第5話 刻み込む
目が覚めたわたしは、布団の上でボンヤリしたまま、視線を巡らせました。
壁掛け時計を見る限り、今は深夜2時を回ったところです。
こんな時間に起きるなんて……どうしたんでしょう。
わたしは決して、寝付きは悪くないんですけどね……。
それなのにどうして……と考えたわたしの頭に浮かんだのは、桃色の髪の美少女。
確か、桜葉玖乃さんと言っていましたか。
一色くんが興味を持った理由が気になりますけど、まさか問い質す訳には行きませんし……。
い、いえ、何が何でも知りたい訳じゃないんですよ?
ただ……お、お友だちが何を考えていたのか、気になるのは自然なことだと思うんです。
えぇ、そうに決まっています。
ですが、いつまでも引っ張られるのは駄目ですよね。
明日も訓練や授業があるんですから、しっかり休まないと。
そう考えたわたしは、寝直すべく瞳を閉じました――が――
「……全然、眠くなりません」
一向にやって来ない睡魔を恨めしく思いながら、諦めて目を開けました。
そして身を起こし、ふすまを隔てた奥の部屋に意識を向けました。
そこでは、一色くんが寝て……あら……?
えぇと……気のせいじゃなければ、気配がないですね。
流石にこの距離で読み間違えるはずがないんですけど……まさか、何かあったのでは?
急激に不安になったわたしは、恐る恐るふすまを少しだけ開けてみました。
隙間から覗き……ではなく、様子を窺うと、やはり一色くんの姿がありません。
こんな時間に、どこに行ったんでしょう……?
詮索するのは良くないかもしれませんが、もし事件にでも巻き込まれていたら……。
だからと言って闇雲に探しても、見付かるとは思えません。
どうするべきか迷ったわたしは、いつの間にか立ち上がり、部屋の中をウロウロしていました。
しかし、最終的に辿り着いたのは、極めて無難なものです。
「……大人しく、待っていましょう」
出来ることはないと判断した上での、決定です。
布団の上に正座したわたしは、ひたすらに一色くんの帰りを待ちました。
ですが、暫くしても一向に扉が開く様子はなく、段々とソワソワして来ました。
と言っても、10分も経っていませんけど……。
落ち着きを失ったわたしはどうしたものかと考え、部屋の隅に纏めている荷物に目を向けました。
どうせ起きているなら……久しぶりに書きましょう。
やることを決めたわたしは、一旦布団を畳んで横にどかし、背の低い机を置きました。
その上に並べたのは、下敷きに文鎮、半紙、硯、筆、墨。
はい、書道の道具です。
一応言っておくと、この筆は【一筆魂書】用ではなく、普通に字を書く為のものです。
学院に来る前は結構頻繁に書いていたんですが、最近はバタバタしていて、中々時間が取れませんでしたからね。
この機会を利用するのも、良いかもしれません。
考えを纏めたわたしは机の前で正座して、墨を磨ってから筆を取りました。
何を書くか決めていませんでしたが、すぐに思い付きました。
【花鳥風月】に【一騎当千】、【電光石火】。
天羽さんたちの言魂を、お借りしました。
続いて、早乙女さんたちの言魂も書いて行きます。
その後は特に悩むことなく、気紛れでひたすら筆を走らせました。
そうしているうちに気持ちが整理されて、心が穏やかになるのを感じます。
書道は母上から教わったのですが、わたしの数少ない趣味の1つですね。
ひたすらに書き続けて、どれだけ経ったのでしょうか。
部屋いっぱいに半紙が散乱していますけど、あとで片付けましょう。
今は久しぶりのこの時間を、存分に満喫したいですから。
それにしても……遅いですね。
いくら一色くんでも、夜更かしは大敵だと思うんですけど。
だいたい、いつもわたしの心配をするくせに、自分のことは無頓着過ぎませんか?
彼はもっと、自分を大事にするべきなんです。
それに――
「紙に文字を刻み込んでいるようだな」
「……ッ!?」
突然声が聞こえたことに、わたしは悲鳴を上げそうになりました。
お、驚きました……。
深呼吸して視線を前に向けると、そこに立っていたのは一色くん。
見たところ怪我などはなさそうで、安心しました。
それはともかく、どこに行っていたんですか?……と聞こうとしましたが、彼がわたしの手元を見ていることに気付きました。
一色くんの目線を追うと、半紙が置かれていましたが、書かれていた文字は――『恋』。
そのことが意識に届いた瞬間、わたしは脊髄反射の勢いで、半紙をクシャクシャに丸めました。
顔が真っ赤になるのを感じ、呼吸を荒らげてしまいましたが、気にする余裕はありません。
な、何故わたしは、あのような文字を選んだのですか……!?
い、いえ、きっと深い意味なんてないです、そうに決まっています……!
単に『恋』と言う文字の字面が、好きなだけです……!
などと、誰に言っているのかわからないような思考がグルグル巡っていましたが、一色くんはどこまでも一色くんでした。
「まだ寝ないのか?」
「ね……寝ます……」
「それが良い。 俺も寝る。 お休み」
「お、お休みなさい……」
短く告げた一色くんはふすまを閉じ、それっきり静かになりました。
本当に、マイペースですね……。
まぁ、お陰で少し落ち着きましたけど……。
思い切り嘆息したわたしはノロノロと腰を上げ、部屋に散らばった半紙を回収しました。
没頭していたせいで気付きませんでしたが、かなりの量を書いたようです。
その中の1枚を手に持ったわたしは、なんとなく一色くんの一言が脳裏を過りました。
「紙に文字を刻み込んでいる……ですか」
そんなつもりはありませんでしたが、言われてみればそう言った側面があったかもしれません。
だからどうだと言う話ではないですけど、言い得て妙だとは思いましたね。
苦笑を漏らしたわたしは片付けを済ませて、布団に入りました。
結局、一色くんが何をしていたかは聞けず仕舞いでしたが……無事なら取り敢えず構いません。
内心で折り合いをつけたわたしは、ゆっくりと瞼を下ろしました。
安心したからか、今度はゆっくり眠れそうです。
間もなくして意識を手放し、衝撃の翌日がやって来るのでした。




