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言魂学院の無字姫と一文字使い ~ 綴りましょう、わたしだけの言葉を ~  作者: YY
第2章

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第23話 信じて下さい

 森の中で鳴り響く、風切り音と轟音。

 黒咲さんの糸が宙を裂き、ヴィジルに迫ります。

 対するヴィジルはそれをガードして、前に出ると同時に、黒咲さんに剛拳を繰り出していました。

 その威力は凄まじく、回避した黒咲さんの背後にあった大木を、小枝のようにへし折っています。

 当たれば体に、穴が開きそうですね……。

 背筋が寒くなるほどですが、黒咲さんの表情には変化がありません。

 それが強がりなのか本当に何も感じていないのか、わたしには判断出来ませんでした。

 ただ、やるべきことはわかっています。

 黒咲さんを狙って拳を振り切った体勢のヴィジルに、背後から斬り掛かりました。

 足裏と峰から魂力を噴出させる、超速の踏み込みと加速する斬撃。

 覚醒状態のヴィジルですら完全には対処出来ず、身を捻って躱そうとしたところを、肩口から腰に掛けて袈裟斬りにします。

 血飛沫が舞い、確かな手応えがありましたが、彼は獰猛な笑みを浮かべて前蹴りを放ちました。

 避けるのは難しいと結論付けつつも、わたしは焦ることなく『葬命』を納刀して腰溜めに構えます。

 その行動が意外だったのか、ヴィジルの目が僅かに見開かれ――


「させません」

「……ッ! うざったいね!」


 ヴィジルが伸ばそうとした脚を、黒咲さんの糸が絡め取りました。

 それによって動きが止まり、この展開を予測していたわたしは、全力で踏み込みながら抜刀します。

 逆袈裟に振り上げられた刃は、ヴィジルの左腕を捉え、斬り落としました。

 ドサッと、重いものが地面に落ちる音が聞こえ、傷口から鮮血が溢れ出します。

 流石のヴィジルも痛みに顔を顰めていましたが、反対の手で傷口を押さえつつ、黒咲さんの糸から脱出していました。

 行けます……。

 これは油断ではなく、客観的な事実としてそう感じました。

 1対1ならどうかわかりませんけど、黒咲さんと一緒なら大丈夫でしょう。

 ただし……これがヴィジルの本気ならです。

 納刀しながら黒咲さんの横顔を窺うと、彼女も同じ懸念を抱いているのか、険しい面持ちになっていました。

 対するヴィジルは顔中に汗を浮かべながら、歪な笑みで口を開きます。


「やってくれたね、無明夜宵! こんなに痛いのは、久しぶりだよ!」

「そうですか。 でしたら、首を差し出して下さい。 そうすれば、楽になりますよ」

「言うね、黒咲夢愛! でも、ちょっと気が早いんじゃないかな? まだまだ、始まったばかりだろう?」

「左腕を失って、わたしたちに勝てると思っているんですか? 黒咲さんの言う通り、降参するなら今のうちです」

「『十魔天』を侮ってもらったら困るな、無明夜宵! この程度の傷……どうとでもなるのさ!」


 ヴィジルが叫んだ瞬間、彼の腕が新たに生えました。

 何と言う再生能力でしょう……。

 わたしは警戒の度合いを引き上げていましたが、黒咲さんは平然としていました。


「『十魔天』なら、それくらいはするでしょうね。 ですが、大きく魔力が減っています。 そう何度も、同じ手段が使えるとは思えません」

「憎たらしいほどに、冷静だね! でも、心配はいらないよ! ここから先は、俺のターンなんだから!」


 更なる覚醒を自身に施したのか、ヴィジルの魔力が更に強力になり、体も膨れ上がっています。

 口調も「僕」から「俺」に変わっている辺り、野蛮な雰囲気も増しているような気がしました。

 黒咲さんもそれを察したのか、口を閉ざして攻撃に備えています。

 するとヴィジルはニヤリと笑い――地面が爆発したような勢いで、突撃しました。

 速い……!

 狙いはわたしです……!

 そう思ったときには、既に拳を振り上げており、間髪入れずに叩き付けて来ました。

 しかし、それを予見していた黒咲さんは糸で腕を縛り上げ、わたしに攻撃するチャンスを作り――


「無駄だよッ!」


 強引に腕を振り切ったヴィジルが、糸を引き千切りながら殴り掛かって来ました。

 滅茶苦茶ですね。

 彼女の糸は黒咲家の総力をもって作り上げた、特注品だと聞いていたんですけど。

 などと考えている場合ではありません……!


「ふッ……!」


 カウンターで『葬命』を抜き放ったわたしの一閃と、ヴィジルの拳が衝突します。

 大気が震えるほどの衝撃が走り、地面に両足が沈みました。

 重いです……が、一色くんの一撃に比べれば……!

 歯を食い縛ったわたしは、全力を持って刃を押し込み――急に支えを失いました。

 え?……と思ったのは一瞬で、即座に状況を把握します。

 わざと力を抜いたヴィジルがわたしの体勢を崩し、頭上から踵を落とそうとしていました。

 やられました。

 ずっと力押しで来ていましたが、ヴィジルの体術も決して拙い訳ではなかったようです。

 浅慮だったことを嘆きそうになりましたが、それはあとにしましょう。

 足裏から魂力を放出したわたしは、全力で後退しました。

 その直後、ヴィジルの踵が目の前を通り過ぎ――激震。

 地面がひび割れ、森が大きく震えました。

 なんて威力ですか……。

 背中にびっしりと汗をかきましたけど、それどころではありません。

 笑みを深めたヴィジルが、またしても殴り掛かって来たからです。

 黒咲さんが糸を失い、【夢幻泡影】が通用しない以上、ここはわたしが頑張るしかないですね。

 覚悟を固めたわたしは、ヴィジルと1対1で勝負を決める気でいました――が――


「言ったでしょう。 1人で戦おうとしないで下さいと」


 黒咲さんの静かな声が耳に届き、ヴィジルの動きに変化がありました。

 これは……。

 詳細はわかりませんが、状況を理解したわたしは、臆することなく刃を真一文字に繰り出しました。

 ヴィジルの攻撃に対しては無防備で、本来なら相打ちでしたけど……当たりません。

 拳がわたしの傍を通過し、『葬命』はヴィジルの胴を深く斬り裂きました。

 流石に驚いたのか、ヴィジルは瞠目しつつ跳び退り、黒咲さんを忌々しそうに睨んでいます。

 それでも黒咲さんが萎縮することはなく、軽く受け流していました。

 お見事ですね……。

 わたしは内心で称賛していましたが、ヴィジルからすれば捨て置けない攻防だったでしょう。

 傷付いた胴は早くも回復しつつありますが、それに伴って魔力が減少していました。

 【アウェイク・サージ】で再び強化出来るとしても、黒咲さんの言っていた限界に近付くはずです。

 そのことを自覚しているのか、ヴィジルは吐き捨てるように言い放ちました。


「どうやら、【夢幻泡影】の力は睡眠だけじゃなかったようだな。 真の能力は、五感を狂わせる……と言ったところか?」

「さぁ、何のことでしょうか」

「とぼけるな。 今の俺の攻撃が空振りしたのは、視覚を狂わせたからだろう? いやはや、思ったよりも厄介な能力だ。 ただな……」


 そこで言葉を切ったヴィジルは、爆発的な魔力を練り上げました。

 筋肉も膨張していて、上半身のスーツは弾け飛び、ズボンもパツパツになっています。

 逆立った髪と狂暴そうな面構えは、当初の印象とは掛け離れていました。

 最早別人となったヴィジルと相対したわたしと黒咲さんに、彼は居丈高に宣言したのです。


「俺の【アウェイク・サージ】の前では、無力なんだよ! 何段階にも覚醒させた視覚や聴覚、触覚を狂わせることなんか、不可能だ! 嗅覚と味覚は、戦闘には関係ないしな!」

「いいえ、案外関係あるかもしれませんよ? 特に嗅覚なんて、重要ではないですか?」

「その手には乗らないぞ、黒咲夢愛! 俺がボーダーを超えて強化するのを狙ってるんだろうが、何度も言うようにそこを間違えたりはしない! 諦めて死ね!」


 言い終わる前に、黒咲さんに向かって駆け出すヴィジル。

 覚醒を重ねたことで、血の気も多くなっているのかもしれません。

 途轍もないスピードで、ガイゼルが可愛く思えるくらいでした。

 黒咲さんは微動だにしておらず、一見すると反応出来ていないかのようですが……それは違います。

 わたしの目には、彼女が確かな勝算を持って臨んでいるように、見えていました。


「ワンパターンですね」

「むッ!?」


 ヴィジルの拳が黒咲さんに届く寸前、彼の動きがピタリと止まりました。

 糸が通用するはずないのに何故――と、ヴィジルは思ったかもしれません。

 しかし黒咲さんの【夢幻泡影】には、まだ能力が隠されているんですよ。

 ヴィジルをがんじがらめにしているのは、糸ではなく彼自身の影。

 細い蔓のように変形しており、完璧にヴィジルを拘束しています。

 そのことに気付いたヴィジルは、脱出しようとしたようですが、判断が遅れました。


「死んで下さい」

「ぐはッ!」


 今度は影が棘となり、ヴィジルを滅多刺しにしました。

 【夢幻泡影】は単なる幻惑系の言魂ではなく、確かな殺傷能力を持っていると言うことです。

 そして、この状況を作り出したもう1つの要因は、黒咲さんの分析力。

 ヴィジルの覚醒段階が上がるにつれて、パワーやスピードが一定の割合で上昇することに、彼女も気付いていたんでしょう。

 要するに、どれだけ速くてもタイミングさえ間違わなければ、カウンター出来ると言うこと。

 もっとも、実際はかなり難しかったはずですけど。

 何にせよ、千載一遇のチャンスです。

 全身を貫かれて弱っているヴィジルに、わたしは跳び掛かりました。

 『葬命』を振り被り、あとは首を斬り落とせば――


「目覚めろッ!」


 ヴィジルが叫んだ瞬間、わたしの全身を支配したのは――恐怖。

 怖い。

 物凄く怖いです。

 ヴィジルが怖い、魔族が怖い、戦うのが怖い、ここにいるのが怖い、生きているのが怖い。

 手に力が入らず、震えが止まりません。

 攻撃は不発に終わり――ヴィジルの回し蹴りが、わたしを捉えました。


「かはッ……!」

「無明さん!?」


 黒咲さんの焦った声が耳朶を打ち、地面を滑って止まると、遅れて痛みがやって来ました。

 痛い、怖い、逃げたい、助けて。

 そのような負の感情が溢れ出し、立ち上がる気力すら湧いて来ません。

 そんなわたしの目に飛び込んで来たのは、恐怖の対象であるヴィジル。

 黒咲さんの影から逃れ、至極楽しそうに声を上げました。


「どうだ、無明夜宵? 怖いだろう? それが、お前が心の奥底に封じ込めていたものだ」

「ど、どう言う……ことですか……?」

「くく、声にも力がないな。 まぁ、仕方ないが。 改めて教えてやるが、俺の【アウェイク・サージ】の能力は、覚醒だ。 だが、その対象は自分だけじゃないことを忘れたか?」

「……! なるほど……」

「気付いたか、黒咲夢愛? 俺が覚醒させたのは、恐怖心だ。 こいつを限界まで呼び起こしたことで、もうまともに立つことすら出来ないだろう? ましてや、戦うなんざ絶対無理だ。 本当は黒咲夢愛も同じ目に遭わせるつもりだったんだが……【夢幻泡影】で上手く凌いだみたいだな」


 ヴィジルの言葉の意味を、わたしはあまり理解出来ていませんでした。

 厳密に言うと、そんな余裕はありませんでした。

 とにかく怖くて、自分が何を怖がっているかもわからないことも怖くて、この状態が続けばどうなるかも怖いです。

 何もかもが怖くなったわたしは、地面にへたり込んで両手で自分の体を抱き締め、ガタガタ震えることしか出来ませんでした。

 涙が溢れて止まりません。

 もういっそのこと、早く殺して欲しいとすら考えてしまいました。

 そのとき――


「大丈夫ですよ、無明さん」


 黒咲さんの、優しい声が聞こえて来ました。

 ハッとしたわたしが目を向けると、彼女はいつもの無表情ではなく、柔らかく微笑んでいます。

 より一層衝撃を受けているわたしに構わず、黒咲さんはゆっくりと噛んで含めるかのように、言葉を紡ぎました。


「ヴィジルは、わたしが倒します。 そうすれば、貴女は元に戻れるはずです。 ですから、安心して下さい」

「く、黒咲さん……」

「信じて下さい」

「……わかりました」


 今もわたしの中には恐怖が渦巻いていますが、瞬くほどの微かな光が灯った気がします。

 涙に濡れた瞳で黒咲さんを見つめ、小さく頷きました。

 すると黒咲さんは、一瞬だけ笑みを深め、次いで冷徹な表情をヴィジルに向けました。

 彼はどこか不機嫌そうでしたが、すぐに余裕を取り戻して言い放ちます。


「強がりはよすんだな、黒咲夢愛。 2人掛かりでやっとだったのに、1対1で勝負になると思っているのか?」

「やってみなければ、わかりません」

「は! 計算高いお前のセリフとは、思えないな。 良いだろう。 まずはお前を殺して、絶望の底に沈めた無明夜宵を、連れ帰ってやる」

「わたしがそれを、許すと思いますか? 貴方はここで終わりですよ」

「その虚勢、いつまで続くか見物だな。 今更、命乞いは聞かんぞ!」


 叫喚を上げたヴィジルが、もう1段階覚醒しました。

 これで、【夢幻泡影】の五感操作はますます通じ難くなり、影による攻撃も効かないかもしれません。

 それでも黒咲さんは退くことなく、堂々たる佇まいでヴィジルと向き合い――わたしは、動くことが出来ませんでした。

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