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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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男爵辺境を甘く見た

「ええい、ふざけるな! こんな茶番、認められるものか!」


 追い詰められたドナートが、ついに喚き散らした。


 脂ぎった顔を真っ赤にして、供の護衛たちを振り返る。


「何をしている! その娘から、証拠の破片を奪い取れ! 力ずくでも構わん!」


 護衛たちが剣の柄に手をかけた。広場に緊張が走る。ミーリアは布ごと破片を、とっさに胸に抱えた。


 力ずくで証拠を奪う。この期に及んでまだそんな手が通ると思っているのだ。帝都の権力を笠に着て、ほしいものを手に入れてきた男。ミーリアの胸に冷たい怒りが込み上げた。けれど恐怖はない。この谷に自分ひとりではないと思える——それが、追放されたあの頃とは何もかも違っていた。


 けれど——その時だった。


 一人の村人が、ミーリアの前に、そっと立ちはだかった。


* * *


「聖女さまには、手出しさせねえ」


 畑仕事の鍬を握った、若い村人だった。続いて、もう一人。さらに、もう一人。


 気づけば広場の村人たちが、次々とミーリアの前に立ちはだかっていた。老いた者も若い者も。女も、子どもを庇う母親も。誰もが無言で、けれど確かな意志を持ってドナートと護衛たちの前に壁のように並んでいく。


 ミーリアは目の前に広がる背中の群れを、呆然と見つめた。畑を耕す手も薬草を摘む手も、けっして戦うための手ではない。それでも村人たちはその手で自分を守ろうとしてくれている。追放され独りぼっちだと思っていた自分に、これほど多くの帰る場所ができていた。熱い。胸の奥が。


「聖女さまは、俺たちの恩人だ」


「枯れた畑を蘇らせて、病を治して、この谷を救ってくれた」


「あんたらの都合で、渡すわけにはいかねえ」


 村人たちの声が、次々と重なっていった。


 ドナートがたじろいだ。護衛たちも剣を抜きあぐねている。数十人の村人が、静かながら揺るがぬ壁となって立ちふさがっているのだ。


* * *


「な、なんだ、貴様ら。温泉と薬草しか能のない里が、たかが田舎者の分際で……!」


 ドナートが、なおも喚いた。その時、湯治場のほうから、湯治客たちも駆けつけてきた。


 杖をついた老人。湯上がりの手ぬぐいを首にかけた男。この谷の湯で病を癒された者たちだった。彼らもまた、村人たちの列に加わっていく。


「わしはな、もう歩けんと言われた足で、ここまで来た」


 一人の老人が、杖で地面を突いて言った。


「それが、この谷の湯と、聖女さまの薬草で、こうして立って歩けるようになったんじゃ。その恩を、忘れるものか」


 湯治客たちは遠くの町からこの谷へやってくる。長く患った体を癒すため、藁にもすがる思いで。その多くが、ここで確かに快方へ向かった。温泉と薬草と聖女の力は彼らにとって命綱そのものだった。その恩を返そうと今、老いた体を押して前に立っている。


 マルタが、ハンス村長が、ロッテが前に出た。村を支える者たちが次々と列に加わる。ロッテは腕を組み、ドナートを睨みつけた。


「あんた、さっき『温泉と薬草しか能のない里』と言ったね。ああ、その通りさ。だがね、その温泉と薬草が、どれだけの人を救ってきたか。あんたにゃ、一生わからないだろうよ」


* * *


 ドナートの顔から、血の気が引いていった。


「ど、退け……退かんか!」


 彼が、じりじりと後ずさる。逃げ場を求めて、視線を彷徨わせた。けれど——


 背後の山道は、いつの間にか、フェリクスが塞いでいた。


 山刀を手に、黙して佇む山守。その傍らには山から下りてきた獣たちの影さえちらついている。この土地のすべてを知る男が、退路を断っていた。


 フェリクスの背後で木々がざわめいた。幹のあいだから、鹿や兎がじっと男爵の一団を見下ろしている。獣たちはフェリクスの気配に従うように、声もなく圧を放っていた。山守の一族に伝わる精霊と獣を束ねる力。それは剣を振るうよりも雄弁に、この土地の意志を示していた。


「言ったはずだ」


 フェリクスが、低く言った。


「この山を、舐めるな、と」


 そして頭上では——フィルが風を巻き起こしていた。土埃が舞い上がり、護衛たちの視界を奪う。足元ではテラが地面を波打たせ、彼らの足をもつれさせた。源泉のアクアが、水しぶきを上げて行く手を阻む。


 精霊たちまでもが、この谷を守ろうとしていた。


* * *


 包囲は完成した。


 前には村人と湯治客の壁。後ろには山守と山の獣。頭上と足元には、怒れる精霊たち。傲慢な男爵は、もはや一歩も動けなかった。


* * *


「……金だ」


 ドナートが、掠れた声で言った。指輪だらけの手が、震えながら懐をまさぐる。


「金なら、望むだけ出そう。破片さえ寄越せば、この谷に帝都の金を落としてやる。井戸も、橋も、好きなだけ直させればいい。悪い話では、あるまい」


 じゃら、と革袋が地面に投げ出された。金貨が夕日を弾き、いくつも地に転がり出る。湯治客の何人かがその輝きに、思わず視線を落とした。


 その時、列の後ろから腰の曲がった老婆がゆっくりと歩み出た。マルタが手を貸そうとするのを老婆はやんわりと断り、自分の足で転がった金貨のそばまで進む。かがみこむと、震える指で一枚をつまみ上げた。


「あんたには、わからないだろうねえ」


 老婆は、その金貨を、ドナートの足元へ、ぽとりと落とした。


「あたしの村にも、『聖女さま』が来たよ。土地を清めてやると言ってね。畑の実りも、蓄えた麦も、みんな供物に持っていかれた。信じた者から、順に飢えていったよ」


 ざわ、と村人たちが息を呑んだ。


「その供物が、どこへ流れていたのか。あたしはずっと知らなかった。今日、ようやくわかったのさ」


 その言葉に、湯治客の中から、痩せた女がひとり、うつむいたまま口を開いた。


「……うちの村も、そうだった。供物を出せない家は、罰が当たると言われて、村八分にされたよ」


 声は小さかった。けれどその小ささがかえって、広場の隅々まで染み渡っていく。ドナートが甘い汁を吸い上げてきたその下で——いくつの村が、いくつの家が静かに飢えていったのか。金貨の輝きの上にその重みが、音もなく降り積もっていった。


 老婆は皺だらけの目でまっすぐに男爵を見据えた。その目に涙はない。ただ長い年月をかけて澄んだ揺るがぬものだけがそこにあった。ドナートの喉がひゅっと鳴る。かつて供物という名で民から奪い、その痛みなど帳面の数字の裏にしか見てこなかった男。その男が今、奪われた側の顔を初めて正面から突きつけられていた。指輪だらけの手が行き場を失い、宙をさまよう。


 誰も、金貨を拾わなかった。夕暮れの光の中で、投げ出された金貨だけが、むなしく輝いていた。


* * *


 ミーリアはその光景をじっと見つめていた。剣も魔法も、大きな力は何ひとつ振るっていない。ただこの谷で暮らす者たちが、それぞれの場所とやり方で大切なものを守ろうとしただけだ。その一つ一つは小さくとも、束ねれば傲慢な権力さえ押しとどめる力になる。


「これが、辺境ですわ」


 リーナが、ゆっくりと歩み出た。


「あなたは、この地を『温泉と薬草しか能のない里』と侮った。けれど、ここには、あなたが帝都で決して手にできなかったものがありますの。……人が人を思う、確かな絆が」


 ドナートはへなへなと、その場に膝をついた。指輪だらけの手が地面をかく。もう喚く気力も残っていないようだった。


「この破片と、証言は、帝都へ上がります」


 ミーリアは、低く、けれどはっきりと告げた。


「あなたが辺境にしたことは、全部、帝都で明らかになります。もう、誰も騙せません」


* * *


 ドナートは、その夜から集会所の一室に留め置かれた。三日の後、帝国の紋章を掲げた一団が、山道を上ってきた。


 リーナがあらかじめ帝都へ知らせを送っていたのだ。彼らはリーナの証言と、ミーリアの差し出した破片を受け取ると、うなだれるドナートを馬車へと連れて行った。


 かつて辺境を脅した男爵は今、辺境の結束の前に敗れ帝都へと送られていく。その背中は、来たときの傲慢さが嘘のように小さく丸まっていた。


 それは剣で打ち倒すよりも、ずっと静かで深いこの谷なりの決着だった。


 村人たちの間からどっと歓声が上がった。誰かが笑い、誰かが涙ぐみ、誰かがミーリアの手を握った。ミーリアも思わず笑みをこぼす。


「聖女さま、やりましたね!」


「うん……みんなのおかげです。本当に、ありがとう」


 ミーリアは、集まってくれた一人ひとりの顔を見回して、深く頭を下げた。誰もが笑っていた。


 夕暮れの谷に、いつもの暮らしの気配が少しずつ戻ってきていた。薬草園ではテラが嬉しそうに転がり、フィルとアクアがその上を楽しげに舞っている。風が斜面をのぼり、蘇りはじめた薬草の匂いを村のすみずみまで運んでいく。


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