第16話 1曲
何事にも、終わりは来るものです。
それは、良いことも悪いことも変わりません。
武闘大会も閉会し、残りの時間をのんびりと過ごしたわたしと一色くんは、またしても訓練場を訪れていました。
中央では火が燃え盛り、その周りでたくさんの人が、音楽に乗って踊っています。
いわゆる、後夜祭ですね。
日が暮れていることもあって、活発な雰囲気ではありませんけど、とても楽しそうな空間が広がっています。
そのことにわたしは微笑み、眩しいものを見るように目を細めました。
平和を象徴するこの光景が、来年も続くよう願いを込めて。
並んで立つわたしと一色くんの間には、ほんの少しだけ距離がありますが、少し手を伸ばせば触れられます。
チラリと横顔を窺うと、彼も正面を向いたまま黙っています。
恐らく手を繋ぎ直そうとしても、拒否はされないと思いますけど……もう、理由がないんですよね。
人の数はかなり減っていますし、はぐれる心配はありません。
その状況で手を繋ぐのは……な、何か特別な関係のように、勘繰られてしまいそうです。
……今更かもしれませんけど。
想像したわたしは顔が赤くなるのを感じ、どうしても1歩を踏み出せませんでした。
そうして、モジモジしたまま時間だけが経過すると、背後から元気な声が聞こえて来ました。
「あ! 夜宵ちゃん、見っけ! ねぇねぇ、踊ろうよ!」
「待て、九条! 抜け駆けは許さんぞ! と言うか、離れろ!」
「そう言いつつ、四季さんも狙っているわよね? 夜宵さん、わたしと踊りましょう」
「光凜さんも、変わらないではないですか。 夜宵さんの相手は、わたしに決まっています」
抱き着いて来た一葉ちゃんを皮切りに、何やら言い争いを始める『肆言姫』。
わたしにも、これくらいの積極性があれば良かったんですが……。
などと嘆いても、仕方ないですね。
苦笑を漏らしたわたしは、一葉ちゃんの頭を撫でながらやんわりと引き剥がし、ゆっくりと口を開きました。
「皆さん、お疲れ様です。 わたしも踊りたいので、順番にお願い出来ますか?」
「やったー! じゃあ、あたしから――」
「学習して下さい、一葉さん。 こう言うときは、じゃんけんが相場でしょう」
「1番手を譲りたくはないが……黒咲の言う通りだな。 ここは正々堂々、勝負を付けるぞ」
「良いわね、四季さん。 では、始めましょうか」
光凜さんの言葉を合図に、4人が向かい合いました。
何故だか魂力を高めていますけど……じゃんけんですよね……?
無性に不安になりましたが、それは杞憂に終わりました。
凄まじい気迫は感じますが、天羽さんたちは普通にじゃんけんを始めたのです。
何度もあいこが連続し、いつになったら終わるのかと、ギャラリーが出来るほどでした。
しかし、こう言った場合でも終わりはやって来ます。
「まぁ、当然ね」
「う~! 悔しい~!」
「無念だ……」
「……精進が足りませんでした」
厳正なるじゃんけんの結果、光凜さん、一葉ちゃん、天羽さん、夢愛さんの順番に決まりました。
髪をかき上げた光凜さんは余裕綽々な態度を取っており、一葉ちゃんは涙目で地団太を踏んでいます。
天羽さんは拳を握って奥歯を噛み締め、夢愛さんは無表情のまま酷く落ち込んでいます。
そんなに、踊る順番って大事なんでしょうか……?
わたしとしては、大した問題ではないんですけど。
少しばかり戸惑っていると、満面の笑みを浮かべた光凜さんが歩み寄って来ました。
「では、行きましょうか」
「あ……は、はい」
光凜さんに手を引かれたわたしは、羨ましそうな天羽さんたちを置いて、踊りの輪に加わりました。
尚、一色くんはいつの間にかいなくなっています……。
本音を言うと残念ですが、今は切り替えましょう。
じゃないと、お相手である光凜さんに失礼ですからね。
自分に言い聞かせたわたしは、光凜さんと向かい合って両手を握り、微笑み掛けました。
「よろしくお願いします。 踊りは、あまり得意じゃないんですけど……」
「ふふ、大丈夫よ。 優しくリードしてあげるから」
「あ、有難うございます」
どこか艶やかな笑みを湛えた光凜さんは、宣言通り優しくわたしを導いてくれました。
音楽に合わせて、無理なく、それでいて楽しく、ステップを踏みます。
光凜さんの手の握り方が、やけに艶めかしいのが、少し気になりましたが……。
だんだんと体や顔の距離が近くなって来て、吐息を感じられるほどです。
良く見ると頬を上気させていますが、微かにお酒の香りがして納得しました。
恐らく酔っ払ってはいないでしょうが、普段より若干気分が高揚していそうです。
そのことにわたしが苦笑していると、光凜さんがポツリと声を落としました。
「可愛いわね……」
「え?」
「やっぱり、夜宵さんは可愛いわ。 連れて帰りたいくらい」
「え、えぇと……有難うございます……」
「その反応も可愛いわね。 ……ねぇ、キスして良いかしら?」
「そ、それはちょっと……」
「もう、意地悪ね。 でも、そんなところも可愛いわ」
妖艶な眼差しを送って来る光凜さん。
前言撤回します。
酔っていますね。
流石に戦闘に支障をきたすほどじゃないでしょうけど、明らかに言動がおかしいです。
ですが、鼓動が少しばかり速くなったのを自覚しました。
それだけ光凜さんに、魅力があると言うことですね。
改めてそう認識していると、音楽が一区切りしました。
そこで足を止めたわたしは、光凜さんと離れようとしましたが――
「夜宵さん、大好きよ」
耳元で囁かれて、目を見開きました。
しかし、すぐに身を離した光凜さんは悪戯っぽく笑い、去って行きました。
ビ、ビックリしましたね……。
深い意味はない……と思いますが、あそこまでストレートに表現されるのは、珍しいかもです。
ますます心臓の音が大きくなった気がしますけど、深呼吸することで落ち着きました。
すると、入れ替わるようにやって来ていた一葉ちゃんが、不思議そうに問い掛けて来ました。
「ん? 夜宵ちゃん、大丈夫? 顔、赤いよ?」
「だ、大丈夫です。 問題ありません」
「それなら良いけど……。 あ! もしかして、陰険女に何か言われた!?」
「へ……!? ち、違います……! 光凜さんは、何も悪くありません……!」
「……ホントに?」
「ほ、本当……ですよ?」
「なーんか、怪しいけど……仕方ないから、今回は許してあげる! その代わり、思い切り踊るわよ!」
「お、お手柔らかにお願いします」
花のような笑みを咲かせた一葉ちゃんが、力強くわたしの両手を握りました。
そして、ほとんど音楽を無視して、激しく踊り出したのです。
こ、これは大変ですね……!
付いて行くのに必死です……!
なんとか一葉ちゃんのペースに合わせて、踊りが破綻しないように頑張りました。
そのとき、一葉ちゃんの明るい声が耳朶を打ったのです。
「あはは! 楽しいね、夜宵ちゃん!」
「そ、そうですね……!」
「あれ? そうでもない?」
「そ、そんなことないです……!」
「うぅん、やっぱり無理してるよ。 ちょっとペース落とすね」
そう言った一葉ちゃんは、宣言通りにステップを緩やかにしてくれました。
正直、助かりました……。
胸中で安堵していると、困ったように笑った一葉ちゃんが、言い聞かせるように言葉を紡ぎました。
「夜宵ちゃん、遠慮しなくて良いんだよ? 無理なときは無理って言って良いし、しんどいときはしんどいって言ってね? それが、友だちってもんでしょ?」
「一葉ちゃん……」
「あたしは、夜宵ちゃんに負担を掛けてまで、わがままを突き通すつもりなんてないの。 だから、これからはもっと、本当の気持ちを聞かせて欲しいな」
「……わかりました、すみません」
「謝らなくて良いんだよ。 あたしは、夜宵ちゃんのそう言う優しいところも、大好きだから!」
「あ、有難うございます……」
「あはは! 顔、真っ赤だよ! じゃあ、続けよっか!」
「は、はい、よろしくお願いします」
ニコリと笑った一葉ちゃんと、当初のペースから落としつつも、楽しく踊りました。
光凜さんから猪娘と評されるように、彼女は物事に一直線なところがありますけど、決して考えなしではないです。
こうして、わたしに配慮してくれたことからも、それは明らかでしょう。
余裕が生まれたわたしは一葉ちゃんと笑顔を交換し、やがて音楽が止まりました。
同時にわたしも立ち止まり、名残惜しそうにしている一葉ちゃんの頭を撫でて、柔らかな声を掛けます。
「有難うございます。 また機会があれば、踊りましょうね」
「……うん! 今日は有難う! またね!」
一葉ちゃんは何かを言いたそうでしたが、最終的には走り去りました。
こちらを向いて手を振っており、転ばないか心配になりましたけど、彼女に限っては余計なお世話だと思います。
そして、次にやって来たのは彼女でした。
「よ、よろしく頼む」
頬を朱に染めて、目を逸らしたまま手を差し出して来た天羽さん。
いつもの威厳溢れる姿からは考えられないほど、挙動不審ですね……。
ただ、体調が悪いと言う訳ではなさそうですし、今度はわたしがリードする番です。
天羽さんの手を握ると、彼女はビクリと震えましたが、気付かぬふりをして告げました。
「よろしくお願いします。 短い時間ですけど、楽しみましょうね」
「……! あ、あぁ、そうだな」
なるべく優しく微笑むと、天羽さんはより一層、顔を赤くしていました。
ですが、調子自体は取り戻しつつあり、しっかりとこちらを見据えています。
そのことに満足したわたしは、再び流れ出した音楽に合わせて、足を踏み出しました。
押しては引き、引いては押しの繰り返しです。
光凜さんのときとも、一葉ちゃんのときとも違う、単調な動き。
だからこそ、ゆったりとした時間を堪能出来て、これはこれで良いと思いました。
天羽さんもこちらをジッと見つめたまま、大人しく合わせてくれています。
非常に穏やかな気分になっていると、天羽さんが何やら口を開こうとしては閉じる動作を繰り返していました。
何なんでしょう?
踊りながら小首を傾げたわたしは、単刀直入に尋ねました。
「何か気になることでもありましたか?」
「い、いや、大したことではない! ……ただ……」
「ただ?」
「……いや、やはり何でもない。 それより、言魂祭は楽しかったか?」
「はい、とても楽しかったです。 来年も是非、参加したいですね」
「それはもしや……一色と一緒だったからか?」
「え……!? い、いえ、そう言う訳では……ないとも言い切れませんけど……」
途端に恥ずかしくなったわたしは、踊り続けながら俯いてしまいました。
実際、1人で回るのと一色くんと一緒では、全然楽しさが違ったと思います。
で、ですがそれは、一色くんに限らないと言いますか……。
内心でブツブツと呟いていると、小さく嘆息した天羽さんがポツリと声を落としました。
「やはり、性別の差は大きいか……」
「え? 何か言いましたか?」
「気にするな。 そろそろ、終わりが近いな。 無明との時間は、一瞬に等しい」
少し寂しそうに笑った天羽さん。
それを見たわたしは、何故だか放っておくことが出来ませんでした。
「たとえそうだとしても、積み重なれば長くなりますよ」
「何……?」
「わたしたちの関係は、まだ始まったばかりです。 一瞬と思える時間を、これからたくさん過ごしましょう」
「無明……。 あぁ、そうだな。 わたしたちの関係は、これからだ」
今度は、何やら燃えていますね。
沈んでいるよりは良いんですけど、情緒は大丈夫でしょうか……?
そうして踊り終えたわたしたちは別れ、最後の1人がやって来ました。
「待ちくたびれました」
「えぇと……お待たせしました」
表情に変化はありませんが、夢愛さんの声は刺々しいです。
わたしのせいじゃないと思うんですけど……。
とは言え、待たせたのは事実です。
苦笑を浮かべたわたしは、黙って手を差し出しました。
それを受けた夢愛さんは、すぐに手を重ねました。
彼女は冷たい印象が強いですけど、とても温かな手をしています。
自然と頬が綻んで、音楽の流れに乗って踊り始めました。
光凜さんのような艶やかさとも、一葉ちゃんのような活発さとも、天羽さんの穏やかさとも違う、丁寧で几帳面なリズム。
だからと言って硬さはなく、柔らかくスムーズです。
まさしく、夢愛さんらしいですね。
目を真っ直ぐに見つめられるのは、少しばかり照れそうになりましたけど、だからと言って逸らしはしません。
この場には2人しかいないように錯覚しそうなほど、独特な空気が辺りに満ちていると、唐突に夢愛さんが口を開きました。
「少し、安心しました」
「安心? 何に対してですか?」
「貴女ですよ、夜宵さん」
「わたし……?」
「はい。 『無字姫』と呼ばれていた貴女が、学院でどのような扱いを受けているか。 領で別れてから、ずっと気になっていましたから」
「……! 夢愛さん……」
感情を窺わせない彼女の顔は、ともすれば鉄仮面と評する人もいるかもしれません。
ですが、その奥には紛れもなく、優しい心が宿っているのです。
胸が熱くなったわたしは数瞬瞑目し、微笑みながら告げました。
「ご心配をお掛けしました。 でも、平気ですよ。 最初はともかく、今は生徒たちも先生たちも街の人々も、普通に接してくれています。 何より、わたしにはたくさんのお友だちがいますから」
「……それなら良いのですが。 もし、難癖を付けて来るような者が現れたら、いつでも言って下さい。 黒咲家の名に懸けて、処分します」
「そ、そこまでしなくて大丈夫ですよ。 それに、何でもかんでも頼るのは良くありません。 勿論、頼りにはしていますけど、自分で対処出来ることは自分でします」
「わたしとしては、もっと頼って欲しいのですが」
「それだと、わたしが成長出来ません。 頼るのと甘えるのは、違うんですよ」
苦笑したわたしが宥めるように言うと、夢愛さんはしばし黙ってから答えを出しました。
「わかりました、ひとまず受け入れましょう。 ただし、約束して下さい。 絶対に、1人で抱え込まないと」
「はい、約束します。 わたしの手に余るようなことがあれば、遠慮なく話しますね」
「結構です。 80点あげましょう」
「あ、有難うございます……?」
満足そうに採点してくれた夢愛さんに、わたしは曖昧に返すことしか出来ませんでした。
それでも彼女は文句を言うことなく、音楽の終了とともに一礼して、帰って行きました。
マイペースなのも、相変わらずですね……。
何とも微妙な感情を抱いたわたしは、反射的に周囲を見渡しました。
やっぱり、いませんね……。
誰がとは言いませんけど……。
僅かに残念に思いつつ、訓練場を出て寮への道を歩きました。
すっかり夜になっていて、上を見上げれば星の海が広がっています。
綺麗ですね。
お祭りのあとなので、物悲しさもありますが。
歩みを進める度に訓練場が遠退き、音楽も小さくなって行きます。
いよいよ、言魂祭の終わりを実感していた、そのとき――
「やっと帰って来たか」
「……ッ!?」
物陰から声を掛けられて、跳び上がりそうなほど驚きました。
すぐに誰かはわかりましたけど、若干の非難を込めて言い返します。
「お、驚かせないで下さい。 一色くんこそ、先に帰ったんじゃないんですか?」
言わなくてもわかったかもですが、暗がりから出て来たのは一色くんです。
口を尖らせたわたしの文句を受けても、彼は一切動じることなくのたまいました。
「自室に戻るまでが、言魂祭だ」
「はい……?」
「今日は、俺がお前に付いている約束だっただろう」
「えぇと……。 だから、待っていたってことですか……?」
「そうだ」
「……訓練場に残っていれば良かったのでは?」
「俺がいたら、天羽たちの邪魔になるだろう。 違うか?」
「そんなことは……」
あるかもしれません……。
言葉に詰まったわたしは、無意識に認めてしまいました。
本当なら、一色くんも混ざって欲しかったところですが、もう遅いですね……。
落ち込んだわたしは、大人しく帰ろうとして――手を掴まれました。
あらん限りに目を見開いて、目の前に立った一色くんを振り仰ぐと、彼は平然と言い放ったのです。
「ついでだ。 1曲、頼む」
「い、良いんですか……?」
「俺から誘っているんだ。 良いに決まっているだろう」
「あ、有難うございます……」
「礼はいらない」
つっけんどんな物言いながら、優しく手を握ってくれた一色くん。
彼の手をおっかなびっくり握り返したわたしは、遠くから聞こえる音楽に合わせて、ぎこちなく足を動かしました。
どうしても、天羽さんたちのときとは違い、緊張してしまいます。
それでも、にやけてしまいそうなほど、多幸感が湧いて来ました。
上気した顔を上げて一色くんを見ると、彼は何の気負いもなさそうでした。
そのことがなんとなく悔しいですが、それ以上に気になることがあります。
今日ずっと聞きたくて聞けなかった質問を、わたしは勢いに任せてぶつけてみました。
「い、一色くん」
「何だ?」
「今日は……楽しかったですか?」
わたしとしては、思い切った問いです。
何せ、彼は見た目にはわかり難いので……。
緊張に顔が強張るのを自覚しつつ、返事を待っていると、一色くんは間を置かずに口を開きました。
「楽しかった」
「……! ほ、本当ですか?」
「嘘をついてどうする」
「そ、そうですよね……」
「お前は?」
「わ、わたしも……凄く楽しかったです」
「そうか」
それっきり、わたしたちの間に沈黙が落ちました。
ですが、心地良いです。
言葉にせずとも、彼との確かな繋がりを感じることが出来ました。
わたしの抱いている感情は……まだ、言語化出来ません。
それでも、大切なものだと思えました。
いつの間にか曲は止まっていましたけど、わたしは彼の手を離しませんでした。
こうして言魂祭は幕を閉じ――不穏の影は、確実に迫っていたのです。




