第11話 星脈という名前
朝から、グリュンハイムは騒がしかった。
「聞いたかい、昨日の畑!」
「枯れてた薬草が一面に花咲いたって!」
「あの聖女さま——いや、帝都から来たお嬢さんの手から光が出て」
温泉宿の食堂で朝食をとっていたミーリアの耳に、村人たちの声が飛び込んでくる。匙を持つ手が止まった。
昨日のこと——畑に手を当てたら、地面が光って、花が咲いた。あれは夢ではなかったのだ。
匙を置き、器の中のスープを見つめる。湯気が立ち上り、窓からの朝日に白く光っている。
「ミーリアちゃん」
マルタが食堂の奥から顔を出す。
「ロッテが呼んでるよ。あと村長さんも来てる。すごい顔してたから、覚悟しときな」
「す、すごい顔って——」
「行けばわかるよ」
マルタに背中を押されて宿を出ると、薬草園に向かう小道の両脇に昨日咲いた花がまだ揺れていた。白い花、紫の花、名前も知らない黄色い花。地面から湧き出したように密集して、朝露を纏っている。
自分がやったのだと思うと、不思議な気持ちだった。
薬草園の作業小屋に着くと、ロッテが腕を組んで立っていた。その横に、ハンス村長が古びた革表紙の本を抱えて座っている。
フェリクスは壁に背を預け、無言でこちらを見ていた。琥珀色の目がミーリアを捉えて、わずかに細められた。
「あんた」
ロッテが一歩近づく。
「昨日のあれ。あの光は何だい」
「えっと……わたしにも、よくわからなくて」
ミーリアは正直に答えた。畑にしゃがんで、枯れた土に手を当てた。ごめんね、と呟いた。それだけだ。
それだけで、花が咲いた。
「村長。例の書物を」
フェリクスの低い声に促され、ハンス村長が革表紙の本を開いた。紙が黄ばみ、端が崩れかけている。インクが褪せて、ところどころ読み取れない箇所がある。けれど村長の指は迷いなく、ある頁を押さえた。
「これは山守の家に代々伝わる古い記録でな。百年以上前のものだ」
村長の指が、かすれた文字をなぞる。
「——星脈共鳴。大地の星脈と直接共鳴し、枯れた命を蘇らせる力。大聖女アリーシアがこの谷で行使し、大崩落で失われた農地を一夜にして甦らせたと記されておる」
星脈共鳴。
その言葉が、胸の奥に落ちた。重くて、温かかった。
「大聖女アリーシア……」
「百年前の聖女だ」
フェリクスが壁から背を離した。腕組みを解いて、ミーリアの正面に立つ。
「精霊の番人の家系に伝わる言い伝えがある。通常の属性鑑定では測れない力を持つ者がいると。光でも水でも風でもない。失われた七番目の属性——星に近い力だと」
「星……」
「帝都の鑑定は光属性しか見ない。だからお前はB級と判定された。だが星脈共鳴ができるなら、あの鑑定自体が間違っていた可能性がある」
ミーリアは自分の手を見つめた。昨日、この手から白銀の光が広がった手。帝都では何の役にも立たないと言われた手。指先に薬草の汁のしみが残っている。
聖光の儀で、この手は何も光らなかった。クラリッサの手がS級の光を放つ横で、この手はただ震えていた。
「わたし、光属性B級で、聖女にもなれなかったのに……」
「B級なのは、帝都の物差しが古いからだよ」
ロッテが鼻を鳴らした。
「あんたの手で花が咲いた。あたしはこの目で見た。帝都の偉い連中の鑑定より、自分の目を信じるね」
フィルがミーリアの肩に止まり、翡翠色に輝いた。小さな羽ばたきとともに、温かい感情がミーリアの心に流れ込んでくる。
〈名前。あった。よかった〉
精霊も知っていたのだ。この力の名前を。
「ロッテさん、村長さん。わたし、もう一度試してみたいんです」
ミーリアは立ち上がった。昨日は無意識だった。今度は自分の意思で。
「あんた、体は大丈夫なのかい。昨日、ずいぶん頭が痛そうだったけど」
ロッテが眉をひそめる。
「大丈夫です。今は。それに——名前がわかったら、どんな力なのか、もっと知りたくて」
ハンス村長が頷いた。白い髭を撫でながら、穏やかな声で言う。
「無理はせんでくれよ。お主はこの村の大事な薬草師じゃからな」
薬草師。村長にそう呼ばれたことが、胸に小さな灯をともした。
* * *
薬草園の端に、まだ枯れたままの一角がある。昨日の星脈共鳴が届かなかった場所だ。
土は灰色がかっていて、茎が力なく倒れている。葉は茶色く縮れ、根元がひびだらけだ。昨日蘇った花畑との境目がはっきりと見える。光が届いたところと、届かなかったところ。その差が残酷なほど明瞭だった。
ミーリアはそこにしゃがみ込み、両手を土に当てた。
ひんやりとした感触。指の間を砂が抜けていく。
意識を深く沈める。
昨日の感覚を思い出す。地面の奥から聞こえた低い振動音。星脈が歌うような、あの響き。
指先が温かくなった。
白銀の光が、手のひらの下で微かに灯る。
枯れた茎が揺れた。葉が開く。小さな蕾がひとつ、ふたつ。
だが、それだけだった。
光は昨日の半分にも満たない。蘇った範囲は手の届く程度。両腕一杯に広げても、畳一枚分がやっとだ。
そして、頭の奥がずきりと痛んだ。
「……っ」
こめかみを押さえて目を閉じる。視界が白くちらついて、地面が揺れる感覚がした。額に汗が浮く。
〈無理。だめ〉
フィルが心配そうにミーリアの頬の傍で光った。
「座れ」
フェリクスの声がした。
腕を引かれて、切り株に腰を下ろさせられる。水筒が押しつけられた。
「飲め」
言われるままに水を含む。冷たい山の水が喉を潤し、頭痛が少しだけ和らいだ。
「……ありがとうございます」
「一日二回が限度だな」
フェリクスがミーリアの前にしゃがみ込んだ。琥珀色の目がまっすぐこちらを見ている。真剣な目だった。怒っているのではない。案じている目だ。
「昨日が一回目。今のが二回目。これ以上は体が持たない。無理はするな」
その声は命令形だった。
けれど差し出された手は、温かかった。
ミーリアはその手を取った。大きくて、硬くて、山の仕事で鍛えられた手だ。掌の皮が厚く、指の節にたこがある。
立ち上がりながら、思う。
わたしの力に、名前がついた。
星脈共鳴。百年前の大聖女アリーシアが使った力。帝都では見つけてもらえなかった力。
「ミーリア」
フェリクスが、まだ手を放していなかった。
「名前がつこうがつくまいが、お前の力はお前のものだ。帝都に認められる必要はない」
ロッテが作業小屋の窓から「良いこと言うじゃないか!」と叫んだのを、フェリクスは聞こえなかったふりをしていた。
耳の先だけが赤くなっている。
〈温かい。二人とも〉
フィルが二人の間を飛び回る。翡翠の光が、蘇ったばかりの小さな花を照らした。
フェリクスが手を離した。名残のように、指先がミーリアの掌を滑っていった。
ミーリアの手の中に、フェリクスの手の温もりがまだ残っていた。
星脈共鳴の温もりとは違う。もっと確かで、もっと近い温もりだった。
足元で、さっき蘇った花が風に揺れている。小さな花だ。けれど確かに咲いている。
昨日のような一面の花畑ではなくても。この手で咲かせた花だ。




