制度設計は畑仕事に似ている
制度づくりは、ここ数日、集会所の一室で続いていた。
長机の上には、リーナが持ち込んだ帳面と書きかけの草案が広げられている。窓の外では湯治客がのんびりと谷を歩き、精霊たちが薬草園の上を舞っていた。帝都の役所なら羽ペンと足音で張り詰めているだろうに、この部屋には遠くの湯音と鳥の声しか響かない。
リーナが辺境に来て、十日あまり。制度づくりの合間に、彼女は薬草の名を覚えはじめていた。
リーナは、羽ペンを手にしたまま、難しい顔で草案を睨んでいた。
「行き詰まりましたわ」
彼女がため息をついて、ペンを置いた。
「聖女の資格を、どう定めるか。ここが、どうしても決まりませんの」
「資格、ですか」
ミーリアは、隣で薬草を仕分ける手を止めた。リーナの帳面を覗き込む。几帳面な字で、条文の案がいくつも並び、そのどれもが線で消されていた。
「本物の聖女と、偽物の聖女。それを分ける線を、どこに引けばよいのか。力の強さで測れば、心根のやさしい弱い者がこぼれ落ちますわ。血筋で測れば、それこそ偽装聖女の温床。……帝都の学者たちと、何度議論しても堂々巡りですの」
リーナは、こめかみを押さえた。
ミーリアは、竈にかけた湯で薬草茶を淹れた。湯気の立つ碗を差し出すと、リーナは小さく礼を言って両手で包むように受け取った。根を詰めた横顔に、ほんの少しだけ疲れが滲んでいる。
* * *
ミーリアは、しばらく草案を眺めていた。
難しい言葉ばかりで、正直、半分も分からない。けれど、「本物と偽物を分ける線」という言葉だけは、なぜか胸に引っかかった。
「あの……的外れだったら、ごめんなさい」
ミーリアは、おずおずと口を開いた。
「畑と、同じじゃないでしょうか」
「畑……?」
リーナが、きょとんとした顔で顔を上げた。
「はい。薬草を育てるとき、いい苗と悪い苗を、見た目だけじゃ分けられないんです。大きくても中が空っぽの苗もあるし、小さくても根がしっかりした苗もあって」
ミーリアは、仕分けかけの薬草を一束、手に取った。
「だから、ロッテおばさんはいつも言うんです。『苗を見るな、土を見ろ』って。どんな土で、どう育てられたか。それを見れば、その苗がこれからどう育つか、だいたい分かるって」
* * *
リーナの手から、羽ペンが滑り落ちた。
彼女は、ミーリアの持つ薬草の束を、じっと見つめていた。淡い紫の瞳が、少しずつ見開かれていく。
「……土を、見る」
「聖女さまも、同じじゃないかなって。力が強いか弱いかじゃなくて。その人が、誰のために、どんなふうに力を使ってきたか。……そっちのほうが、大事な気がするんです」
「……誰のために、どんなふうに」
リーナが、ゆっくりと、ミーリアの言葉を口の中で繰り返した。
そして、弾かれたように羽ペンを拾い、新しい紙に走らせはじめた。ペン先が紙を擦る音が、忙しなく部屋に満ちる。
「そうですわ。資格を『今の力』で測るから、堂々巡りになりますの。『これまで、その力で何をしてきたか』を問えばよろしいのです。偽の聖女には、民を欺いた来歴しかない。けれど本物には、誰かを救ってきた土がありますわ」
リーナの頬に、朱が差していた。
「畑仕事……あなたは、また、わたくしに宿題の答えをくださいましたわね」
* * *
昼を過ぎた頃、ロッテが乾いた薬草の束を抱えて集会所に顔を出した。
「精が出るねえ。……で、その小難しい紙に、何を書いてるんだい」
「聖女さまを、どう見分けるかの決まりです」
ミーリアが答えると、ロッテは束を机の端に置き、草案を横目で見た。
「ふん。あたしにゃ字は読めないがね。人を見分けるなんざ、大層な話だ」
「ロッテさんは、どうやって人を見分けますの」
リーナが尋ねた。ロッテは、少し考えてから、節くれだった指で机を叩いた。
「その手を見るね。畑仕事の手か、そうじゃない手か。楽して甘い汁だけ吸ってきた手ってのは、どっか綺麗すぎるのさ」
リーナが、はっとしたように自分の手と、薬草で汚れたミーリアの手を見比べた。
「……来歴は、手に出る」
「難しいことは知らないよ。あたしゃ手を握って、豆の潰れ具合を見るだけさ」
ロッテはそう言い残して、また調合小屋へ戻っていった。その背中を見送りながら、リーナは自分の手のひらを、しばらく見つめていた。
* * *
その日の午後は、二人で草案を練り直した。
リーナが条文を書き、ミーリアが「それ、村の人には難しすぎます」と口を挟む。すると、リーナがまた書き直す。帝都の学者が読む文章ではなく、辺境の村人が読んでも分かる言葉へ。難しい漢語が、一つずつ、やさしい言葉に置き換わっていった。
「『聖性の顕現度に基づく階級認定』……これでは、村の誰にも届きませんわね」
リーナが苦笑して、その一行を線で消した。代わりに書いたのは、こんな言葉だった。『その人が、これまで誰を助けてきたかを、村のみなで話し合って決める』。
「この一行、村の子に読ませてみたいですわ」
リーナが、ふと手を止めて言った。
「帝都では、条文を読むのは役人だけですの。誰も、読めるかどうかを訊きませんでしたわ」
窓から差し込む西日が、書き上がった草案を照らしていた。まだ半分も埋まっていない。リーナは一頁目の余白に薬草の葉を一枚挟んで、帳面を閉じた。
* * *
夕餉のあと、ミーリアは薬草園に出た。昼間の草案づくりで、頭がくたびれていた。
薬草園の入り口で、フェリクスが薪を割っていた。ミーリアに気づくと、手を止めて、小さく顎を引く。
「進んでるのか、制度の話は」
「うん。今日は、ちょっとだけ前に進んだ気がします」
「そうか」
フェリクスはそれだけ言って、また斧を振り上げた。乾いた音が、夕暮れの谷に響く。多くを語らない人だ。それでも、その短い問いかけが、ミーリアの一日の疲れを、少しだけ軽くしてくれた。
カイトの種を植えた一角で、テラが静かに光っていた。ミーリアがしゃがむと、土がほのかに温かい。
「制度も、あなたも、ゆっくり育てばいいよね」
答えるように、フィルが翡翠色の光を撒いて畝の上を一周した。テラも種のそばで、とくりと小さく脈打つように光る。風が出て、薬草の葉が鳴った。ミーリアは土に手を置いたまま、しばらく動かなかった。




