クラリッサの見抜いた手口
その夜、一行はオルテの外れの古い納屋を借り、身を寄せた。
村人たちは、まだ「星導の聖女」の余韻に酔っている。旅の者が三人、素性を隠して泊まっていることなど、誰も気に留めなかった。壁の隙間から、まだ遠く、村の広場で交わされる興奮したざわめきが漏れ聞こえてくる。奇跡を見た、聖女さまに触れていただいた。そんな声が、乾いた夜気に混じっていた。ミーリアは隅に積まれた干し草に腰を下ろし、クラリッサと向き合った。ランプの小さな炎が、二人の顔を揺れる影で照らしている。
「クラリッサ。あの女の手口、もう一度、きちんと聞かせてください」
ミーリアが言うと、クラリッサはしばらく膝の上で指を組んでいた。それから意を決したように口を開いた。
「では、順を追って。……見ていて、胸が悪くなるほど、丁寧な仕事でしたわ」
彼女はまず、あの井戸の水路のことから話し始めた。声に乱れはなかったが、その指は宙で見えない仕掛けをなぞるように細かく動いていた。
「涸れた井戸に水を戻すには、あらかじめ水を溜めておく必要があります。あの女は前日のうちに従者を送り込み、井戸の脇に浅い水路を掘って、樽の水を隠しておいたのでしょう」
ミーリアは、昼間に見た井戸のふちを思い浮かべた。
「あとは祈りの仕草に合わせて、栓を抜くだけ。底から水が湧いたように見えます。……村人は乾いた地面ばかり見ていて、足元の細工には気づきません」
「だから、あなたは井戸の脇の土を見ていたのですね」
「ええ。湿った土の色は、隠せませんもの」
ミーリアは、昼間の光景を思い返した。あのとき、井戸の裏手へ回った商人。あれが、栓を抜く役だったのだ。すべては、あらかじめ組まれた筋書きの通りに、進んでいた。村人の歓声さえも、その筋書きの一部だったのだと思うと、背筋が冷たくなった。
「次に、泥水を澄ませる手口」
クラリッサは続けた。
「濁った水に、ある種の薬を一振りすると、濁りが底に沈んで、水が澄んで見えます。毒ではありません。ただ、澄んだだけ」
「それを、聖水と……」
「渇いた村人には、そう見えます」
クラリッサは、いったん言葉を切った。
「いちばん質が悪いのが、『サクラ』です。金で雇った者を、あらかじめ村人にまぎれさせておく。その者が真っ先に『病が治った』『足の痛みが消えた』と叫ぶ」
「ひとりが叫べば……」
「人は、疑いを忘れます」
クラリッサの声が、そこで一段低くなった。
「奇跡とは、力ではなく、場の空気で作るもの。……わたくしが、そう教わったように」
最後のひと言で、ランプの炎が、小さく揺れた。
* * *
ミーリアは、何も言えなかった。
クラリッサは、うつむいたまま、続けた。声が少しずつ震えていく。膝の上で組んだ指に、ぎゅっと力がこもった。
「わたくしも、同じでした。聖光の器という魔導具で、ありもしない光の力を偽って、大聖堂の壇上に立っていた」
息を継ぐ音が、やけに大きく聞こえた。
「何千という民に手を合わせられた。祈りを捧げられ、涙を流して感謝された。……そのすべてが、嘘だった。わたくしは一度も、誰ひとり、癒してなどいなかったのです」
「クラリッサ」
「あの女を見ていて、思い出しました。腕輪を取られた、あの母親を」
ランプの芯が、じじ、と鳴った。
「わたくしが騙した村にも、あんなふうになけなしの宝を差し出した者が、いたのでしょう。……その手から何を奪っていたのか。今になって、ようやく重さがわかるのです」
クラリッサの頬を、ひとすじ、涙が伝った。公爵家の令嬢として帝国の聖女として、決して人前では泣かなかったであろう女が、古い納屋の隅で泣いていた。その涙は、贖いきれない過去の重さそのものだった。ミーリアには、それがわかった。
ミーリアは、その手を握った。冷たく強張った指を、両手で包み込む。
「あなたは、もう、あの頃のあなたではありません」
「……」
「過去は消せません。でも、あなたは今その過去を使って、同じ罪を犯そうとしている人を止めようとしている」
冷たい指が、わずかに動いた。
「奪われた人を、取り戻そうとしている。それは、あの頃のあなたにはできなかったことです」
クラリッサは、顔を上げた。涙に濡れた瞳が、ランプの光を映して、きらりと光る。
「……ミーリアさま。あなたを追い落とす形になったわたくしを、どうして、そんなふうに、赦してくださるのです」
「追い落とされたのは、わたしのほうです」
ミーリアは、微かに笑った。過去を恨む気持ちが、なかったと言えば嘘になる。けれど、この辺境で土地を癒し、精霊と語り、人と向き合ううちに、その恨みは凪いでいた。波ひとつない、深い水底のように。
「でも、もう終わったこと。今は、同じ土地を守る者どうし。それでいいでしょう」
クラリッサは、しばらく言葉を失っていた。それからこくりと小さくうなずいた。握られた手を、握り返すように。
* * *
納屋の戸が、軋みを立てて開いた。
村を探っていたフェリクスが、夜気をまとって戻ってきた。その表情は、いつになく硬い。手には、聞き込みで得たらしい、走り書きの覚え書きが握られている。
「厄介なことがわかった。あの女——ジゼルというらしい——の後ろには、金を出している者がいる。村人の話では、供物の半分は、どこかの『お偉いさん』に運ばれているそうだ」
フェリクスは、干し草の上に腰を下ろし、低い声で続けた。
「綻びで土地が荒れれば、畑も井戸も二束三文で買い叩ける」
干し草の匂いが、急に濃くなった。
「癒したふりで希望を煽り、供物で稼ぎ、荒れた土地を安く集める。……綻びそのものを金に変えている者がいる。ジゼルは、その手先にすぎん」
ミーリアは、これまで通ってきた村々を思い返した。フェルデ。ヴァルト。オルテ。どこも、綻びに怯え、藁にもすがる思いで供物を積んでいた。その不安の一つひとつが、誰かの利益のために、注意深く育てられていたのだ。土地の苦しみを癒すどころか、その苦しみを、金の生る木として飼っている。人の弱さを、これほど冷たく計算して食い物にする心が、この世にはあるのか。胸の底に、深い怒りが澱のように沈んだ。
「後ろ盾……」
クラリッサが、眉を寄せた。
「では、あの女ひとりを止めても、根は断てませんわね」
「ああ。だが、まずはあの女の化けの皮を剥ぐのが先だ。芝居が崩れれば、後ろ盾も、金づるを失う。慌てて尻尾を出すかもしれん」
フェリクスは、ミーリアを見た。その瞳には護衛としての冷静さと、彼女を案じる色とが同時に宿っていた。
「フィルが、次の村を突き止めてきた。ここから北へ半日、聖泉で知られるヴィント村だ。ジゼルは明日、そこで『奇跡』を見せるつもりらしい」
肩先で、フィルが翡翠色に、こくりと頷くように光った。
ミーリアは、立ち上がった。ランプの炎が、彼女の横顔をまっすぐに照らす。胸の奥では、あの母親から奪われた腕輪の重みが、まだ疼いていた。
「では、わたしたちも、ヴィントへ。……あの人が、まやかしの手をかざす前に」
納屋の隙間から、夜風が細く吹き込んだ。ランプの炎が、北の方角へ傾く。その先に、明日の対決の場が待っていた。




