偽聖女あがり
泉のほとりに、重い沈黙が落ちた。
ジゼルの暴露は、村人たちの心に確かな楔を打ち込んでいた。ついさっき本物の奇跡を目の当たりにしたばかりだというのに、人の心はたやすく揺れる。「偽聖女」という言葉の毒が静かにじわじわと回り始め、奇跡への感動と裏切られたかもしれないという疑いの間で、村人たちの視線は落ち着きなく行き来していた。
「そうともさ」
勢いづいたのは、ジゼルの従者の商人たちだった。旗色の悪さをごまかすように、彼らは声高にわめき立てた。
「よくもまあ、偽聖女あがりが、人さまを裁けたもんだ」
「帝国を騙してた女が、田舎で正義漢気取りかい。笑わせるね。あんたのやってたことのほうが、うちの聖女さまより、よっぽど罪深いんじゃないのかい」
嘲りの声が、次々とクラリッサに突き刺さる。針のように、容赦なく。
クラリッサはうつむいていた。差し出された過去はもはや彼女の意志では引っ込められない。反論の言葉はひとつも出てこなかった——なぜなら、それはすべて事実だったから。彼女は確かに偽聖女だった。何千という民を欺いた。壇上で祈られ涙を流して感謝された、そのすべてが偽りだった。その罪は消えない。どんな善行を積もうと、なかったことにはできない。結い上げた金髪の下で、彼女の肩が小さく震えていた。
「クラリッサ」
ミーリアが、その肩に手を置こうとした、その時だった。
「……待って、ください、ミーリアさま」
クラリッサはかすれた声でそれを制し、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は揺れていた。けれど逃げてはいなかった。震える唇を一度だけ固く結び、それから村人たちの前でまっすぐに口を開いた。逃げも隠れもしないという覚悟が、その細い背に宿っていた。
「その方たちの、言うとおりです」
ざわり、と村人がどよめく。
「わたくしは、クラリッサ・エーデルシュタイン」
名乗った瞬間、輪がしんと静まった。
「かつて帝国の聖女を騙った、偽物です。魔導具で力を偽り、大聖堂の壇上で、何千という人々の祈りを欺いて受けていました」
白い指が、裾を握りしめていた。
「……その罪から、逃げるつもりはありません」
クラリッサの声は震えていた。けれど、一語ごとにその芯は強くなっていった。
「だからこそ、わたくしにはわかるのです。あの女が、何をしているか」
声が、わずかに掠れた。
「人の不安につけ込み、なけなしの宝を奪う、その手口が。同じ過ちをこれ以上、見過ごすことはできません」
深く、頭が下がった。
「……わたくしは、人を裁く資格などない女です。それでも、止めずにはいられなかった」
彼女は、深く、頭を下げた。腰から折れるほどに、深く。
「欺いてきた者の言葉など、信じられないかもしれません」
それでも、顔は上げなかった。
「どうか、あの女にこれ以上、供物を捧げないでください。あなたたちの暮らしを、まやかしのために削らないでください」
沈黙が泉のほとりを包んだ。
誰も口を開かなかった。ただ湧き返った泉の水が、さらさらと澄んだ音を立てていた。
静けさを破ったのは、ひとりの老婆だった。さっき精霊の光に震える手を合わせていた女が、杖をつきながらゆっくりとクラリッサの前へ歩み出てくる。
「……あんた。さっき、あたしらに、本当のことを教えてくれたね」
老婆は、しわだらけの手で、クラリッサの手を取った。骨ばった、けれど温かい手だった。
「昔、何をしてたかは知らないよ。あたしには難しいことはわからない」
しわの寄った手が、クラリッサの肩に置かれた。
「けどね。今、この目の前で、あんたはあたしら貧乏人を守ろうとしてくれてる。震えながら、頭を下げてくれてる」
「……それで、十分じゃないか。人は変われる。あたしは長く生きてきて、そう思うよ」
クラリッサの目が大きく見開かれた。
ひとり、またひとりと村人たちがうなずき始めた。本物の奇跡を見た目は偽物の毒よりも確かなものを覚えていた——あの精霊の舞を、澄んだ水の甘さを、彼らはまだ肌に残していた。嘲りの声を上げていた商人たちが次第に居心地悪そうに口をつぐんでいく。
ひとりの若者が進み出て、ジゼルの従者をまっすぐに睨みつけた。
「さっき、俺はこの泉の水を飲んだ。甘くて、冷たくて、生きた水だった」
男は、袖で口をぬぐった。
「あんたらの聖女さまが出した水は、ただの溜め水だ。濁って、土の匂いがしていた。どっちが本物か、俺たちにももうわかる」
若者の言葉に村人たちが深くうなずいた。奇跡は一度その身で味わえば二度と忘れられない。ジゼルの毒よりも泉の甘さのほうが彼らの中ではずっと確かだったのだ。理屈ではない。舌が、喉が、渇いた体が、どちらが真実かをすでに知っていた。
ミーリアは、クラリッサの背に手を添えた。
「ほら。あなたの過去は、あなたが思うより、ずっと軽く見てもらえている。……あなたが、今、こうして逃げずに、前を向いたからです」
クラリッサの頬を涙が伝った。けれどそれはあの納屋で流したものとは違う涙だった。悔いだけの涙ではない。赦されることのあたたかさを知った涙だった。
* * *
ミーリアは、ジゼルへと向き直った。
「これまで、村々から集めた供物を、すべて返してください」
「はぁ? 冗談じゃないよ」
ジゼルがけたたましく笑った。だがその顔はもう笑ってはいなかった。目だけが忙しなく逃げ道を探している。
ミーリアは答えを待たなかった。フェリクスが無言で馬車の木箱に歩み寄る。剣の柄に手をかけた彼の姿に商人たちは青ざめて後ずさった。誰も止めようとはしなかった。ミーリアが箱の中を検めると、麦、干し肉、銅貨——奪われた人々の暮らしが無造作に詰め込まれていた。その中に、擦り切れた布に包まれた銀の腕輪を見つけた。
「……これは、オルテの村の、あの母親のもの」
ミーリアはそれを胸に抱いた。病の子を抱えたったひとつの宝を差し出した、あの若い母親の顔がよみがえる。あの子の、熱に赤らんだ頬も。
「必ず、持ち主に返します。あなたが奪った、すべてを、元の場所へ」
ジゼルの顔が屈辱に歪んだ。けれど彼女はまだ諦めてはいなかった。舌打ちして従者に何事かを耳打ちする。その目には追い詰められた者の暗い光が宿っていた。この女はまだ何かを企んでいる。ミーリアはそう直感した。
その時だった。
村人の群れのいちばん後ろ。旅装の男がひとり、じっとクラリッサだけを見つめていた。驚きと抑えきれない何かがその顔に浮かんでいた。男は震える声でつぶやいた。
「あの顔……間違いない。あの時の、聖女さまだ」
その声はまだ誰の耳にも届いていなかった。湧き返った泉の水面だけが、その男のこわばった影を映していた。その手は、古い痛みを堪えるように拳を固く握りしめていた。




