草師さん。
聖女さまではなく。
その呼び名が、胸の奥に灯った。小さくて、温かい光だった。




