第27話 名前で
黒咲さんと一緒にヴィジルを倒して、3日が経ちます。
その間は、これと言って何も起こっていません。
ヴィジルを倒したことで不眠結界も解かれており、皆さん普通に眠ることが出来るようになりました。
それ自体は喜ばしいのですが、黒咲さんの子守歌が聞けなくなったことに関しては、残念そうな声も多かったですね。
気持ちはわかります。
任務を果たした以上、わたしがここに留まる理由はないかと言えば、そうとも言い切れません。
何故なら、黒咲さんの容体が万全ではないからです。
やはり3つの感覚を狂わせるのは、かなりの負担だったらしく、安静にする必要がありました。
とは言え、深刻な訳でもありません。
無理をしなければ、すぐに良くなるとのことです。
まぁ、本人が言っていたので、強がっている可能性も捨て切れませんが……。
ちなみに、不知火さんたちも無事です。
合流したときはかなり消耗していましたが、無傷で強化ワーウルフを倒し切ったようでした。
やっぱり、『参言衆』の名は伊達じゃないですね。
わたしに背負われた黒咲さんを見て、かなり焦っていましたけど。
何はともあれ、今は落ち着きを取り戻して、念の為に警戒を続けている段階です。
ただ、先にも言ったように何事もないので、正直なところ時間を持て余していました。
【刻言筆】に磨きを掛けたり、不知火さんたちと訓練はしていましたが。
そこでわたしは、黒咲さんの代わりに事務処理をすることを申し出たんです。
彼女は常日頃から忙しくしていたので、休養を取る良い機会だと思いました。
ところが――
「無明さん、ここの数字が間違っています。 減点ですね」
「あ……。 ご、ごめんなさい……」
「今日はこれで、3つ目のミスです。 少し気を抜き過ぎではないですか?」
「うぅ……」
「嘆いている暇があるなら、改善して下さい」
「わ、わかりました……」
と言うように、ビシバシと容赦なく指摘する黒咲さん。
わたしが作成した資料は全て、最終的に黒咲さんがチェックするんですけど、毎回緊張します……。
いえ、ミスをするわたしが悪いんですよ?
それにしても、もう少し言い方があるように思うのですが……あ、甘えたらいけませんよね。
気を取り直したわたしが、すごすごと執務机に戻ると、ヒソヒソとした声が聞こえて来ました。
「夢愛様、よっぽど不満なんだろうね。 かなりピリピリしてるよ」
「だな、結衣。 まぁ、どちらかと言うと、未だに満足に動けない自分に腹を立ててる感じだけどな」
「夢愛様は、責任感が強いから……。 今まで、他人に仕事を任せたことなんて、なかっただろうし」
「ひよりちゃんの言う通りだね。 逆に言えば、後輩ちゃんをそれだけ信用してるってことかな?」
「それにしては、当たりが厳し過ぎないかしら?」
「うーむ。 愛情の裏返しってやつか?」
「あはは、そうかも! 夢愛様は、後輩ちゃんを相当気に入ってるんだね!」
などと、好き勝手に言っている不知火さんたち。
彼らもお手伝いしてくれているんですけど、あくまでも資料整理などのみで、黒咲さんのチェックが必要ない仕事です。
どうやら、意図的にその手の仕事を選んでいるらしく、なるべく怒られないようにしているんでしょう。
ズルいですね……。
少しだけ拗ねたわたしですが、大人しく仕事を再開しました。
えぇと……こことここの数を足して……この差額を計上して……それから……。
1つ1つ丁寧に確認しながら、資料に記入して行きます。
急いでミスをするより、ゆっくりでも正確な方が良いですからね。
そうしてわたしが、悪戦苦闘しながらも仕事をしていると、鐘の音が鳴り響きました。
あ、もうそんな時間ですか。
お昼を食べないとですけど、これだけ終わらせて――
「そこまでです」
ピシャリと。
いつの間にか近くに立っていた黒咲さんが、資料の上に手を置きました。
突然のことにわたしは驚き、ポカンとしてしまいました。
しかし、黒咲さんは気にした素振りもなく、淡々と言い放ちます。
「休憩時間に業務を行うことは、禁止したはずです。 約束は守って下さい」
「で、ですが、少し中途半端ですし……」
「却下です。 どこまで終わったか忘れないように付箋を貼っておけば、問題ありません。 最悪、わたしが後ほどチェックします」
「……わかりました」
「結構です。 では、食事に行きましょう。 いつもの蕎麦屋で良いですか?」
「は、はい」
わたしの返事を聞いた黒咲さんは、スタスタと歩み出しました。
そこに弱々しさはなく、もうほとんど全快に近そうです。
不知火さんたちは別で食べるようで、今日は黒咲さんと2人になりました。
彼女の少し後ろを歩きながら、街並みを見渡します。
今日も賑やかで、いろんなお店が商売に精を出していました。
わたしも、この平和を守った一員であることを思うと、誇らしくなりますね……。
言魂学院に来るまでは、『無字姫』として揶揄され続けていたことを思えば、信じ難い変化だと言えます。
母上は、こうなることがわかっていたんでしょうか……。
真相は不明ですけど、これからも頑張ろうと、改めて思いました。
そのとき――
「無明さん」
前を歩く黒咲さんが、顔を正面に向けたまま、平坦な声を掛けて来ました。
それを受けたわたしは、一瞬反応が遅れましたけど、すぐに返事をしました。
「はい、何でしょうか?」
「貴女は、いつまでここに残る予定ですか?」
「そうですね……。 報告もしないとですし、黒咲さんが元気になったら、首都に戻ろうかと思っています」
「なるほど」
それっきり、口を閉ざした黒咲さん。
どうしたんでしょう?
不思議に思ったわたしが小首を傾げていると、彼女は珍しく少し言い難そうに言葉を連ねました。
「正直に言いましょう。 わたしは当初、貴女を信用していませんでした」
「え……?」
「実績と実力は認めていました。 ただ、人として信じるに値するか、測りかねていたのです」
「……そうなんですね」
「はい。 ですが……」
そこで言葉を切った黒咲さんは足を止め、体ごと振り向きました。
その顔にはいつもの無表情が張り付いていますが、僅かに頬が朱に染まっています。
つられて立ち止まったわたしは緊張し、何を言われるかと身構えていましたが――
「ともに過ごすうちに、それが杞憂だったと思い知りました。 貴女の人間性は、素晴らしいです」
「え……。 あ、有難うございます……」
「わたしは事実を述べているだけで、礼を言われることではありません」
「そ、そうですか……。 すみません……」
「謝罪もいりません」
「うぅ……」
褒められているのか責められているのか、良くわからなくなったわたしは、縮こまってしまいました。
対する黒咲さんは平然としていましたけど、突如として目を泳がせ始めました。
こんな黒咲さんは、初めて見ましたね。
何事でしょう……?
疑問を通り越して心配になったわたしが様子を窺っていると、彼女は視線を逸らしながら、消え入りそうな声で呟きました。
「もし良ければ……1つ、お願いを聞いてもらえませんか?」
「お願い、ですか……?」
「はい。 無理にとは言いませんが……」
「い、いえ。 わたしに出来ることなら、遠慮なく言って下さい」
「そうですか。 では……」
やや躊躇いがちの黒咲さんは、小さく息をつきました。
そして、次のようなことを言いだしたのです。
「わたしのことは……名前で呼んでくれませんか?」
「へ……?」
「……何でもありません。 忘れて下さい」
「ま、待って下さい。 名前で呼べば良いんですね?」
「……はい」
「わ、わかりました。 えぇと……ゆ、夢愛さん……」
「……有難うございます。 さぁ、休憩時間が終わる前に、昼食を食べましょう。 行きますよ」
一息で言い切った黒咲さん……ではなく夢愛さんが、クルリと反転して、返事も聞かずに歩き出しました。
そんな彼女に苦笑したわたしは、あとに付いて行きつつ、こちらからも要求してみます。
「夢愛さん、良ければわたしも名前で呼んでもらえませんか?」
「……良いでしょう」
「有難うございます。 近いうちに黒咲領を発つとは思いますけど……改めてよろしくお願いしますね」
「大丈夫です。 後始末が終われば、わたしたちも首都に向かいますから。 またすぐに会えますよ」
「あ、そうなんですね。 それを聞いて安心しました。 学院で一緒に過ごすのも、楽しみです」
「……わたしもです」
最後の一言は極めて小さな声でしたが、わたしは聞き逃しませんでした。
こうして夢愛さんと仲を深め、再会の約束を交わし、わたしは首都へと旅立ちました。




