動かぬ証拠聴こえる嘘
ドナート・エーデルシュタイン男爵が、自ら辺境に現れたのは、魔導具が砕けた、その翌日だった。
前回の痩せた使者とは、まるで違った。馬車から降りてきたのは、恰幅のいい中年の男だ。脂ぎった顔に、いくつもの宝石の指輪。仕立てのいい上着が、突き出た腹で窮屈そうに張っている。供物で肥え太った男という言葉が、そのまま姿になったようだった。
男が広場に足を踏み入れた途端、村の空気が目に見えて張り詰めた。数日前の使者よりも明らかに格上、この谷を蝕んだ魔導具の本当の主である。村人たちは遠巻きにその姿を見つめ、誰も言葉を発しない。供の護衛たちが、抜け目なく周囲に目を配っている。
「これは、これは。噂の、辺境の聖女さまかな」
ドナートは、大げさな笑みを作った。けれど、その目は少しも笑っていない。値踏みするような粘つく視線が、ミーリアを、そして村の全体を、舐め回した。
「わざわざ、男爵さま自らが。何のご用でしょう」
ミーリアが問うと、ドナートは、わざとらしく肩をすくめた。
「いやなに。辺境で、妙な言いがかりが立っていると聞いてな。わたしの家の魔導具が、この谷を荒らしているとか。……とんだ濡れ衣だ。弁明に来てやったのだよ」
* * *
ミーリアは、フェリクスから、布に包んだものを受け取った。
開いて、ドナートの前に差し出す。砕けた装置の破片。その表面に、エーデルシュタインの紋章が、はっきりと刻まれていた。
「これが、東の祠に仕掛けられていました。大地の力を吸い上げる、魔導具です。……この紋章は、エーデルシュタイン家のものですよね」
ドナートの眉が、ぴくりと動いた。けれど、それも一瞬だった。
「はっ。それがどうした」
男は、鼻で笑った。
「エーデルシュタインの紋章など、帝都の魔導具にいくらでも刻まれている。それを、誰かがこの辺境に置いていっただけかもしれん。わたしが仕掛けたという証拠が、どこにある? 言いがかりも、たいがいにすることだ」
「わたしは、この件について、何ひとつ関知しておらん」
ドナートは、胸を張って言い切った。
その物言いは、いかにも慣れたものだった。こうして権威と剣幕で、地方の民を幾度もねじ伏せてきたのだろう。証拠を示されても鼻で笑い、言いがかりと切って捨てる。傲慢さの裏に、長年罪を重ねた者の狡猾さが透けて見えた。ミーリアは、唇を引き結んだ。
* * *
その時だった。
「……あら。おかしいですわね」
人垣の中から、涼やかな声が響いた。リーナだった。
彼女は、ドナートの前へ進み出た。旅装ではない。きちんとした令嬢の装いで、背筋を伸ばしている。その姿を見て、ドナートの顔から、笑みがすっと引いた。
「クレスタフェルデ、家の……」
「リーナ・クレスタフェルデ。帝都で、聖女制度改革を任されておりますわ。……ドナート男爵。今、あなた、こう仰いましたわね。『何ひとつ関知していない』と」
「あ、ああ。言った。それが何だ」
「その言葉」
リーナの淡い紫の瞳が、金色の光を帯びた。鑑譜眼。あらゆるものに宿る旋律を、聴き取る力。
「ひどい、不協和音でしたわ」
* * *
「な……なんだと?」
ドナートの声が、わずかに上ずった。リーナは、彼から目を離さない。
「わたくしの耳には、人の言葉が、旋律として聴こえますの。真実は、澄んだ和音として。そして嘘は——耳を塞ぎたくなるような、濁った不協和音として」
リーナは、一歩、ドナートに近づいた。
「あなたの『関知していない』は、これまで聴いたどの嘘よりも濁っておりましたわ。幾重にも塗り重ねた、後ろ暗さの層のよう。……もう一度伺いますわ。この魔導具を仕掛けたのは、あなたですわね?」
「し、知らん! わたしは知らんぞ!」
「ああ、また濁りましたわ」
リーナが、首を振った。その一挙一動に、ドナートは、じりじりと後ずさっていく。
嘘が、通じない。生まれて初めて、この男は、嘘を嘘と即座に見抜かれる相手の前に立っていた。額に、脂汗が滲みはじめている。
この谷に来てから、ミーリアはリーナの鑑譜眼を何度も見てきた。けれど、悪意ある者へ真っ向から向けられるのを見るのは初めてだった。嘘を、嘘のまま許さない。どんな権威も剣幕も、彼女の耳の前では意味をなさない。剣や魔法とはまるで違う、静かで鋭い力だった。
* * *
「男爵さま」
その時、進み出た者がいた。クラリッサだった。
薬草で汚れた手を、まっすぐに前で組んでいる。かつて、その顔から血の気を失わせた相手を前に、彼女は、もう俯いてはいなかった。
「わたくしを、覚えておいでですか。クラリッサ・エーデルシュタイン。あなたと同じ、あの家の傍系の者ですわ」
「き、貴様……なぜ、こんなところに」
「あの魔導具の仕組み、わたくしは存じております。『聖光の器』と同じ理屈。土地から力を吸い上げ、別の場所で放つ。……あれを扱えるのは、エーデルシュタインの中でも魔導院の技を修めた、ごく一部の者だけ。男爵さま。あなたは、その一人でしたわね」
クラリッサの証言に、ドナートの顔が、赤黒く染まった。
紋章の刻まれた破片。嘘を暴く鑑譜眼。そして、内側を知る者の証言。逃げ道は、一つずつ、確実に塞がれていった。
クラリッサの声は、もう震えていなかった。かつて偽りの聖女として、この男と同じ側にいた女。その過去を、彼女はもう隠そうとも逃げようともしない。自らの罪を認め、真実を証すために口を開いている。ミーリアは、その凛とした横顔をそっと見つめた。人は変われる——いつかのリーナの言葉が、また胸に浮かんだ。
* * *
「おのれ……おのれ、小娘どもが!」
ついに、ドナートが、取り繕うことをやめた。脂ぎった顔を歪め、指輪だらけの手を、わなわなと震わせる。
「たかが辺境の聖女ごときが。偽聖女あがりの分際で。この、ドナート・エーデルシュタインに、盾突くというのか!」
「盾突く、とは異なことを」
リーナが、涼やかに応じた。
「わたくしたちは、ただ、真実を並べているだけですわ。それを『盾突く』と感じるのは……あなたの胸に、疚しいものがあるからではなくて?」
ドナートは、言葉に詰まった。集まった村人たちが、その様子をじっと見つめている。傲慢な貴族が、聖女と令嬢の前でみるみる追い詰められていく。その光景を、誰もが固唾を呑んで見守っていた。
ミーリアは、砕けた破片を握りしめた。この証拠と証言を、帝都に届ける。そうすれば、この谷を脅かした者の罪が、白日の下にさらされる。
夕暮れの風が、広場を吹き抜けていく。追い詰められた男爵の影が、地面に長く伸びている。その影の向こうで、村人たちの視線が、静かな、けれど確かな怒りを込めて一人の男に注がれていた。




