第6話 個人任務
夜中に目が覚めてしまいましたが、大きな影響を出さずに早朝訓練に励むことが出来ました。
座学の授業中に眠くなることもありませんでしたし、一安心ですね。
こうして、今日も平凡な1日が過ぎ去って行くと、疑っていませんでした。
ですが、そう言うときにこそ、非日常はやって来るのかもしれません。
「昼休みに悪いけど、学院長室に行ってくれる?」
座学の授業後、橘先生からアイコンタクトを受けたわたしは、一色くんにお弁当を渡してから廊下に出ました。
そこで待ち構えていた橘先生が、開口一番に今のようなことを言い出したのです。
学院長からの呼び出しなど、早乙女さんたちが重傷を負って帰って来たとき以来ですね。
しかもあのときは、わたしだけではなく一色くんや天羽さん、一葉ちゃん、光凜さんも一緒でした。
そう考えると、今回がいかに特殊な出来事かわかるかもしれません。
わたし、何かしちゃいましたっけ……?
心当たりはありませんけど、知らないうちに規則を破っていたり……。
急激に不安になったわたしは、必死に頭を働かせていましたが、目の前の橘先生が苦笑して、言葉を付け足しました。
「心配しなくても、ペナルティとかそう言う話じゃないわよ。 ただ、貴女に任務を任せたいの」
「……! わかりました、すぐに向かいます」
「有難う。 じゃあ、よろしくね」
背を向けた橘先生が、手を振りながら歩み去りました。
そんな彼女に頭を下げつつ、わたしは内心で闘志を滾らせます。
遂に、このときが来ましたね……。
特務組に……いえ、言魂学院に通う以上、避けては通れない道。
それが任務です。
詳しい内容は話を聞かないとわかりませんが、十中八九は魔物や魔族絡みでしょう。
ガイゼルの侵攻と言う大事件は経験しましたが、あれは例外中の例外。
通常の任務は、今回が初めてとなります。
いきなり1人なのは、本心を言うと心細いですけど、頑張りましょう。
人知れず気合を入れたわたしは、敢えて大股で廊下を進み、学院長室を目指しました。
扉の前に来ると緊張しましたけど、深呼吸することで心を落ち着けます。
そうして覚悟を決め、軽くノックしました。
「入れ」
中から聞こえて来たのは、厳格な学院長の声。
相変わらず凄い迫力ですけど、彼がただ厳しい人物ではないと、わたしは良く知っています。
それゆえ、無駄に緊張することはなく、躊躇いなく声を返しました。
「失礼します」
迷いなく入室したわたしは、執務机を挟んで学院長と相対します。
椅子に座っていても大柄なのがわかり、改めて巌のような人だと感じました。
気を抜くと圧倒されそうですけど、なんとか踏ん張って口を開きます。
「お疲れ様です、学院長。 わたしに任務を任せたいとのことですが、詳細を聞いても良いですか?」
「話が早くて助かる。 結論から言うと、お前に任せたいのは黒咲陣営の増援だ」
「……! 黒咲陣営の……」
学院長の言葉に、わたしは少なからず衝撃を受けました。
だって、初めての個人任務に『肆言姫』や『参言衆』が関わって来るなんて、思いもしていませんでしたし……。
とは言え、取り乱すほどじゃないです。
特務組は文字通り、特殊な任務を請け負うクラスなのですから。
内心で自分を納得させていると、学院長は一瞬だけ満足そうに微笑み、表情を引き締めて続きの言葉を述べました。
「そうだ。 黒咲領の現状は、知っているな?」
「はい。 領全体に不眠結界が張られていて、放っておけば領民は寝ることが出来ずに衰弱します。 そこで毎晩、黒咲さんの言魂で強制的に眠らせている……この認識で合っていますか?」
「あぁ、間違いない。 今のところ敵は尻尾を見せておらず、問題が長期化している。 だが、こちらから積極的に動くには、手が足りん。 そこで、お前の出番だ。 幸い首都は落ち着いているから、黒咲たちを手伝ってやって欲しい」
「なるほど……。 かしこまりました。 どれだけの力になれるかわかりませんが、全力を尽くします」
「良く言った。 ただ、出発はもう少し待って欲しい。 具体的には、今日の深夜までな」
「深夜、ですか……? わたしは問題ありませんが、何故でしょう?」
これは、率直な疑問でした。
黒咲領の問題がどれだけ深刻か、きちんと認識出来ているか自信はないですけど、増援を送るなら早いに越したことはないのではないでしょうか?
そんなわたしの気持ちが伝わったのか、学院長は顎髭を撫でながら苦笑し、どこか面白がっているように言葉を紡ぎました。
「日中にお前がいなくなると、天羽たちが騒ぎそうだからな」
「天羽さんたちが……?」
「お前は彼女たちに、好かれているからな。 「無明に危険なことをさせるな!」……と、儂が怒られかねん」
「そ、それは流石にないと思いますけど……。 わたしだって特務組の一員ですし、いずれは任務に就くとわかっているはずですし……」
「それはそうだが、人間の感情はそう簡単ではない。 頭ではわかっていても、受け入れ難いこともある」
「……かしこまりました。 学院長がそう仰るなら、そのようにします。 今日の深夜、天羽さんたちに気付かれないように、首都を出発します」
「そうしてくれ。 絶対に、誰にも、気付かれないようにな」
「は、はい」
鋭い眼光で念押しして来る、学院長。
若干腑に落ちませんが、指示には従います。
誰にも気付かれないようにと言うことは、最大関門は同室の一色くんですね。
……無理じゃないですか?
い、いえ、弱気になってはいけません。
学院長の期待に応える為にも、なんとか突破してみせます。
無理やりに心を奮い立たせたわたしは、知らず内に胸の前で握り拳を作っていましたが――
「ところで、透……一色とはどこまで行った?」
「ふぇ……!?」
学院長から意味不明な言葉を叩き付けられて、珍妙な声を上げてしまいました。
何やらニヤニヤ笑っており、先ほどとは全く違う意味で面白がっています。
対するわたしは瞠目し、口をパクパクさせていました。
ど、どこまでと言われましても……どこにも行っていませんよ……!?
声を大にして、そう言い返そうとしましたけど、口は上手く動いてくれません。
顔が真っ赤になるのを感じながら、パニック寸前だったわたしは、最早泣き出しそうな勢いでしたが、学院長が何かに気付いたように懐に手を入れました。
そうして取り出されたのは、手のひらサイズの宝石。
あれは何でしょう……?
【通話】の言魂士が作った道具にも見えますが……少し違和感があります。
微かに冷えた頭でそんなことを考えていると、学院長は宝石を耳に当て、何やら独り言を呟き始めました。
「何だ? 今、良いところなんだぞ? ……いや、儂はただ夜宵のことを思って……。 ……わかった、わかった。 これ以上はやめておくから、機嫌を直せ。 ……ふぅ……。 まったく、本当に冗談が通じん男だな」
ブツブツと文句を言いながら、学院長が宝石を仕舞いました。
何だったんでしょう……?
恐らく、今のわたしの頭上には、大量の疑問符が浮かんでいるはずです。
何をどうすれば良いかわからず、呆然としていると、学院長はまるで何事もなかったかのように、真面目に締め括りました。
「では無明、頼んだぞ」
「えぇと……はい……」
威厳たっぷりに告げられましたが、今更遅いと思います。
もっとも、そのような指摘なんて出来ませんけど。
仕方なしに頭を下げたわたしは、釈然としないまま学院長室をあとにしました。
いろいろと消化不足ですけど……ひとまず、任務が優先ですね。
半ば強引に意識を切り替えたわたしは、特務組の教室に向かいます。
まだ充分に時間はありますし、お弁当を食べましょう。
そう決めたわたしですが、予想外の事態に見舞われました。
「あ! 夜宵ちゃん、お帰り!」
「いつの間にかいなくなっていて、心配したのよ?」
「無明、まさか体調でも悪いのか……?」
教室の前まで戻って来たわたしを出迎えてくれたのは、3人の『肆言姫』でした。
元気いっぱいに手を振ってくれている、一葉ちゃん。
こちらの様子を窺っている、光凜さん。
言葉通り心配そうに眉を落としている、天羽さん。
当たり前のように待っていてくれたことに胸が温かくなったわたしは、一葉ちゃんに手を振り返しながら、苦笑交じりに返事をしました。
「ただいまです。 すみません、少し急用がありまして……。 天羽さん、体調は平気ですから、心配いりませんよ。 有難うございます」
「そ、それなら良いのだ。 急用とやらは気になるが……」
「そうね、四季さん。 夜宵さん、わたしたちにも話せないようなことなのかしら?」
「もしかして、一色と何かしてたんじゃ!? あいつも、気付いたら消えてたし!」
「へ……!? ち、違いますよ、一葉ちゃん……! く、詳しくは話せませんけど……極めて個人的なことです……!」
う、嘘はついていませんよね?
今回の任務は、わたし個人への依頼な訳ですし。
……ちょっと苦しいでしょうか?
だ、だとしても、彼女たちには秘密にしなければなりません。
明後日の方を向いて冷や汗をダラダラと流すわたしに、天羽さんたちから疑いの眼差しが注がれましたが、頑張って素知らぬふりを続けました。
すると彼女たちは、わたしに口を割る気がないと察したようで、顔を見合わせて溜息をついてから、代表して天羽さんが折衷案を出してくれました。
「わかった、敢えて深くは聞かないでおこう。 ただし、絶対に無理はするな。 わたしたちに出来ることがあれば、遠慮なく頼れ」
「は、はい、天羽さん。 一葉ちゃんと光凜さんも、有難うございます」
「礼には及ばないわ。 わたしたちは、夜宵さんが大好きなのだから」
「陰険女の言う通りよ! 夜宵ちゃん! いつでも相談に乗るからね!」
天羽さんからは強い決意を感じ、光凜さんは優しく微笑んでいて、一葉ちゃんは快活に笑っています。
これほどまでに想ってもらえるなんて、わたしは本当に幸せ者ですね……。
思わず目頭が熱くなりましたが、涙は見せません。
そうしてこの場に、温かい空気が流れましたが――
「あら……?」
不意に窓の外に目を向けると、見覚えのない屋台を見掛けました。
あ、ちなみに、学院の敷地内にはお昼休み限定で、以前から移動型の屋台が入っています。
校舎には食堂がありませんし、購買には限りがあるので、自炊しない生徒たちから重宝されているようですね。
学院と契約しているらしく、出店している屋台はある程度決まっているんですけど、あの屋台は初めて見ました。
それ自体は、別に良いんですが……。
「どうした、無明? 屋台が気になるのか?」
天羽さんの怪訝そうな声を聞いて、ハッとしました。
いけません、今は余計なことを考えている場合ではありませんね。
自分に言い聞かせたわたしは、殊更に笑顔を心掛けて3人に振り向きました。
「何でもありません。 わたしは今からお弁当を食べますけど、皆さんはどうしますか?」
「わたしたちも、実はまだなのよ。 夜宵さんと、一緒に食べようかと思ってね」
「光凜さん、そうでしたか……。 お待たせして、すみません」
「謝らないで、夜宵ちゃん! それよりお腹減ったから、早く食べようよ!」
「そうですね、一葉ちゃん。 天羽さん、光凜さん、行きましょう」
そう言ってわたしは教室の引き戸に手を掛けましたが、その直前に再び屋台に目を向けました。
そこにはたくさんの生徒が詰め掛けており、相手をしていたのは――桃色のツーサイドアップの店員さんでした。
出張団子屋として学院に潜り込んだ玖乃ことクオンは、内心で溜息をついていた。
目の前には大勢の生徒――主に男性――が押し寄せて来ており、競い合うように注文している。
だが、下心があるのは明白で、クオンの容姿に惹かれているのは間違いない。
敵である言魂士の実情を情けなく感じたクオンは、満面の笑顔の下で呆れ果てていたのだが、完全に気を抜いている訳ではなかった。
何故なら、今の彼女は抑制具によって魔力をほぼゼロにされており、生徒たちは言動は別として、決して弱くはないからだ。
無論、実力で言えば絶対に勝てると言い切れるが、現状を考えれば油断出来ない。
何より――
(あれが『肆言姫』……。 確かに、この有象無象とは比べ物にならない力を感じるわ。 1対1で負ける気はないけれど……少なくとも、今は気付かれる訳には行かないわね)
看板娘として売り子を続けながら、夜宵に注意を向けていたクオン。
その過程で四季たちの強さを間接的に知り、気を引き締めていた。
一方で夜宵に対する調査は、芳しくない。
距離があるせいで、どうしても詳しく探ることが出来なかった。
それでも全くの無駄ではないと思っており、クオンは今後も出張を続けようと考えている。
そのとき、彼女の目の前で人垣が割れた。
笑顔のまま何事かと思ったクオンが見たものは、颯爽と歩み寄る透真。
周りの生徒たちは彼を敬遠しており、道を譲っている。
対する透真は平然と足を進め、クオンの前に立って言い放った。
「わらび餅を頼む」
「……かしこまりました!」
反射的に警戒を強めていたクオンだが、透真からは敵意の欠片も伝わって来ない。
正体を見破られたのではないと結論付け、すぐさま仕事に取り掛かる。
慣れた手付きでわらび餅を袋に詰め、代金を受け取ってから透真に差し出した。
「お待たせしました!」
「有難う。 この屋台は、明日以降も出店するのか?」
「はい! その予定です!」
「そうか。 また利用させてもらう」
「有難うございます! お待ちしています!」
丁寧に一礼したクオンを一瞥した透真は、踵を返してその場を立ち去った。
しばしの間、周囲の生徒たちは戸惑っていたが、やがて復活を遂げる。
少しでもクオンの気を引こうと、躍起になって注文をし、中には個人的な質問を投げ掛ける者もいた。
それら全てをクオンは笑顔で捌きつつ、頭の中では別のことを考えている。
(【刀】の言魂士、一色透真。 一文字であるにもかかわらず、特務組に配属された。 無明夜宵は『核』だとすれば納得出来るけれど、彼に関しては謎ばかりね……。 ある意味、最も注意するべき相手だわ)
透真の情報を整理したクオンは、その異常性を認識していた。
接客を続けながら透真の背中を見やっても、何の反応も見せない。
無警戒にも思えるが、クオンの直感はそうではないと訴えている。
こうして、様々な思惑が錯綜する中、夜宵が旅立つときが近付くのだった。




