第26話 目覚め
黒咲さんとヴィジルの戦いは、苛烈を極めました。
度重なる覚醒を自身に施したヴィジルによる、荒々しい体術。
その全てが一撃必殺で、ともすれば一葉ちゃんに匹敵する……いえ、もしかしたら今に限れば、単純な威力は上回っているかもしれません。
対する黒咲さんは【夢幻泡影】を駆使して、なんとか対抗しています。
影による拘束や攻撃は勿論ですが、五感を狂わせることによる自爆も、狙っているようでした。
ところが――
「無駄だ! 俺に、それは効かないぞ!」
ヴィジルは、苦にしていませんでした。
影の拘束は一瞬で引き千切り、棘は大したダメージを与えられません。
五感操作に関しても、あまり有効とは言えなさそうです。
それでも被弾を避けている黒咲さんは凄いですけど、このままでは捕まるのも時間の問題に思えました。
怖いです。
黒咲さんが死んでしまうのが、怖いです。
『肆言姫』を圧倒する『十魔天』が、怖いです。
恐怖に支配されたわたしは、相変わらず震えることしか出来ませんでした。
この恐怖がヴィジルの仕業だと言うことは、わかっています。
しかし、実際に体感していることに、違いはありません。
いくら振り払おうとしても、なくなってくれませんでした。
そうしてわたしが、何も出来ずに地面に座り込んでいると、ヴィジルが黒咲さんに蹴りを繰り出しました。
体勢を崩していた彼女には避けられそうになく、血の気が引きます。
危ない……!
そう思いつつ、口は動いてくれません。
ですが、黒咲さんは落ち着いており、影の糸を木に巻き付けて引っ張ることで、強引にその場を脱しました。
その直後、ヴィジルの蹴りが大木を蹴り抜いて、森に振動が伝わります。
怖いです……。
今のは、なんとかなりましたけど、やっぱり黒咲さんが不利なのは間違いありません。
より一層、震えが激しくなったわたしを一瞥したヴィジルは、嘲笑を浮かべて黒咲さんに言い放ちました。
「頑張っているが、そろそろ限界だろう? お前の能力についても、大体わかったしな」
「ふむ、興味深いですね。 参考までに聞かせてもらえますか?」
「くく、強がりもそこまで行くと、滑稽だな。 まぁ良い、教えてやるよ。 お前の、五感を狂わせる能力。 あれは最大、2つにまでしか作用出来ないんだろう?」
「……」
「ははは! 図星のようだな? つまり、お前がいくら俺の感覚を狂わそうとしても、覚醒させた触覚か視覚か聴覚のうち1つは無事と言うことだ。 なら、そこに注意していれば、俺が制御を失敗することはあり得ない!」
「……随分と楽しそうですが、勝ち誇るには早いですよ」
「いやはや、頑固だな。 なら、もっと言ってやろうか? お前は俺の【アウェイク・サージ】による恐怖覚醒に対抗する為に、自分に対しても【夢幻泡影】を使っている。 その状態では、戦闘に割くリソースが足りないだろう? 影の拘束や攻撃が弱体化しているのが、良い証拠だ」
「なるほど。 脳筋かと思っていましたが、人並みに洞察力も持ち合わせているようですね」
「ここに来て挑発か! その姿勢は嫌いじゃないが、自分の寿命を縮めるだけだぞ?」
大仰に手を広げて朗々と語るヴィジルに、黒咲さんは表情を硬くしています。
今の話が本当なら、黒咲さんに勝ち目はないのでは……。
やはり、『十魔天』は恐ろしいです。
最初から、勝てる相手ではなかったんです。
今からでも、逃げるべきではないでしょうか?
完全に戦意を失っているわたしは、本気でそう考えていましたが――
「無明さん」
黒咲さんの声を聞いて、ハッとしました。
そうでした。
わたしは、彼女を信じると決めたんです。
怖くても、逃げたくても……せめて、最後まで見届けましょう。
口を引き結んで耐えたわたしが黒咲さんを見つめると、彼女はこちらを見て小さく頷きました。
そしてヴィジルに向き直ると、影の糸を両手に這わせました。
そんな黒咲さんを、ヴィジルはニヤニヤ笑って眺めていましたが、彼女は構わず言い放ちます。
「いろいろと喋ってくれて、有難うございます。 お陰で、この戦いに勝つことが出来そうです」
「ほう? この状況から、逆転する秘策でもあるのか?」
「さぁ? あるかもしれませんし、ないかもしれませんし、実はもう発動しているかもしれません」
「はは! 面白い奴だな、黒咲夢愛。 だが、もう腹いっぱいだ。 いい加減に、終わらせてやるよ!」
宣言したヴィジルの魔力と筋力が一段階覚醒され、感覚が研ぎ澄まされたのを感じました。
これが正真正銘、彼の本気かもしれません。
どうしても恐怖心が湧いて来ましたが、わたしは目を逸らしませんでした。
一方の黒咲さんは影の糸を自在に操り、前置きなくヴィジルに仕掛けました。
真上から襲い掛かる5本の糸は、生身で受ければバラバラになる威力です。
ところがヴィジルは、横に跳ぶことで余裕を持って躱し、上機嫌に告げました。
「そんなものが当たるか! 今の俺は、単純な身体能力の上昇だけではなく、感覚が極限まで鋭敏になっている! ちょっとした空気の揺れや、砂埃の1粒1粒まで、鮮明に察知出来るんだ!」
「能力の開示、有難うございます」
「は! 減らず口が! いつまでもつだろうな!?」
そう言ってヴィジルは、森の中を縦横無尽に駆け回り始めました。
とんでもないスピードです。
しかも、理性を失っているように見えて、かなり計算された動きでした。
黒咲さんは追い掛けるのは難しいと判断したのか、立ち止まって迎撃態勢を取っています。
次の瞬間には決着が付きそうで、心臓が激しく脈打つのを感じました。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
黒咲さんに、死んで欲しくないです。
ですが、出来ることなどありません……。
絶望に暮れたわたしは、俯いてしまいそうになりました――が――
「無明さんは、どんな人が強いと思いますか?」
唐突に、そんな問いが聞こえて来ました。
顔を振り上げたわたしの目に飛び込んで来たのは、尚も攻撃に備え続ける黒咲さん。
答えに窮していると、彼女は言葉を付け足しました。
「言っておきますが、わたしだって凄く怖いです。 【夢幻泡影】で抑え込んでいても、それは同じです。 ただ、だからと言って動けなくなるほど、弱くはありません」
「黒咲さん……」
「無明さん、恐怖心を抑え込む必要はありません。 その上で、戦って下さい。 わたしは、それが出来る人こそが、真の強者だと考えています。 そして、貴女になら成し遂げられると、信じています」
「わたしを、信じている……」
「どうしても難しいなら、そうですね……無明さんが最も強いと思う人を、想像してみて下さい。 その人ならどうするか、参考にしてみると良いかもしれません」
黒咲さんの言葉を受けたわたしは、無意識のうちに髪飾りに触れていました。
わたしが、最も強いと思う人は誰か。
そんなの、決まっています。
彼に追い付く為に、これまで訓練を続けて、この先もそのつもりでした。
彼なら……一色くんならどうするか……。
少なくとも、こんなに無様な姿は見せないでしょうね。
一色くんが恐怖に震えている姿など、想像することすら出来ません。
しかし、彼だって全く恐怖心を抱かないなんてことは、ないと思います。
それでも、一切表面には出さずに戦い抜く……そんな気がしました。
思わず苦笑を浮かべたわたしは、髪飾りに触れていた手を胸元に移し、静かに呼吸を整えます。
今も恐怖心は、際限なくあふれ出て来ていました。
ただ……ほんの少しだけ、体に力が戻ったのを感じます。
そうしてわたしが深呼吸を繰り返していると、黒咲さんは微笑み――
「戯言は終わったか!?」
彼女の背後に現れたヴィジルが、剛拳を放ちました。
黒咲さんは回避が間に合わず、ヴィジルの拳が頭部に吸い込まれ――
「戯言ではありませんが、伝えたいことは伝えられました」
「な!?」
影の糸が、腕を絡め取りました。
そのことに驚いたヴィジルは、裂けんばかりに目を見開いています。
それも致し方ないかもしれません。
先ほどまで簡単に引き千切れていた糸が、ビクともしないのですから。
わたしも最初は絡繰りがわかりませんでしたが、すぐに理由が判明しました。
「はぁ……! はぁ……!」
額にびっしりと汗をかいて、歯を食い縛る黒咲さん。
いつもの涼し気な顔ではなく、必死そのものです。
その姿を見たわたしは、彼女が自分への【夢幻泡影】を解いて、恐怖を受け入れたことを察しました。
そして、生まれた余力を攻撃に回したことで、今の状況に落ち着いたのでしょう。
凄まじい覚悟だと言えますが、これでもまだ互角。
ヴィジルも同じ答えに行き付いたらしく、狂笑を浮かべて言葉を連ねました。
「くくく! 無茶をしたな、黒咲夢愛! いくらお前でも、その状態では長く戦えんぞ!」
「そうかも……しれません。 ですが、その必要は……ないです」
「何だと?」
「いろいろ教えてくれた貴方に……わたしからも、いくつか教えてあげましょう。 まず、【夢幻泡影】の力は、相手との距離が近いほど……効果を増します」
「ふん! それがどうした? どっちにしろ、お前が狂わせられるのは、2つが限界……」
そこまで言って、ヴィジルは気付いたようです。
自分の体が、小刻みに震えていることに。
それが何を意味するのか、わたしが考えていると――
「がはッ!?」
盛大に吐血するヴィジル。
恐らく【アウェイク・サージ】の、限界を超えたのでしょう。
そこまではわたしにもわかりましたが、何故そのようなことが起こったのか不明です。
ヴィジルが制御を間違えたとは考え難いですし、彼は2つの感覚を狂わされても、残り1つから判断出来ると言っていました。
などと疑問に思っていた、わたしの視界に映ったのは――口の端から血を流す黒咲さん。
顔面蒼白となっており、立っているのも辛そうです。
まさか……。
驚愕に目を見開いたわたしは、声を上げそうになりましたが、その前にヴィジルが叫びました。
「ぐッ! 黒咲夢愛、お前……! まさか、3つ可能だったのか!?」
「えぇ、まぁ。 御覧の通り、反動は大きいですが。 通常は貴方の言っていた通り、2つの感覚を狂わせるのが精一杯です」
「ごふッ! く、くそッ……! だが、残念だったな! 今の俺でも、お前にトドメを刺すくらいは出来る! 『核』を奪う余裕はないが、仕切り直させてもらうぞ!」
能力の限界を超えたからか、筋肉が破裂しそうなほど脈打っていますが、ヴィジルは拳を振り上げました。
それを見ても黒咲さんは動かない……いえ、動けないようです。
きっと、彼女にとっても最後の賭けだったのでしょう。
ですが、黒咲さんなら、この結末は予測出来ていたはず。
なら、最初から負けるつもりだったんでしょうか?
そんな訳がありません。
だとすれば、ここから何かが起きるんでしょうか?
……違いますね。
起こすのは……わたしです。
黒咲さんは、わたしに賭けたんです。
わたしが恐怖に負けないと、信じてくれたんです。
そう思った瞬間、ほんの微かな勇気が湧いて来ました。
とは言え、このままではすぐに消えてしまうでしょう。
ですが――
「こ……【刻言筆】、一ノ蔵……【目覚め】……!」
震える手で『葬命』を握ったわたしは、無理やりに口を動かしました。
【刻言筆】。
【一筆魂書】を元にした、新技法です。
効果は、事前に媒介となるものに筆で刻んだ文字の力を、言魂として発動出来ると言うもの。
いろいろと制約はありますが……今はそんな場合じゃありません。
今回、『葬命』に刻んでいた文字は、【目覚め】の三文字。
不眠結界を使って来る敵が相手だと言うことで、もしかしたら睡眠系の攻撃もして来るかもしれないと読んだのですが……その予測は見事に外れました。
しかし、結果的には最適な言魂を選んだと言えます。
『葬命』を伝って体に言魂が宿ったのを感じたわたしは、言うことの聞かない指を懸命に動かして、宙に【目覚め】と書きました。
そうしてわたしが目覚めさせたのは――勇気。
ヴィジルが心の底の恐怖を覚醒させたのに対抗して、わたしは勇気を目覚めさせました。
すると、それまで震えていた体に自由が戻って――
「はぁッ!」
ありったけの魂力を足裏から噴出させた、全身全霊の踏み込み。
今まさに拳を撃ち出そうとしていたヴィジルが、驚愕の表情でこちらを向き――首を斬り落としました。
残った体もろとも塵となり、風に攫われて行きます。
や、やりました……。
疲れ果てたわたしは、その場にへたり込みそうになりましたが、それどころじゃないです。
傍に立っていた黒咲さんがよろめくのを見て、慌てて支えました。
黒咲さんに無理を強いたことを悔やんだわたしは、涙が溢れそうになりましたが、その前に彼女が口を開きました。
「良くやりました、無明さん。 満点です」
「……! ですが、わたしは……」
「以前にも言いましたが、わたしはお世辞を言いません。 今回の貴女の働きは、素晴らしかったです。 胸を張って下さい」
「……はい、有難うございます」
「最後の攻防に関しては聞きたいこともありますが……取り敢えず、不問としましょう」
「た、助かります」
【刻言筆】の話をするとなると、【一筆魂書】にも触れなければなりませんからね……。
そんなわたしの懸念に気付いたのか気付いていないのか、黒咲さんは大きく息を吐き出して言葉を紡ぎました。
「流石に、少し疲れました。 領に戻って、ゆっくり休みましょう。 不知火くんたちの様子も、気になりますから」
「そ、そうですね。 でしたら、わたしが黒咲さんを背負って帰ります」
「いえ、自分で歩けます」
「駄目です。 散々無理をしたんですから、言うことを聞いて下さい」
「ですが……」
「良いから、乗って下さい」
問答無用で黒咲さんに背を向けてしゃがみ込むと、彼女はしばし躊躇してから、諦めたように乗ってくれました。
凄く軽いですね……。
ですが、彼女が抱えているものは、途轍もなく重いです。
今後も仲間として、少しでも力になりたいと思いました。
内心で誓いを立てたわたしは、背中の黒咲さんに向かって声を投げました。
「では、行きますね」
「はい……」
返って来た声は、非常に小さかったです。
もしかして……恥ずかしがっているんでしょうか?
だとしたら、凄く可愛らしいと思いますけど、指摘したら怒られそうですね……。
この想いは、内緒にしましょう、そうしましょう。
などと考えながら歩みを進めていると、穏やかな寝息が聞こえて来ました。
よほど疲れていたんでしょうね。
それはわたしも同じですけど、責任を持って領まで送り届けましょう。
こうして此度の戦いは、終わりを迎えました。
尚、領に着いて暫くしてから目を覚ました黒咲さんは、珍しく大いに取り乱していました。




