のんびりしたいのに手紙が来る
——第二部 辺境クロスオーバー編——
その手紙が届いたのは、リーナへの返事を送って三日後のことだった。
朝のグリュンハイムは、いつものように白い。源泉の湯煙が谷間に溜まり、朝日を受けて薄く色づいていく。
ミーリアは調理場にいた。
大鍋の前で、乾かした薬草を刻んでいる。ミントと山百合、それに温泉の湯の花を混ぜた石鹸を作るのだ。
「えっと、湯の花はこのくらいで……あ、もう少し入れた方がいいかな」
〈いい匂い〉
フィルが鍋の縁で翡翠色に明滅した。羽から零れる光が湯気に溶けていく。
「フィルさん、まだ石鹸になってないですよ。これからです」
テラが床を転がってきて、竈の前で止まった。火加減を確かめているらしい。
〈熱い。ちょうど〉
「ありがとう、テラさん。火の番、上手ですね」
昨日、マルタに頼まれたのだ。温泉宿の土産にする石鹸を作ってほしい、と。ロッテの薬が評判になり、湯治客が持ち帰れるものを欲しがるようになったらしい。
* * *
足音がした。
フェリクスが調理場の戸口に立っていた。手に籠を提げている。中には摘みたての山百合が入っていた。
「……足りないと思って。摘んできた」
「フェリクスさん、ありがとうございます。ちょうど山百合が欲しかったんです」
どうしてわかったのだろう。ミーリアは少しだけ首をかしげた。
「昨日、お前が独り言で言ってた。山百合が足りるかな、って」
「……聞かれてました?」
フェリクスは答えず、竈に薪を一本足した。琥珀色の目が鍋の中を覗いている。
二人で鍋をかき混ぜた。薬草の青い香りと湯の花の匂いが混ざり合い、調理場に広がっていく。
「いい匂いだろう」
「はい。マルタさんも気に入ってくれるといいんですけど」
「売れる」
フェリクスは籠の底に残った花びらを、指先で払い落とした。ミーリアは口元がほころぶのを止められなかった。
鍋の中身がとろりと重くなってきた。木べらですくうと、糸を引いて落ちる。
「そろそろですね。湯の花は、肌の荒れに効くんです」
「型はどこに置く」
「窓辺にお願いします。風で乾かすので」
フェリクスが木の型を並べていく。無駄のない手つきだった。ミーリアはとろけた石鹸の種を、ひとつずつ型に流し込んでいった。
* * *
昼過ぎ。
石鹸が固まるのを待っていると、村の方から子どもの声が響いた。
「ミーリアさまー! 行商のおじさんが来たよー!」
ハンス村長の孫だった。息を切らして調理場に駆け込んでくる。
「帝都からのお手紙、預かってるって!」
ミーリアは手を止めた。
帝都から。心当たりは一つしかない。
村の広場に下りていくと、荷馬車の脇で行商人が待っていた。何度か辺境に来ている顔なじみだ。彼は油紙に包まれた封書を差し出した。
「帝都の役所で預かってきたよ。ずいぶん立派な封蝋だ。お偉いさんからだろう」
「近ごろ帝都は騒がしいよ。聖女さまがどうとか、制度がどうとか。あんたには関わりのない話だろうがね」
行商人は御者台に戻り、手綱を巻き取った。ミーリアは受け取った封書を両手で持ち直した。厚みがある。便箋が三枚は入っていた。
封蝋には見覚えのある紋章が押されていた。鑑譜眼の家系、クレスタフェルデの印。
「リーナさま……」
ミーリアは井戸端に腰を下ろし、封を切った。
『ミーリアさま
お返事、たしかに受け取りましたわ。日程のお心遣い、感謝いたします。
単刀直入に申しますわね。わたくし、本物の聖女制度を作りたいのです。
聖女認定の条文を、第三条から書き直しますわ。神殿の署名だけで名簿に載る道を塞ぎ、鑑定を先、推薦を後に。順序を入れ替えるだけで、偽りの聖女は仕立てられなくなります。
草案は十七条まで起こしました。けれど、大地に関わる項がまるごと空欄のままですの。
その「本物」がどうあるべきか。わたくしには、あなたの声が必要なのです。追放された当事者であり、今なお大地に寄り添うあなたの声が。
近く、辺境へ伺います。どうか、少しだけお時間をくださいまし。
リーナ・クレスタフェルデ』
読み終えて、ミーリアは膝の上で手紙を握った。
「どうしたね、ミーリア。帝都から悪い知らせかい」
いつの間にかロッテが隣に立っていた。
「いえ……お客さまが来るんです。帝都から、偉い人が」
「偉い人?」
ロッテが眉を上げた。広場に集まっていた村人たちがざわめく。
「帝都のお貴族さまが、こんな辺境に?」
「宿は足りるのかい。道の草刈りもしとかにゃ、馬車が通れんぞ」
「二階の雨漏りが、まだ直っとらんよ」
「板は明日削る。桶は今夜のうちに置いときゃいい」
「布団も干さにゃな。日が出とるうちに」
村人たちが口々に言い合いはじめた。ミーリアが何か言う前に、話はどんどん大きくなっていく。
「あの、そんなに大げさにしなくても……」
「大げさもなにも、聖女さまのお客だろう。ちゃんとせにゃ」
ハンス村長が腕を組んで頷いた。
「制度を、作り直す……」
背後で掠れた声がした。振り返ると、クラリッサが乾燥薬草の束を抱えて立っていた。
「聞こえてしまいましたわ。帝都が、聖女の仕組みを変えると」
「クラリッサさん」
クラリッサの指が、薬草の束をきつく握った。今どんな顔をしているのか、ミーリアには推し量ることしかできない。
「……いえ。なんでもありませんわ」
クラリッサは薬草を抱え直し、調合小屋へ戻っていった。その背中を、ミーリアはしばらく見送った。
手紙を折り直すと、便箋は三つ折りの癖に戻らなかった。角が井戸端の水を吸って、わずかに波打っている。ミーリアは油紙に包み直し、帯のあいだに挟んだ。
* * *
夜。
フェリクスと二人、薬草園の端に立った。カイトの種を植えた一角だ。月の光が畝を銀色に照らしている。
「リーナって令嬢は、どんなやつだ」
「まっすぐな人です。自分の役目から逃げない……たぶん、わたしなんかより、ずっと」
「お前も逃げてない」
フェリクスがぽつりと言った。ミーリアは返事に詰まった。
その時、テラが畝の上で小刻みに震えた。いつもより光が強い。
〈動いてる。もっと。強く〉
「テラさん?」
ミーリアはしゃがみ込み、土に手を当てた。星脈共鳴は使わない。ただ触れるだけ。
温かかった。今までとは違う。土の奥で、何かが確かに脈打っている。とくん、とくん、と。まるで小さな心臓のように。
「フェリクスさん、これ……」
フィルが飛んできて、種の上をぐるぐると旋回した。落ち着きなく、羽の光が瞬いている。
〈来る。もうすぐ。何か〉
ミーリアは月を見上げた。
白い月が、静かに谷を照らしている。赤くはない。封印は安定している。それでも、土の下の鼓動は止まらなかった。
「のんびり、できるのかな」
フェリクスが畝にしゃがみ、掌で土を押し戻した。指の跡が、いつまでも消えなかった。




