第8話 芽吹く
首都を出て、そろそろ1時間が経とうとしています。
暗闇に包まれた草原を、わたしは走っていました。
首都を出るまでは慎重に行動しましたが、今はなるべく距離を稼ごうとしているんです。
ですが、もう良いかもしれません。
ここまで来れば、人目に付かないでしょう。
これで、誰にも気付かれないと言う指示は、守れたはずです。
そう考えたわたしが速度を落とすと、足元に何かが落ちました。
何でしょう、これ?
紙……いえ、お札……?
こんなものを持って来た覚えはないんですが、紛れ込んでしまったんでしょうか。
調べたところ何の力も持っていなさそうなので、問題にはならなさそうですけど……。
ポイ捨てする訳にも行きませんし、取り敢えず拾っておきましょう。
お札を荷物に仕舞ったわたしは、事前に調べておいた近くの森に足を向けました。
この森には魔物が出現せず、危険度が低いとのことです。
勿論、完全に油断はしませんが、野宿をするにはちょうど良いでしょう。
森の中に入るとより一層暗くなりましたけど、わたしが育った山奥に比べたらどうと言うこともありません。
危なげない足取りで進み、少し開けた場所を見付けました。
ここなら、大丈夫そうですね。
素早く判断を下したわたしは、荷物を降ろして、テントを取り出しました。
1人用なので小さいですが、その代わりにコンパクトに収納出来て、持ち運びには便利です。
組み立ても楽な優れもので、あっと言う間に完成しました。
状態が問題ないことを確認したわたしは、テントに入って寝床の準備をしようとしましたが、全く眠気がないことに気付きました。
いつもとは、完全に違うリズムですからね……。
それでも横になっている方が良いと、冷静な思考は訴えかけていましたが――
「……少しだけ、書きましょうか」
ランプを灯してから、実は持って来ていた書道具を並べて、墨を磨り始めました。
人によっては墨汁を使うんでしょうけど、わたしはこの時間も結構好きなんです。
何と言いますか、心が落ち着く感じがするんですよね。
少しずつ慣れ親しんだ墨の匂いが充満して、薄く笑みを浮かべました。
思えば野宿なんて、山奥から首都に出て来るときにしたのが最後で、かなり久しぶりです。
最近は常に人がいるのが当たり前になっていた為、こうして独りになったことで、無意識に寂しさを感じていたのかもしれません。
そんな自分に苦笑しつつ、わたしは筆を手に持って毛先に触れました。
きちんと整っていて、柔らかい感触がします。
1つ深呼吸したわたしは、筆に墨を付け、半紙に線を引きました。
色鮮やかな絵画も素敵ですけど、白と黒だけで様々なものを表現する書道の方が、個人的には好みなんですよね。
最初に書いた文字は、『達成』。
これは、必ず任務を達成すると言う意思表示です。
続いて書いたのは、『生』。
同じような発想で、自分は勿論、皆さんに生きていて欲しいと言う願望です。
そうして暫くは、頭を整理するかのように文字を綴っていたわたしですが、不意にある言葉が脳裏を過りました。
一瞬だけ手を止めたわたしは筆を走らせ、書いた文字は『刻』。
一色くんから、「紙に文字を刻み込んでいるようだな」などと言われたことを思い出したからですが、妙に気になってしまいました。
恐らく、深い意味はありません。
ただ、この言葉を聞いてから、わたしの中で何かが芽吹きつつあるんです。
「刻み込む……」
ポツリと呟いたわたしは、手に持っていた筆を置いて、懐から別の筆を取り出しました。
【一筆魂書】用として使っている、大切な筆です。
しかし、今のわたしは【一筆魂書】の使用を禁じられています。
だからこそ、地力を上げるべく訓練を続けている訳ですが……本当に、それだけで良いんでしょうか?
この疑問は昨日今日に抱いたものではなく、ずっと気になっていたことです。
そして今、その答えを見付けかけている気がしました。
しばしの間、ジッと筆を見つめていたわたしは、おもむろに半紙に線を引き始めます。
ただし、墨は付けていません。
単に半紙を、なぞっているようなものです。
そのような動作を繰り返しながら、内心で自問自答していました。
通常の言魂士は魂力を使って、その人の言魂を発動します。
【一筆魂書】も原理は同じですが、違うのは言魂をわたしの生命力を消費して創ること。
これに関しては、全くの無から新しい言魂を創って維持するのが、極めて難しいからです。
ですが、もし……もしも、創った言魂を何か別の媒介に保存することが出来れば、わたし自身の負担は大きく軽減出来るのでは……?
その考えに至ったわたしは、筆を止めて魂力を高めました。
そして、高めた魂力を筆先へと集中させます。
「う……くぅ……!」
こ、これは……思っていたよりも厳しいですね。
瞬間的に噴射して加速に使うのとは、比べ物になりません。
額に玉のような汗が浮かび、呼吸も荒くなって来ました。
ですが、諦めません。
必死に制御したわたしは、魂力を込めた筆で半紙に文字を書きました。
選んだ文字は、『火』。
手が震えていて、お世辞にも上手に書けたとは言えませんが、確かな成果が現れます。
疲労困憊のまま、胸の高さに手を挙げたわたしの指先に、小さな火が点いてすぐに消えました。
や、やりました……。
今のは、【一筆魂書】ではありません。
半紙に書いた……いえ、刻み込んだ文字が言魂となり、現実に影響を及ぼしたのです。
わたしにとっては革命的な発明ですけど、喜んでばかりもいられません。
何故なら、実戦投入するには課題が多いからです。
まず、発動までに時間が掛かり過ぎですね。
敵を前に今のような隙を晒していては、妨害されるに決まっています。
また、消耗の度合いも深刻でした。
【火】と言う一文字の創造ですら、相当な体力を奪われてしまっています。
幸いなのは、使用したのは生命力ではなく、単純な体力と言う点です。
これこそが、【一筆魂書】と差別化する、最大の利点だと言えるでしょう。
課題は多いですが、光明が差したのも事実でした。
黒咲領に到着するまでに完成するかわかりませんが、今後はこの技術を磨くことを優先するべきですね。
残る問題は……媒介とするものでしょうか。
今回は半紙を利用しましたけど、実戦を考えるなら現実的ではありません。
もっと身近で、常に持ち歩けるようなもの……。
どうするべきか悩んだわたしは、ぐるりとテントの中を見渡して――
「あ……」
見付けました。
と言いますか、どうしてすぐに思い付かなかったんでしょう。
わたしの視線の先にあったもの。
それは、家宝でもある『葬命』。
パズルのピースがカチッとはまったように感じたわたしは、疲れた体に鞭を打って『葬命』に手を伸ばしました。




